大學(大学)より学ぶ!人を治める道の書!

『大學(大学)』ってご存知ですか?
あの二宮金次郎(尊徳)が、薪を背負いながら読み耽っているあの書、『大學』です。
儒学では『四書』(『論語』・『孟子』・『大學』・『中庸』)と『六経』が重要な書となりますが、朱子学では、これに『小學』と『近思録』が加わります。
また、朱子学には書を読む順序があるそうで、『小學』→『近思録』→『大學』→『論語』→『孟子』→『中庸』→『六経』となります。

『大學』は元来は五経のひとつである『礼記』の一篇であり、原文は1753字にすぎないものです。
しかしこの書は、儒教の政治思想の根幹をきわめて要領よくまとめたものです。
著者は斉・魯の諸儒で、孔子の門人72人よりも後の人であると考えられますが、朱熹が『大學』を経伝を分け章句を定めて 『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書としたことでその名が有名になりました。
そもそも『大學』の要領は己を修めて人を始めることであり、学問をもって己の明徳を明らかにし、これを天下国家に明らかにせんとする政治原論、政治哲学を含んだ書物なのです。

大學の内容は三綱領、八条目に集約されます。
三綱領は、本文の冒頭に述べられている
「明徳を明らかにするに在り」
「民に親しむに在り」
「至善に止するに在り」
のことを指し、儒学を学ぶ者の最終目標を意味しています。
続いて、この三綱領を達成するための方法として八条目が示されます。
「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先づ其の国を治む。
 其の国を治めんと欲する者は、先づ其の家を斉う。
 其の家を斉えんと欲する者は、先づ其の身を脩む。
 其の身を脩めんと欲する者は、先づ其の心を正す。
 其の心を正さんと欲する者は、先づ其の意を誠にす。
 其の意を誠にせんと欲する者は、先づ其の知を致す。
 知を致すは物を格すに在り。」
即ち、「治国平天下」、「修身斉家」、「誠意正心」、「格物致知」の教えです。
以下、この八条目についての説明が続いて大學は終わります。
ところが、大學では「格物」と「致知」については全く触れられていません。
実はこのことが、宋の時代に朱熹が唱える朱子学と王陽明が唱える陽明学を生み出すことになります。

朱子学と陽明学については、何度か触れてはいますので、ご参考にしてみてください。
朱子学と陽明学の違い、日本陽明学とは!
伝習録より学ぶ!心を統治、練磨することの大切さ!

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以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。

