現在整理中の儒教の経典に関わる経部について、目次で収まりきれないものを整理マップとして抽出しました。
ちなみに、東洋思想全体の分類の仕方ですが、東洋には「四部の学」(四庫分類)という分け方があるため、その分類に準じながら整理を進めています。
■経部 (儒教の経典および注釈等。訓詁学(文字解釈)を含む)
■史部 (歴史・地理等)
■子部 (諸子百家等。天文学・暦学・医学・薬学等をも含む)
■集部 (文学作品、文芸評論)
内容は順次更新していきますので、全体を把握する際の目安としてください。
サイト全体の目次は以下となります。
・東洋思想の目次
・文化・芸術の目次
・音楽・映画・娯楽の目次
また、整理の考え方については、”諸子百家を含めた東洋思想の整理マップ! ”も参考としてください。
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■経部 – 儒教経典・経書
儒教を理解してみる
[四書(学庸論孟)]
朱子学で教学の基本と見做された‘大学’‘中庸’・『論語』『孟子』を指す。
『論語』と『孟子』は早くから重視されていたが、『礼記』中の1篇に過ぎない‘大学’‘中庸’は、古文運動が昂揚した北宋になって注目され、朱熹が重視して『論語』『孟子』と共に校訂・施注を行なったことで、朱子学の国教化とともに五経と並ぶ聖典となった。
・『論語』 – 孔子門弟(春秋・戦国)10巻20篇 11,705字
孔子の言行や、孔子と門人、門人同士の対話集。
孔子の門弟の記憶などから編集された一種の備忘録で、そのため前後矛盾している箇所もある。
全20篇中、前10篇は曾子・子思など主流派の編纂とされ、諸門人の言行が多く含まれる後10篇とは一線を画し、また最後の3篇は後世の付加と見做されている。
秩序や風俗を維持する原理として身分階級の固定化や家族道徳の遵守を強調し、これが後に忠孝論として支配階級の統治の道具となった事で、保守的礼教主義の象徴として革命後中国では批判の対象となった。
しかしその一方で、晩年の孔子には人間性を重視して社会常識に叛く“狂狷”を肯定する一面があった事も指摘される。
・『孟子』 – 孟軻(戦国)14巻7篇 34,685字
孟軻の言行録。孟子と諸侯・来客・門人との議論や対話が中心で、「心労治人、力労被治人」のように孔子の思想を発展させながらも、「重民軽君」「良禽選枝」など当時の下剋上の風潮を色濃く反映している。
仁のほか義を重視し、人間天性の資質を肯定し、その天資を昇華させる媒介として礼を論じた性善良知=性善説はよく知られる。
韓愈が注目し、朱子学に至って“四書”に数えられるほどの権威を具えたが、君主の絶対性を否定して革命を肯定した点が忌まれて洪武帝によって校訂が命じられ、日本でも江戸中期の国学者から危険思想と批判された。
孟子より学ぶ!性善説と王道に基づくリーダーの心得!
『孟子』滕文公章句と「花燃ゆ」松陰が説く学ぶ意味について!
・『大学』 – 曾参(春秋)1巻6章 1,753字(『礼記』第42篇と重複)
『礼記』中の1篇。曾子学派の編纂とされる、学問の意義を述べた書。
唐の韓愈が着目し、宋学の発展に従い‘中庸’とともに重視され、朱子に至って“四書”の一つに定められた。
朱子の注釈書は『大学』中の順序を改め増補したもので、特に『大学章句』と称して“注”とは呼ばず、学問の目標を、修身に始まり平天下に至る人間形成とした。
・『中庸』 – 孔伋(春秋・戦国)1巻19章 3,568字(『礼記』第31篇と重複)
『礼記』中の1篇。子思学派の編纂とされる。人間の天与の本性を論じ、それを“誠”と呼んだ。
礼とは関わりの薄い論説であるため漢代から注目され、宋学の隆盛とともに士大夫の修養原理を示すものとして重視され、朱子に至って“四書”の1つに数えられた。
朱子は“誠”を保つため禁欲的謹恭を奨め、そのため朱子学は束縛的傾向を帯びて封建体制を擁護する道学となり、感情解放を唱える主観的な陽明学の発生を促した。
[五経]
儒学の根本経典である『易経』『書経』『詩経』『礼経』『春秋経』の総称。
先秦時代には楽譜たる『楽』を加えた六書が重んじられたが、秦末に喪われた。
西漢の経学者は一科専修、東漢では兼修が主流で、鄭玄は後者の代表として経学の大家とも称される。
