歌舞伎は世界に誇る、日本の伝統芸能です。
しかし、元々400年前に登場したときには、大衆を喜ばせるための一大エンターテイメントだったのです。
なんとなく難しそうなので、ということで敬遠されている方も多いのかもしれませんが、そもそもは庶民の娯楽だったもの。
一度観てみれば、華やかで心ときめく驚きと感動の世界が広がっているのです。
しかも歌舞伎は、単に400年もの間、ただただ伝統を受け継いできただけではありません。
時代に呼応して常に変化し、発展・進化してきているのです。
This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(4) 演目の分類と一覧について
前回は歌舞伎の演目をざっと整理してみましたので、ここからは具体的な演目の内容について触れてみましょう。
今回は、時代物の中から『傾城反魂香』です。
『傾城反魂香』は、近松門左衛門が人形浄瑠璃に書き下ろし、人気狂言として歌舞伎でも繰り返し上演されている三段構成から成る演目です。
江戸時代の初期に活躍した岩佐又兵衛という絵師の伝説などに取材した作品ですが、現在は浮世又平の奇跡を描いた上の段の「土佐将監閑居の場」、通称「吃又」がたびたび上演されています。
絵師狩野元信と恋人・銀杏の前の恋愛に、正直な絵師又平(岩佐又兵衛がモデル)の逸話と、名古屋山三と不破伴左衛門との争いから来るお家騒動をないまぜにしたもので、歌舞伎の初演で三代目嵐三右衛門が又平をつとめて以来、多くの役者によって又平の人間像が練り上げられており、片岡仁左衛門のお家芸「片岡十二集」の一つともなっています。
[上之巻](越前気比の浦の場・江州高嶋屋形の場・山科土佐将監閑居の場)
近江国の大名・六角頼賢が名松の絵本を集めているのを聞いた狩野元信は、有名な武隈の松を描くため、越前気比の浦に行く。そこで父土佐将監のために身を沈めた傾城・遠山に出会い、お互いの素性を語る。
遠山は、笠を枝葉に見立てて家の秘伝の松の筆法を教え、将来の契りを約束する。
六角家の家老・名古屋山三に推挙された元信は、心を寄せる銀杏の前の計略に乗せられて、祝言の盃を交わし結婚が成立する。
これを知った執権の不破道犬、伴左衛門父子は、元信に無実の罪をかぶせて捕え、柱に縛り付けるが、元信が自分の血で襖戸に描いた虎に魂が入って動き出し、元信を背に乗せて敵を追い散らす。
そうして有名な山科土佐将監閑居の場。元信が描いた虎が近郷を荒らし、土佐将監の庵に現われる。絵と見破った将監の弟子・修理之介が「土佐」の苗字を許され、見事に虎を筆で消し去ってしまう。
【山科土佐将監閑居の場 「吃又」 】
時の帝の勘気を受け、絵師・土佐将監は妻の北の方と山科の国に隠れ住んでいる。
その里に虎が出没する騒ぎが起こり、弟子の修理之助は我が国に虎は住まぬのにといぶかる。
そこへ裏の藪から巨大な虎が出現。驚き恐れる村人を尻目に、将監はこの虎こそ名人狩野四郎次郎元信筆の虎に魂が入ったものと見破る。
修理之助はわが筆力でかき消さんと筆をふるい、見事に描き消す。
弟子の実力を認めた将監は、修理之助に土佐光澄の名と免許皆伝の書とを与える。
これを聞いた兄弟子の浮世又平は妻のお徳ともども、師に免許皆伝を頼み込む。
又平は人がよく絵の腕は抜群なのだが、生まれついての吃音の障害を持ち、欲がない。
折角の腕を持ちながら大津絵を書いて生計を送る有様である。
そんな弟子にいら立ちを覚えた師は覇気がないとみなして許可しない。
妻のお徳が口の不自由な夫に代わって縷々申し立てても駄目であった。
折しも元信の弟子の雅楽之助が、師の急難を告げる。
又平は、これこそ功をあげる機会と助太刀を願うが、これもあえなく断られ、修理之助が向かうことになる。
何をやっても認められない。
これも自身の障害のためだと絶望した又平は死を決意する。
夫婦涙にくれながら、せめてもこの世の名残に絵姿を描き残さんと、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。
「名は石魂にとどまれ」と最後の力を込めて描いた絵姿は、あまりの力の入れように、描き終わっても筆が手から離れないほどであった。
水杯を汲もうとお徳が手水鉢に眼をやると、何と自画像が裏側にまで突き抜けているのであった。
「かか。ぬ、抜けた!」と驚く又平。お前の執念が奇跡を起こしたのだと感心した将監は、又平の筆力を認め土佐光起の名を与え免許皆伝とし、元信の救出を命じた。
これにより又平は、めでたく「土佐」の苗字を授けられ、土佐光起を名乗る。
又平は、北の方より与えられた紋付と羽織袴脇差と礼服を身につけ、お徳の叩く鼓に乗って心から楽しげに祝いの舞「大頭の舞」を舞う。
そして舞の文句を口上に言えば、きちんと話せることがわかる。
将監から晴れて免許状の巻物と筆を授けられた又平夫婦は喜び勇んで助太刀に向かうのであった。
[中之巻](六条三筋町大門口の場・同舞鶴屋の場・北野右近の馬場の場・北野社人の宅の場・三熊野かげろう姿・北野社人の宅の場)
京の島原で、不破伴左衛門の死体が見つかり、遣手のみやが巧みな弁舌を振るって詮議の役人を追い返す。
このみやこそ、落ちぶれた傾城遠山であった。
そこに、元信が門付け芸人に身をやつして訪れ、4年ぶりにみやと対面。
元信が銀杏の前と夫婦になると知って、悲嘆にくれる
みやは、白無垢姿で銀杏の前の花嫁駕籠を襲い、みやの心情を汲んだ銀杏の前は49日間だけ身代わりとなって元信に添うことを許す。
その婚礼5日目に、元信の家を訪れた名古屋山三は、廓の者からみやが7日前に死んだと知らされる。さてはみやは亡霊かと驚いて様子を見ると、元信はみやの願いで熊野三山の絵を寝室の襖に描き、これを背に熊野詣での道行。
しかし、みやが逆立ちで歩む姿に気づき、元信はみやがこの世の者でないことを知る。
一方、不破道犬らは自分らの悪だくみが露見して捕えられ、役人に引き立てられる。
[下之巻](山科土佐将監山庄の場)
高い官位を得た元信が、将監を訪れて勅勘お許しを伝える。
そして名古屋山三の発案で、亡き遠山の代わりに銀杏の前を娘分として、傾城の道中姿で来させ、元信と祝言を挙げさせる。