【大學章句序】

『大學』という書は、古の大學校で人を教育する大方針を述べたものです。
けだしこれを推し測ってみるに、天が人民を生む以上は、きっとこの人民に仁義礼智を与えないわけはありません。必ず分け与えたはずなのです。しかしながら、人の気質は人によって異なります。 そこで人々みな誰でも本来備わっている徳を知ってこれを全うするというわけにはいきません。
ひとだび聡明叡智にして、よく自分の本性を明らにし尽くす者が出れば、天は必ずこの人に命じて天下万民の君としてこれを治めさせ、師としてこれを教育させ、もってその本性に帰らすでしょう。
これ伏犠・神農・黄帝・ 堯舜が天意を継承して万民の模範となったゆえんであり、教育を司る職務や、音楽を司る官職を設けて天下万民を教育したのです。
三代の隆盛した時には、教育の法は完備されており、天子の都から村里に至るまで学校が設けられました。人は生まれて8歳になれば王公から平民に至るまでみな小学に入学して酒掃応対進退の節や、 礼楽射御書数を教えられました。子弟は15歳に達すると、太子より平民の俊秀なる者に至るまでみな大學に入学して、理を窮め心を正しくし己を修め人を治める道を学びました。 これ学校の教えが小学と大學とに区別されるゆえんであります。学校の設備が広く行き渡ることかくのごとく、子弟を教育する方法の次第順序の詳細なことかくのごとくにして、 その教育をなすゆえんは、人君が自らに実行し心に会得せる道理に基づき、すべて人民の生活上日々に用うべき一定不易の人倫の道の外に出ないのです。
それゆえ、三代の人は学ばざる者はなく、学ぶ者の本性に固有するところは仁・義・礼・智の徳であり、職分としてなさねばならないことは人倫の道であることを知って、 勉めて全力を尽くさない者はありませんでした。
このように古は政事が行き届き、下の風俗が美しく、到底後世の及ばないところなのです。
周が衰えるに及んで、聖なる君主は現れず、学校の制度も廃れたため、教化は衰え、風俗は壊れました。孔子のごとき聖人が現れましたが、 君主たる位を得て政治教育を行うことはできませんでした。そこで孔子は先王の法則を取り、これを伝えて後世に告げたのです。そのうちでも『礼記』の曲礼・少儀・内則や、 『管子』の弟子職などは、古の小学教育の支流というべきものを幾分かその面影を残していますが、この『大學』一篇は大學教育の明法を著したもので、外は規模の大を極め、 内は節目の詳細を尽くしたものなのです。
孔子の弟子は3000人はおり、孔子の説を聞かない者はいないほどです。しかし曾子の伝えるところがよく孔子の本旨を得ています。そこで曾子の徒はこの書を作ってその意味を明らかにしたのです。 孟子が没するに及んで、不幸にしてその伝統は滅亡しました。よって『大學』の書は存在していたけれども、これを知る者が少なかったのです。
これより以来俗儒の記誦博識をつとめあるいは華やかな文章を作らんと勉める風習は、その骨折ることは小学教育に倍して何の益にも立たず、 異端の道教仏教などの空々寂々の教理は高尚すぎて実際には当てはまりません。諸子百家や、農圃医卜のたぐい、世を惑わし民を誣い、仁義の邪魔をする者などが、又紛々とその間に雑出したために、 位にある君子は不幸にして大道の要旨を聞くことができず、人民は不幸にして至治の徳沢を蒙ることができません。梁・唐・晋・漢・周の五代、末世澆季の世となって、 壊乱その極に達しました。
天運は循環して行って帰らぬことはありません。宋の御代となって、徳隆盛にして政治教化は美しく明らかです。ここにおいて河南の程明道・程伊川の両先生が出られて孟子の伝統を継続され、 この『大學』をあらわし、すでにその文章の順序を定め、その趣意のあるところを発明せられた。その後、大學教育の法、孔子曾子の述べられた経伝の趣旨が粲然と復た世に明らかとなったのです。
熹の不敏なるにも拘わらず、また幸いに両程子に私淑して大道の要旨を聞くことができました。おもうに『大學』の書は放失して闕略もあると思われます。 そこで自分の固陋寡聞をも忘れてそれを取り集め、自分の意をもって補い、もって後の有徳の君子を待つのです。極めて身分不相応なことで罪は免れ難いと思いますが、 我が国家が民を教化し、学者が己を修め人を治めるゆえんの方においては、小補なきにもあらずと思うのです。
淳煕十六己酉の年二月甲子の日、新安の朱熹序す。

【宋朱熹章句】

子程子曰く「『大學』は孔子が後人に遺したまえるもので、初学者が徳に入る門戸である。今の世で、古人の学問の次第を見ることができるのは、この一篇があるからである。 そして『論語』『孟子』はこれに次いで必要の書である。学者はこの『大學』によって学べば、誤らざるに近いであろう」と。