“一家一学”とも称された経学は時代と伴に分化して解釈が乱立し、西漢の石渠閣会議、東漢の白虎会議・五経石刻などは解釈の統一を目的としたもので、唐代勅撰の『五経正義』はその集大成とされる。
宋代には、『論語』『孝経』『礼記』『公羊伝』『左氏伝』『穀梁伝』『爾雅』『孟子』を加えて“十三経”の呼称も生まれた。
・『易経(周易)』 – 伏羲(神代)・周文王(周)・周公旦(周)・孔丘(春秋)2巻12篇64卦 24,107字
『周易』と、漢以降の注である‘十翼’から成り、両者を合した『易経』の称は宋以降に定着した。
『周易』の作者は文王・周公に仮託されたものの、実際には春秋時代のものとされ、記号の一種の‘爻’(陰陽2種)を3重・6重させた‘卦’(八卦・六四卦)と、それらを抽象的・暗示的に解説した‘爻辞’‘卦辞’から成っている。
占筮書とされながらも名称の由来や本来の用途は不明で、『周易』に記されている漢字の意味も、秦漢以降のものとは異なっていることが甲骨文や金石文の研究で判明している。
漢代の易学が事象から天意を解釈する象数易だったのに対し、魏以降は経文からの倫理哲学の解釈を唱える王弼の義理易が主流となり、王弼注の古文『費氏易』が『五経正義』にも採用されて現行本の元となった一方で、象数易の学統は断絶した。
従来の訓詁学を否定した宋代では、程頤が著した『程氏易伝』は義理学に於いて王弼注と双璧と讃えられた。
象数易でも数理による易卦の生成原理の解明を試みる動きがあり、太極図や先天図・河図洛書などの図像を用いた図書先天の学=易図学が興り、南宋の朱熹は義理易と象数易の統合を試みて『周易本義』を著している。
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・『書経(尚書)』 – 孔丘(春秋)20巻58篇 25,700字
『尚書』ともいわれる。虞書・夏書・商書・周書と続いて秦穆公の秦誓で終わり、王の宣誓や訓告が殆どを占める。
古くは『書』、西漢で『尚書』、宋以降に『書経』と呼ばれた。
周の史官の記録を孔子が編纂したものと称したが、魯国に伝わった周公に関する記述を中核とし、歴代の儒家によって加筆されて現今の体裁が整った。
漢武帝の世に古文尚書が発見されてより、従来の今文派との論争が発生したが、永嘉の乱で『尚書』を含む経伝の多くが散佚した。
東晋の豫章内史梅賾が新出の25篇を加えた58篇を発見し、以後はこれが正経となって唐の『五経正義』でも用いられたが、梅賾『尚書』には南宋の頃より偽作説が唱えられ、考証学が盛行した清代に閻若璩によって新出の25篇が偽作であることが証明され、この部分は『偽古文尚書』と呼ばれる。
また清末の学者の丁晏は魏の王粛の偽撰とし、『偽古文尚書』の注釈である「尚書孔安伝」は、王粛の門人である孔晁(字は安国)の作としている。
四書五経の五経『書経』より学ぶ!地平らかに天成り、六府三事、允に治まる!
・『詩経(毛詩)』 – 孔丘(春秋)・卜商(春秋・戦国)・荀況(戦国)・毛亨(漢)・毛萇(漢)305篇 39,234字
『詩』ともいわれる。西周・春秋時代の311作品を収める中国最古の詩歌集。
士大夫の教養として孔子が詩を重視した事は『論語』中にも示され、そのため孔子が擢採したとの説が生じ、早くから儒学の経典とされた。
全体の構成は各国の民謡や叙情詩の‘風(国風)’105篇、宮廷詩的な‘大雅’‘小雅’、廟歌の‘頌’40篇に大別され、‘雅’や‘頌’には長編の叙事詩的な作品も含まれる。
また韻文や興(導入)・比(比喩)などの手法も看られ、『楚辞』と並んで漢詩や楽府の成立に大きく影響した。
西漢では五経の筆頭に置かれ、『春秋』同様に章句や文字の構成から「詩篇の元となった史実に対する毀誉褒貶」を探る“美刺説”が普及し、『魯詩』『韓詩』『斉詩』の三家に博士が立てられたが、東漢では古文の『毛詩』が抬頭し、鄭玄が注を施した『毛伝鄭箋』が『五経正義』に採用されて現行本の元となった。
詩の内容自体の追求は宋代になってから行なわれ、朱子学では‘国風’を単なる民謡と規定したが、‘雅頌’については聖人の思想の存在を肯定している。
四書五経の五経『詩経』より学ぶ!3,000年以上前の太古に存在した恋愛詩!
