人君・人臣の職責から始め、君主として行うべき「仁政」を具体的に展開した経世済民論の書といわれる、熊沢蕃山の2巻から成る政策論『大学或問』についてです。
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『大学或問』の副題には、このような言葉が添えられています。
「治国平天下之別巻(ちこくへいてんかのべっかん)」
ここには山林保護、参勤交代の緩和、農兵論の展開と貿易振興、浪人の救済など、時代に対する強い危機意識と実践対策が述べられているのですが、人君・人臣の職責から始まり、君主として行うべき「仁政」を具体的に展開していることから、兵農分離、蔵米知行制を原則とする幕藩体制と相いれない農兵論は、当時の幕府にとっては容易ならざる論理となり、幕政批判の罪として禁固・幽閉処分、幽死に至るばかりか、『大学或問』も発禁書となっています。
しかしながら『大学或問』は、後世の荻生徂徠・頼山陽・横井小楠に影響を与え続け、幕末には勝海舟も『氷川清話』の中で蕃山は「儒服を着けた英雄」と述べている程。
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『大学或問』は「或問ふ、、、云う」という問答体で構成され、蕃山の時代に対する強い危機意識と実践的な打開策が述べられ、武士、君主の責務に対する深い洞察、治山・治水論など具体的提言、農兵論の展開と貿易振興、大名財政を圧迫している参勤交代の緩和、鎖国制度の問題点等々、幕藩社会の根幹に関わる施策が詰め込まれたものなのです。
そもそも中江藤樹から陽明学を学んだ蕃山は、その道徳説を政治面に適用して岡山藩の藩政確立に努力しています。
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その顕著となるものが『大学或問』でもあるのですが、そもそも陽明学自体が、現実の社会を批判してその矛盾を改めようとする革新的傾向があったために幕府から警戒される傾向の強いものでした。
結果、蕃山は『大学或問』で幕政を批判したとしてとがめられ、弾圧、幽死する訳ですが、その意志はやがて明治維新へと連なっていくことになるのです。
困窮の連鎖を警戒し、農兵制などの案を提出ながらも政治における財貨の重要性を説いた先見の目を持っていた蕃山。
一連の彼の書物と共に、その強い意志に触れてみてはいかがでしょうか。
以下、『大学或問』のポイントを幾つか挙げておきます。
『大学或問 熊沢蕃山』
第一節 仁政と富有
蕃山は、「仁政を天下に行はん事は、富有ならざれは叶はず」とあります。
善き政治は、裕福でなければ不可能だというのです。
このことは「問、政とは何ぞや。云、富有也」と示されています。
第二節 小富と大富
富の考え方について、二つの場合が挙げられています。
「世間の富有は己を利すれば人を損じ、己よろこべば人うらむ。国君富有なれば国中うらみ、大君富有なれば天下恨む。
小富有なればなり。大道の富有は、国君富有なれば一国悦び、大君富有なれば天下悦ぶ。大富有なれば也。天長地久んしいて子孫福禄を受、令名後世に伝へて、身安く心楽みあり」とあります。
小富は自分の利益が他人の不利益になる場合であり、大富はすべての人が裕福になるような場合が想定されています。
第三節 困窮の連鎖
一つの階級の困窮が、悪循環で他の階級にも連鎖する可能性が指摘されています。
「諸侯不勝手にて、武士困窮すれば、民に取事つよくて、百姓も困窮す。士民困窮すれば、工商も困窮す。しかのみならず浪人餘多出来て飢寒に及びぬ。是天下の困窮也。天下困窮すれば、上の天命の冥加おとろへぬ。天命おとろへては、いかんともする事なし」
とあります。
困窮が一定限度を超えると、うてる対策もなくなってしまうというのです。
第四節 農兵制
具体的な政策の一つとして、農兵制が挙げられています。
「士を民間に入さまに成て、民に免一寸ゆるし給ふべし。此の如く自然に高免に成て、民の悴たるは、士とはなれたる故也。士の在々に在付やうにすべし。又士の心得にも、此後子々孫々生死を共にする譜代の民なれば、民の為あしからぬやうにたしなむべし」
とあります。
武士が農民の間に入り、年貢の一割軽減する案です。
武士と農民の分離が悪かったのであり、武士は農村に住むべきだというのです。
そうすれば、子々孫々にわたって武士と農民が結びつくため、民を大事にするようになるというのです。
第五節 富有と天下
「富有は天下の為の富有なり」とあります。
裕福さとは、天下のための裕福さだというのです。
そのため、「仁君の貨を好むは大なり。富有大業をなす天下、君の貨を好む事をたのしめり。これ貨を以て身をおこすなり」と述べられています。
仁ある君主が財貨を好むのは偉大であるというのです。財貨によって経済をまわし、名声を得ることが奨励されています。
その上で、「聖賢なれざれば、天下を平治する事あたはざるには非ず。貨色を好むの凡心ありといへども、人民に父母たる仁心ありて、仁政を行ひ、其人を得て造化を助る時は仁君也。天職を務めて天禄を得る事久し」と語られています。
聖人君子でなくとも政治はできるのであり、財貨などを好んだ凡人であっても、人民の父母としての仁があり、部下をともなって万物の生成発展を助ける政治ができるというのです。
第六節 豊年と凶年
年ごとに、さまざまな条件が異なります。
そのため、「豊年の時に行て凶年の備となすべき事なり」とあり、「凶年至りては富有大業の仁政もなしがたし」と語られています。
凶年には事業をし難いため、豊かな年に凶年の備えをすべきだというのです。