経一章
大學の要旨は明徳を明らかにすることにあり、それを推して人に及ぼし、新生涯に入らしめなければならないことです(『大學』の三鋼領:明徳・親民・止至善)。
至善の地に止まることを知って、はじめて疑惑することなく定まることができます。身が安らかにしてのち、事を熟慮することができます。よく熟慮してのち、事の宜しきを得て、 過ちなきことができます。
物には本末があり、事には終始があります。物事の先後することを知れば、道に近いといえます。
古の明徳を天下に明らかにしようと欲する者は、必ずまず教化をもって国を治めます。その国を治めようとする者は、まず一家を斉えます。その家を斉えようとする者は、 まずその身を修めます。その身を修めようとする者は、まずその心を正しくします。その心を正しくしようとする者は、誠実にして自ら欺かないようにします。 その心を誠実にしようとする者は、まず知を推し極めて善悪の弁別に惑わないようにします。知を推し極めるには、大學の六芸(礼・楽・射・御・書・数)を研究して、 その道理を窮めることにあります。(修身斉家治国平天下、格物致知誠意正心)
六芸を窮め尽くしてのち、知至れりというべく、知至りてのち意誠にして自ら欺くことなく、意誠にしてのち心正しく、心正しくしてのち身修まります。一身修まってのち一家斉い、 一家斉いてのち国治まり、国治まりてのち天下平らかになります。
天子より庶人に至るまで、一切みな修身をもって本とします。その本が乱れて末が治まることはありません。身近なものほど厚く遇するが、天下が平らかであることを欲するのは、 遠いものを遇することで、人の上たる者は本を知ることをその務めとしなければなりません。
右(上)は経一章です。以上は恐らく孔子の言であり、曾子が述べたものだと思われます。これから記する伝十章は曾子の意見で、曾子の門人がこれを記したのです。 在来の本は本文の前後した所があります。今、程子が定めたように変えます。

経首章
康誥に『よく徳を明らかにす』とあります。太甲に『この上天の明々白々たる命令を顧みて、絶えず気をつけて失うことなし』となり、帝典に『よく大徳を明らかにす』とあります。 これらはみな自ら己の明徳を明らかにすることをいったものです。

伝二章
湯王の盤の銘辞に『誠に日に新たにして、日々心身を新たにし、またなおも日に新たにせねばならぬ』とあります。 康誥に『民を新たにする』とあります。詩経に『周は古い国をいえども、天命を受けて天下を取ったので、その命は維れ新たなり』とあります。ゆえに君子はその自らを新たにし、 民を新たにする極致を用いるのです。
右(上)の伝の二章で民を新たにすることを解釈したものです。

伝三章
詩経に『王者の都の邦畿千里の地は、これ民の止まる所である』とあり、詩経に『メンバンと鳴くウグイスは樹木が茂る丘に止まる』とあります。孔子曰く 「物はみなその止まる所があって、その止まる所を知っている。かのウグイスですら、その止まる所を知っている。いわんや人が鳥におとることがあろうか」と。
詩経に『穆々として深遠たる文王は、その徳は絶ゆることなく、敬して止まることがない』とあります。すなわち仁君となっては仁に止まり、人臣となっては敬に止まる。 人の子となっては孝に止まり、人の父となっては慈に止まり、国人と交わっては信に止まります。
詩経に『衛の武公を美していう。彼の淇水の隈を見れば、緑竹が猗猗と美しく茂っている。あの美しき緑竹のごとく、斐然として文ある君子がある。 人は骨角を治めるには、あるいは切りあるいは磋いてこれを器とし、玉石を治めるにはあるいは琢ちあるいは磨いて美ならしめるがごとくである。
その精神は瑟僴と謹厳であり、その風采は赫喧と外に著れている。かくのごとき斐然として文ある君子は、終に忘るることができぬ』と歌ってある。
さてこの詩の意は、切るがごとく磋くがごとしとは、学問をもって我が知を磨くことをたとえたものです。琢つがごとく磨くがごとしとは、自ら我が徳性を修めることをたとえたものです。 瑟僴とは、その心常に戦戦兢兢として恐れ謹むことをいい、赫喧とは、その徳面に表れ威があって猛からぬことをいいます。斐然として文ある君主は、終に忘るることができぬとは、 この武公のごとき君は、民はこれを愛して忘れることができないということである。
詩経に『ああ、前王忘れず』とあります。君子はその賢を賢として遺法に従い、その親を親として永くこれを尊敬します。小人は前王の余沢を楽しんで、 おのおのその業に安んずる利を持ちます。ゆえに後の人これを思慕して、その人すでに没すれども永く忘れないのです。
右(上)は伝の三章で、至善に止まることを解釈したものです。