・『礼経(儀礼/周礼)』
- 『儀礼』 – 周公旦(周)17篇 56,624字
『儀礼』は礼経の一部として伝えられた‘士礼’17篇(春秋時代の、主に士大夫の礼法の解説書)を指し、晋代に『儀礼』と改められたが、‘士礼’を以て礼経の全文とする見解も根強い。
礼学は西漢では三家に博士が立てられ、東漢の鄭玄は今文の『儀礼』と古文『礼古経』を校合し、古文『周官』や『小戴礼記』と併せて“三礼”とした。
- 『周礼』 – 周公旦(周)6篇 45,806字
『周官』とも。周公に仮託して戦国時代に作られた周の官制の説明書で、天官冢宰(中央王室)・地官司徒(行政)・春官宗伯(儀式・祭祀)・夏官司馬(軍事)・秋官司寇(司法・外交)・冬官考工記(土木)の六部から成る。
西漢武帝のとき河間献王が発見した古文経伝の1つで、欠損していた冬官に『考工記』を充てて献上したという。
王莽が依拠した古典の1つであった為に劉歆による偽作説も根強いが、宇文泰や王安石の改革でも典拠として用いられ、又た『孟子』『書経』『儀礼』『礼記』などの古書と合致しない点のあることが、劉歆による偽作説の否定材料となっている。
現行の『周礼』は東漢の鄭玄注に基づいている。
- 『考工記』
周代の、主に兵具の作成を述べた書。
語彙や、秦や鄭の刀の名称がある事などから戦国斉の偽書とされるが、古代器物の名称や製作法などは考古学に大きく寄与している。
南斉時代に戦国楚の王墓から発見された同書は、古代の科斗文字で書かれているという。
四書五経の五経『礼経』より学ぶ!大学、中庸を出典とする礼の経書!
・『春秋経』 – 孔丘(春秋)
春秋魯国の国史を孔子が編纂したものとされ、隠公の元年(B722)~哀公12年(B483)の災異や事件などの事実を簡素かつ客観的に記す。
歴史書でありながら、孔子の思想を反映していると解釈されたことから五経に数えられた。
現在は『公羊伝』『左氏伝』『穀梁伝』に包括されて伝えられている。
『春秋』を孔子の著し、微言大義(類義字を用いた暗喩的な批評)による思想の存在を指摘したのは孟子で、この春秋の筆法の解釈から春秋学が行なわれた。
漢では『公羊伝』が正学とされたが、古文学が盛行した東漢では『左氏伝』が主流となり、唐以降は『春秋』に回帰して『春秋正義』が作られた。
宋代以降は道学の盛行もあって春秋学は低調で、清代の漢学の隆盛で経書としての『春秋』が再認識されたが、疑古派によって孔子との関係は否定された。
また近年では、日蝕の的中率の高さ(95%)から同時代史である事が唱えられた一方で、惑星の位置の研究などから、戦国時代に編まれたとする見解も生じている。
四書五経の五経『春秋経』より学ぶ!膨大な解釈論が展開される春秋クロニクルの世界!
(以上『四書五経』、合計431,286字)
[六経]
・五経 上記参照
・『楽経』 現存せず。
[七経]
・五経 上記参照
・四書のうちの論語
・『孝経』 – 曾参(春秋)1巻18章 1,903字(今文)
孝経より学ぶ!生きていくために大切にすべきもの!
[九経]
・五経 上記参照
・『礼記(小戴礼)』 – 戴聖(漢)49篇 99,010字(『中庸』『大学』を含む)
もとは礼経に対する注釈書として『記』と呼ばれ、儒家に関わる逸話や冠婚葬祭の作法と意義から、文明論の展開や天人合一の思想までその内容は多岐に亘っている。
漢での礼博士は実質的に『礼記』学に対して立てられた。
西漢の戴聖が『記』から選定した『小戴礼記』49篇に、鄭玄が注を加えたものが盛行し、晋で王粛注が用いられてより二大流派となったが、鄭玄注は唐の『五経正義』に採用された事で今日まで正経として存続した。
‘大学篇’‘中庸篇’は道学者に重視されて朱子学では“四書”に数えられ、儒学の基礎書となった。
四書五経の五経『礼経』より学ぶ!大学、中庸を出典とする礼の経書!
