『三国志演義』第五十五回 玄徳智もて孫夫人を激せしめ、孔明二たび周公瑾を気らしむ

侍女達が薙刀を持っているのを見て驚いていると、
「お殿さま、奥方様は幼いころより武術をお好みで常に侍女達に撃剣をさせてはお楽しみ遊ばれていたゆえ、このようにされているのでございます。」
「これは女のすべき事ではない。落ちつかぬからしばらくとりはらってくれい。」
と人払いをした。
周瑜は孫夫人が嫁に取られたのを知って大いに驚き、呆然としていたが、しばらくして一計を思いついた。それは、劉備に美女を送り、館に住まわせて呉に引き留め、その隙に攻めるというものであった。
孫権は大いに喜んで早速、館と美女を与えた。呉国太も孫権の好意であると思い、大いに喜んだ。そして、劉備も荊州に帰ることも忘れて楽しんでいた。

年も暮れかかるころ、趙雲は、諸葛亮から渡された錦を思いだし中を見た。そして、劉備に魏が荊州に攻め込んだと言って、荊州に戻るようにさせた。そこで、劉備は元旦に、祖先の霊を祭りたいと言って、孫夫人を従えて脱出した。陳武、潘璋、蒋欽、周泰、徐盛、丁奉が追ってきたが、趙雲は錦を開いて、劉備にそれを見せた。
劉備は今回の婚儀が呉の謀略であった事を孫夫人に話し、孫夫人が怒って、
「兄が私を他人同然に扱ったのなら、私も二度と兄と会うつもりはございません。」
と言って、追手に向かって、
「お前達は周瑜の言うことは聞いても、わらわの言うことが聞けぬのか。」
となじり、軍勢を引かせた。

劉備らは、劉郎浦に入り諸葛亮らに迎えられた。そして、劉備が船を進めるうちに、周瑜自ら大軍を率いて追ってきた。諸葛亮は岸に上がって黄州の境まで来ると、関羽の軍が討って出て、追ってきた周瑜は慌てて逃げ出した。
そして、劉備等の兵から
「夫人を取られて、戦にも勝てぬ。」
とはやし立てられて、南郡で受けた古傷が開いて昏倒した。

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