伝四章
孔子曰く「訴えを聴いて裁判するのは、吾も常人と大差はない。私は民をして礼に従い法を守って、自然に訴えることをなくそうと思う」と。 もし実なき者は虚偽の言を述べ尽くすことができません。おのずから訴えなきに至らしめるのは、上の徳が明らかで民の心を畏服せしめるためです。 これを明徳が本であることを知るということです。
右(上)は伝の四章で、本来のことを解釈したものです。

伝五章
これを本を知るといいます。程子の説にこの一句は衍文ならんといいます。これを知の至りといいます。
右(上)は伝の五章で、格物致知の義を解釈したものであったが、今は亡びて無くなってしまいました。試みにひそかに程子の意見を取ってこれを補ってみました。
いわゆる知の致すは物に格るにありとは、吾が知を推し極めようとすれば、我が接する事物について、その道理を窮極にすることをいいます。けだし人心は霊妙であるので、 本来の知あることはもちろんです。また天下の事物にも道理なきものはありません。ただ事物の理について未だ窮め尽くしていない点があるために、 人心固有の知もまた尽くすことができないのです。
そこで『大學』のはじめには必ず学者に、天下の事物において、すでに知られている理をますます追求し、その至極に至ることを求めるものです。これにより力を用いること久しければ、 次第に熟達して、ついに心眼開け万事に通ずれば、衆物の表裏、精粗も到らないところはなく、万理を具える全体と万事に応ずる大用を明らかにしないことはありません。 これを物格といいます。これを知の至りといいます。

伝六章
いわゆるその意を誠にするとは、自分の本心を欺かないことです。悪を悪臭を憎むがごとく憎み、善を好色を好むがごとく好めば必ず善をなすでしょう。これを自ら快しといいます。 ゆえに君子は必ずひとり知るところを慎むのです。
小人は閑居独座すれば不善をなします。ひとたび君子を見れば恐れてその不善を覆い隠して、表にはその善を表そうとします。他人が自分を見ることは、さながら肺肝を見るがごとく、 かくして何の益もないことです。これを心の中の真相は、おのずから外貌に現れるといいます。ゆえに君子は必ずその独りを慎むのです。
曾子曰く「十目の共に見るところ、十手の指すところは、決して覆い隠すことはできない。富貴なれば家屋はおのずから美しく、徳が修まればその身はおのずから美しくなる。 心もおのずから広く、身体も常にゆたかにのんびりとなる。ゆえに君子は必ずその意をまことにするのである」と。
右(上)は伝の六章で、誠意を解釈したものです。

伝七章
いわゆる身を修めるのはその心を正すにありというのは、心に怒る情があれば正しきを得ず、恐懼する情があれば正しきを得ず、好楽の情あれば正しきを得ず、憂患の情あれば、 正しきを得ないということです。
心がその正を失えば、視ても見えず、聴いても聞こえず、食べても味がわからないのです。ゆえに心を正しくしてもってその身を修めなければなりません。
右(上)は伝の七章で、心を正しくし身を修めることを解釈したものです。

伝八章
いわゆるその家を斉えるのはその身を修めるにありとは、家が斉まるのは我が身の好悪が偏らないことによるものであり、親愛するものに溺れたり、賤しみ憎むものを甚だしく捨てたり、 畏敬するものを恐懼し、哀憐するものをみだりに恩を施したりしないものです。
その人を好んでしかもその悪しきことをも知り、その人を憎んでその美点を知るものは、天下にまれです。
ゆえに諺に「人はその子の悪を知ることがなく、その苗が大いに繁茂することも知らない」とあります。これを身が修まらなければ、その家を斉うことができないということです。
右(上)は伝の八章で、身を修め家を斉えることを解釈したものです。

