『三国志演義』第十二回 陶恭祖三たび徐州を譲り、曹孟徳大いに呂布と戦う

 呂布の前に夏侯惇が立ちはだかり、その隙に曹操は逃げ帰った。

 今度は劉邕の策で、呂布の城を三手に分けて攻撃したが破れてしまう。

しかも逃げる曹操と呂布はばったり出くわし、曹操はとっさに顔を手で隠した。
呂布は「曹操はどこだ」
と言うと、「あの黄馬に乗って行くのがそうでございます」
と曹操は答え、呂布はそれを追って行った。
難を逃れた曹操は典韋に助けられて陣へ戻った。

 曹操は、自分が火傷を負って死んだことにし、呂布をおびき出して打ち破った。
呂布は逃げ戻って城を固めた。
以後、睨み合ったままで動かず、曹操軍は兵糧がつきてやむなく撤退し、戦いは自然に休戦となった。

 除州では陶謙が病に倒れて病死した。
その後、除州は劉備に任せられることになった。
小沛の兵を入城させ、劉備は陶謙の葬儀を行った。

 劉備が除州を乗っ取ったと曹操は大いに怒った。
しかし、荀昱は大を棄てて小につくと諌め、先に黄巾の残党を討って兵糧を得るべきだと進言した。
そして、曹操は黄巾の砦を攻めた。
そこで、典韋は許拠と戦い、許拠は曹操に降った。
その後、曹操は黄巾を平定した。

 兵糧を得た曹操に、程昱は呂布を攻める事を進言した。
そして、兵を進めた。
呂布は陳矯の言葉を聞かずに進撃してきた。
許拠が呂布に挑んだが、曹操は「呂布はとても一人では討ち取れまい」
と言って典韋を加勢に向かわせた。
さらに夏侯惇、夏侯淵、李典、楽進が向かった。
しかし、六人がかりでも討ち取ることができなかった。
さしもの呂布も六人がかりではたまらずに逃げ去った。
しかし、呂布が逃げ帰って来ると城門が閉められ、しかたなく呂布は陳矯のいる城へと逃げていった。
しかし、陳矯達も曹操に打ち破られ城から逃れていた。

 曹操は呂布をさんざんに打ち破って大勝した。
呂布は落ち延び、途中で陳矯達と合流した。
陳矯はまだ曹操くらいは破れるといい、呂布は兵をとって返そうとする。

4004303486B00OKC2DCCB00PS2FMO4B00R3MUW60B00S5XTE8S449721009X