『三国志演義』第二十三回 禰正平衣を脱いで賊を罵り、吉太医毒を下って刑に遇う

 孔融が、
「あの両名はもともと劉備の敵ではありません。
もし彼らを斬られば、将兵の心を失うことになりましょう」と諌めたので、劉岱と王忠は命を助けられた。

 そして、張繍と劉表を味方に付けることを進言した。

 張繍は劉邕が帰順させた。
劉表には荀攸が孔融を推挙したが、孔融は禰衡を推挙した。

 禰衡は曹操に召されたが、座を与えられなかったのを怒り、「天下は広いが、一人も人物がいない」と天を仰いだ。

 曹操が配下の名を挙げると、「荀昱は弔問の使者、荀攸は墓守、程昱は門番、賈詡カは文の読み役、張遼は太鼓打ち、許拠は牛馬の番人、楽進は書面の読み役、李典は飛脚、呂虔は刀鍛冶、満寵は酒粕でも喰わせておくによく、于禁は左官屋、夏侯惇は「己が大事将軍」、曹仁は「銭取り太守」、どれも役に立たぬ」
と馬鹿にし、怒った曹操は太鼓番を命じたが、これを見事にこなした。
孔融は、曹操が禰衡を殺してはと思って急いで劉表のもとにやった。

 劉表は、禰衡の毒舌を聞いて面白くなかったが、殺しては賢人を殺した汚名をかけられると思って、江夏の黄祖のもとにやった。
黄祖は禰衡に、「ほこらの神様で役に立たぬ」と言われ、怒って斬り殺した。

 曹操は禰衡が殺されたのを知って兵をおこそうとしたが、荀昱に袁紹が先であると諌められた。

 曹操はある日、病気にかかりキツタイに治療させていた。

 董承は名医のキツタイを曹操抹殺の仲間に加え毒殺を企てた。
しかし、下僕の秦慶童と妾のウンエイに聞かれてしまい、捕らえて棒打ち四十喰らわせた。
秦慶童は恨んで曹操に事を伝えた。

 それを知らずにキツタイは曹操に毒を盛った薬を呑ませようとするが、逆に捕らえられていしまった。
さらに、連判状に連ねたオウジフクらも捕らえられた。

 そして、曹操は館に戻って献帝を廃して新君を立てようとした。

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