伝九章
いわゆる国を治めるには必ずまずその家を斉うとは、我が家さえ教えることができないのに、その国民を教えることができるわけがないことをいいます。ゆえに君子は家を出なくても、 国民はみなその徳に感化するのです。親に孝なる心をもって君に事うればすなわち忠、兄に弟なる心をもって長者に事えればすなわち順、 子弟を慈しむ心をもって衆人を使えばすなわち恵です。孝・弟・慈の三つは君子が身を修めて家を教えるゆえんであるが、国民が君に事え長に事え衆を使う道もまたこれに外なりません。
康誥に『百姓を愛することは、慈母の赤子を保つがごとし』とあります。母たる者は真心を持って赤子の欲するところを求めれば、当らずといえども遠からず、 大抵その欲するところを知ることができます。誰でも子を育てることを学んで後に嫁する者はないが、真心を持ってすればこのとおりなのです。
一家が仁であれば、一国も仁となり、一家が譲であれば、一国も譲となり、人君が利を貪って道に戻れば、一国またみなこれに倣って互いに利を争い乱をなします。 そのはずみは全く人君の一身一家にあります。これ古語に一言の失は事を敗るに足り、一人の正は国を定めるに足るといいます。
堯舜は身をもって天下を師いるに仁をもってしたので、万民はこれに従いました。 桀紂は身をもって天下を師いるに暴虐をもってしたので、民は皆互いに相欺いたのです。上の好むところ、 下必ずこれに倣うことをこの通りです。ゆえに君子は自分が仁譲の徳を有してその後に民もまた仁譲の徳あらんことを求め、自分が貪戻の心なくして、 しかる後に民の貪戻の心あるものを非とします。
このように我が身に己を推して人に及ぼすところの恕の心なければ、到底人をさとすことはできないのです。ゆえに国を治めるのは、その家を斉えなければならないのです。
詩経に『桃の花が咲きみだれ、桃の葉は蓁々と生い茂る。その女の子が嫁いで、その夫の家の人々とよく睦まじく親しむ』とあります。この女子が家人を宜しくするがごとく、 君子はその家人を宜しくして後にもって国人を教えることができます。
詩経に『兄に宜しく弟に宜し』とあります。兄にも弟にも宜しくして後にもって国人を教えることができます。詩経に『その儀たがわずもって四方の国を正す』とあります。 その家にあって父は慈、子は孝、兄は友、弟は恭にしてみなその宜しきに違わずして後に民はこれに法とるのです。
これを国を治めるのはその家を斉えるにありといいます。
右(上)は伝の九章で、家を斉え国を治めることを解釈したものです。