・『春秋左氏伝(左伝)』 – 孔丘(春秋)・左丘明(春秋)・劉歆(漢・新)30巻 196,845字
春秋三伝の1つ。魯の左丘明の作と伝えられ、三伝中では唯一、古文経伝が存在する。
『春秋』本文を豊富な歴史的資料で補い、その字数は『公羊伝』『穀梁伝』の4倍に及び、史書、或いは文学作品としても重視された。
西漢末の劉歆らによる古文経学の官学化と伴に重視されて東漢では春秋学の主流となり、西晋の杜預が『春秋経』と『左氏伝』を一体化して『春秋経伝集解』を著したことで春秋学の標式となった。
唐代には春秋学が『春秋』に回帰したことで経学としての左伝学は凋落し、南宋の朱熹からは「左氏伝は史学」と評された。
古くから劉歆による偽作説(既存史書の改竄)があり、清代の常州派は古文経伝そのものを劉歆の偽作とし、近年でも田斉の『春秋』、魏の『竹書紀年』に対抗する為に韓が『春秋』に仮託したとの説が出されている。
『春秋公羊伝』 – 公羊高(春秋)11巻 44,075字
春秋三伝の1つ。西漢の景帝代に公羊寿が董仲舒に伝えたもの。
孔子の弟子の子夏の門人/斉の公羊高が著して同家で相伝されたと伝えられるが、現在の体裁となったのは景帝の時代と考えられている。
“微言大義”の解釈を問答形式で明らかにする形態で、董仲舒が黄老思想に代わる統治原理と唱えて博士が立てられ、漢代を通じて春秋学の正統と見做された。
左伝学が盛行した東漢でも白虎観会議などで官学として再確認されたが、何休の『春秋伝解詁』を以ても大勢は覆されなかった。
漢学が盛行した清朝では常州派によって再評価され、清末の学問や政治思潮に大きな影響を与えて変法派の思想的柱ともなった。
『春秋穀梁伝』 – 穀梁赤(春秋)12巻 41,512字
春秋三伝の1つ。孔子の弟子の子夏の門人/魯の穀梁俶の注と伝えられるが、『公羊伝』や法家思想の影響が認められる。
『穀梁伝』を重視した漢宣帝の世にこそ盛行したが、南北朝時代には学統は絶えていたらしい。
晋代に范寧が『春秋経』と合して著した『春秋伝集解』は、杜預(左伝学)や何休(公羊学)の著した注釈に比して客観的で、排他性・正統観は抑制されているという。
『穀梁伝』では『公羊伝』以上に尊王が強調され、又た特に日月時例の有無を微言大義として重視したが、思想性は『公羊伝』に、史料性と文学性は『左氏伝』に劣り、歴朝を通じて低調に終始した。
四書五経の五経『春秋経』より学ぶ!膨大な解釈論が展開される春秋クロニクルの世界!
[十二経]
・九経 上記参照
・七経のうちの論語
・七経のうちの孝経
・『爾雅』 – 周公旦(周)3巻19篇
十二経のひとつ、爾雅とは「四書五経」を正しく読むための現代版ウィキペディア!
[十三経]
・十二経 上記参照
・四書のうちの孟子
[経部 その他]
・『近思録』 – 朱熹(南宋)・呂祖謙(南宋)14巻
近思録より学ぶ!修己治人による精神の復興!
・『小学』 – 朱熹(南宋)・劉清之(南宋)6巻2篇
小學(小学)より学ぶ!子供の教育危機を救い自己を修める書!
・『大戴礼記』 – 戴徳(漢)13巻40篇
・『説文解字』 – 許慎(後漢)15巻 9,353字
中国最古の漢字の解説書。篆書から9353字を選んで540種の部首を設定し、漢字の造字法を象形・指事・会意・形声・転注・仮借の6種に分類し、各字ごとにその造字法と意味を解説している。
甲骨文字の発見によって解説の誤りも発見されたが、甲骨文字や金文の解読において重要な資料であることは変わっていない。
[その他]
・『太玄経』 – 楊雄の著。全10巻。
『易経』の体裁に依拠した宇宙論の書。
易の二爻六連の六十四卦に対し、三爻四連を八十一家と称して宇宙万物の生成の説明を試みたもの。
宇宙万物の根源を“玄”とし、『老子』の「三万物を生ず」に基づいて三爻を用いるなど、老荘思想の影響が強い。
三国呉の陸績、北宋の司馬光らによる注釈がある。
・『抱朴子』 – 葛洪の著。全70巻。
317年頃に成立した、不老長生術・練丹術などの仙術の解説書。
体系的“神仙道”の成立期の書物で、内篇20巻は神仙道を大系的に説明し、仙道の根本から成仙法としての練丹・導引・行気などを説いて方術に及び、神仙術が可能であることを論じている。
外篇50巻は一種の逸話集の傾向が強く、儒家思想を根本として法家思想を併せ、社会・文明の進歩を認めた上で、時政の得失や人事の善悪を論じて当時の政治社会を批判している。