伝十章
いわゆる天下を平らにするのはその国を治めるにありとは、人君が老人に仕える道をもてば、民は皆これに倣って父母に孝を尽くし、人君が長者に仕える道をもてば、民は皆これに倣い、 その兄に弟を尽くします。人君が父を失った孤児を憐れめば、民はこれに倣ってあえて背くことをしません。ここに君子は推して人を度るところの絜矩の道というものがあります。
人を使うことで無礼を憎むのであれば、必ず無礼をもって下の者を使ってはなりません。仕えることで不忠であることを憎めば、上の者に不忠をもって仕えてはいけません。 前人の憎んだことを、後人に行ってはいけません。後人の憎んだことを前人に行ってはいけません。右の者の憎むやり方で左の者と交わってはいけません。 左の者の憎むやり方で右の者と交わってはいけません。これを絜矩の道といいます。
詩経に『徳ありて楽しむべき君子はすなわち民の父母である』とあります。民の心をもって民の好むところはこれを好み、民の憎むところはこれを憎みます。これを民の父母になるといいます。
詩経に『截然と切り立つ南山は岩石がごつごつしている。勢いが盛んな尹氏はあたかも南山のごとく民を見ている』とあります。国をもつ者はこのように民の仰ぎ見る所であるから、 絶えず謹慎しなければなりません。もし絜矩の道を行えば天下の物笑いとなり大なる辱となります。
詩経に『殷の未だ衆心を失わなかったとき、よく上帝に奉り、天下の君となっていた。よろしく殷をもって鑑となすべきである』とあります。衆心を得ればすなわち国を得、 衆心を失えばすなわち国を失います。
このゆえに君子はまず第一に徳を慎みます。徳あれば衆心はこれに帰服します。衆人がこれに帰服すればおのずから領土も広まるから人あれば土ありといいます。 領土が広まれば租税が多くなるから、土あれば財ありといいます。租税が多ければ国用もおのずから豊かとなるから、財あれば用ありといいます。
要するに人君の徳が本で、財は末です。もし本である徳を疎んじて末である財を集めようとすれば、民は相争い奪って飽きることを知らなくなります。このゆえに、 上に財集まれば民心は離散し、恩恵を施して財を散ずれば民心は帰服します。このゆえに人に対して理にもとる言を出せば、人もまた必ず理にもとる言をもってこれに応じます。 理にもとる方法で貨を取り入れれば、また理にもとる方法で貨は出てしまうのです。
康誥に『上天の命は決して一定しないものである』とあります。これは人君が善であれば天命を得、不善なれば天命を失うことをいったものです。
楚書に『王孫圉が晋の大夫趙簡子に答えて楚国は珠玉をもって宝とせずして、有徳の善人をもって宝とす、と言った』とあります。 舅犯曰く「富貴をもって宝とせずしてただ親に仁愛なるを宝とす」とあります。これらの語は、実に本を外にし末を内にせざるものです。
秦・誓に『ここに一人の臣があり、真面目一方の人で他の技能はないが、その心は休々として寛容で、その人を容れる度量は広大である。 他人の技能を見ればこれを愛慕して自分の技能であるように思い、他人の徳を見れば真心よりこれを好む。ただ口でこれを称賛するのみでなく、誠によく才能の士を容れる人である。 よって我が万民を保ちて永く太平を楽しませる。国家のために利益があるであろう』
ただ仁人は公平無私だから、才徳の士を妨げる人を放逐し、これを国外の四方の夷狄の地にしりぞけ、中国の地に置かないようにします。これただ仁人のみ人を愛しよく人を憎み、 好悪の正しきを得るというのです。賢人を見て登用することができず、登用しても信用することが出来ないのは怠慢といわねばなりません。不善の小人を見て退けることができず、 退けても遠ざけることができないのは過失と言わねばならない。人の憎むところを好み、人の好むところを憎むのは、人の性にもとるといいます。 必ず天罰を受けてその身に災いを受けます。
ゆえに君子には大道があります。忠信にして己の真心を尽くして欺かず偽れざれば天下を得、驕慢にして驕り高ぶり、泰肆にしてほしいままなれば天下を失うのです。
天下を治めて財政を豊かにすることは速やかにして使用するのはむやみに使わないようにすれば財政は常に足りて豊かです。
仁者は財あれば施与に務め、不仁者は貪欲にして財を蓄えます。いまだ君主が仁道を行って臣民が正義をもって事に当らないことはなく、 正義をもって事に当って成功しないことはありません。かくて自然に集まった府庫の財は永く君主の使用する財となるのです。
魯の賢大夫孟献子曰く「馬を飼うほどの家では鶏や豚を飼って民と利を争うことはしない。喪祭に氷を用いる卿大夫以上の家では、 牛や羊などを飼って民の利を侵すことはしない。戦車百乗を有する家は、民の膏血をしぼり取る臣下を使わない。もしそのような臣下を使うなら、 いっそ府庫の財を盗む臣下がいたほうが宜しい。なぜなら盗臣なら我が家の財が少し減るだけでその害は大きくない」と。
この語は、国は君主の私利をもって利とせずして、万民の公義をもって利となすをいったものです。
およそ国家の長として財用を務める者は必ず小人より始まります。小人を登用して国家を治めれば、天の災いと人の害が同時に来るでしょう。 そうすればたとえ善人君子がこれを挽回しようとしても時既に遅く、いかんともしがたいのです。そこで国は君主の私利をもって利とせずして、 万民の公義をもって利となすというのです。
右(上)は伝の十章で、国を治め天下を平らかにすることを解釈したものです。伝はすべて十章あって、前の四章は三鋼領の趣旨を論じ、 後の六章は八条目の工夫を細やかに論じてあります。そのうち第五章は致知格物の解釈で善を明らかにする要領であり、第六章は誠意の解釈で、身を誠にする大本です。
この2つは初学者の是非しなければならない急務です。これを読む人はその解釈が卑近のことだからといって、これを粗略にしてはなりません。