【源氏物語】 (捌拾陸) 玉鬘 第四章 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「玉鬘」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ

第四章 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語
 [第一段 右近、六条院に帰参する]
 右近は、大殿に参上した。このことをちらっとお耳に入れる機会もあろうかと思って、急ぐのであった。ご門を入るや、感じが格別に広々として、退出や参上する車が多く行き来している。一人前でもない者が出入りするのも、気のひける思いがする玉の御殿である。その夜は御前にも参上しないで、思案しながら寝た。
 翌日、昨夜里から参上した身分の高い女房、若い女房たちの中で、特別に右近をお召しになったので、晴れがましい気がする。大臣も御覧になって、
 「どうして、里住みを長くしていたのだ。めずらしく寡婦が、うって変わって、若変ったようなことでもしたのでしょうか。きっとおもしろいことがあったのでしょう」
 などと、例によって、返事に困るような、冗談をおっしゃる。
 「お暇をいただいて、七日以上過ぎましたが、おもしろいことなどめったにございません。山路歩きしまして、懐かしい人にお逢いいたしました」
 「どのような人か」
 とお尋ねになる。「ここで申し上げるのも、まだ主人にお聞かせ申さないで、特別に申し上げるようなのを、後でお聞きになったら、自分が隠しごとを申したとお思いになるのではないかしら」などと、思い悩んで、
 「そのうちにお話申し上げましょう」
 と言って、女房たちが参上したので、中断した。
 大殿油などを点灯して、うちとけて並んでいらっしゃるご様子、たいそう見ごたえがあった。女君は、二十七、八歳におなりになったであろう、今を盛りといよいよ美しく成人されていらっしゃる。少し日をおいて拝見すると、「また、この間にも美しさがお加わりになった」とお見えになる。
 あの姫君をとても素晴らしい、この女君に負けないくらいだと拝見したが、思いなしか、やはりこの女君はこの上ないので、「運のある方とない方とでは、違いがあるものだわ」と自然と比較される。

 [第二段 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る]
 お寝みになろうとして、右近をお足さすらせに召す。
 「若い女房は、疲れると言って嫌がるようです。やはりお互いに年配どうしは、気が合ってうまくいきますね」
 とおっしゃると、女房たちはひそひそと笑う。
 「そうですわ。誰が、そのようにお使い慣らされるのを、嫌がりましょう」
 「やっかいなご冗談をお言いかけなさるのが、煩わしいので」
 などと互いに言う。
 「紫の上も、年とった者どうしが仲よくし過ぎると、それはやはり、ご機嫌を悪くされるだろうと思うよ。そのようなこともなさそうなお心とは見えないから、危険なものです」
 などと、右近に話してお笑いになる。たいそう愛嬌があって、冗談をおっしゃるところまでがお加わりになっていらっしゃる。
 今では朝廷にお仕えし、忙しいご様子でもないお身体なので、世の中の事に対してものんびりとしたお気持ちのままに、ただとりとめもないご冗談をおっしゃって、おもしろく女房たちの気持ちをお試しになるあまりに、このような古女房をまでおからかいになる。
 「あの捜し出した人というのは、どのような人か。尊い修行者と親しくして、連れて来たのか」
 とお尋ねになると、
 「まあ、人聞きの悪いことを。はかなくお亡くなりになった夕顔の露の縁のある人を、お見つけ申したのです」
 と申し上げる。
 「ほんとうに、思いもかけないことであるなあ。長い年月どこにいたのか」
 とお尋ねになるので、真実そのままには申し上げにくいので、
 「辺鄙な山里に、昔の女房も幾人かは変わらずに仕えておりましたので、その当時の話を致しまして、たまらない思いが致しました」
 などとお答え申した。
 「よし、事情をご存知でない方の前だから」
 とお隠し申しなさると、紫の上は、
 「まあ、やっかいなお話ですこと。眠たいので、耳に入るはずもありませんのに」
 とおっしゃって、お袖で耳をお塞ぎになった。
 「器量などは、あの昔の夕顔に劣らないだろうか」
 などとおっしゃると、
 「きっと母君ほどでいらっしゃるまいと存じておりましたが、格別に優れてご成長なさってお見えになりました」
 と申し上げるので、
 「興味あることだ。誰くらいに見えますか。この紫の君とは」
 とおっしゃると、
 「どうして、それほどまでは」
 と申し上げるので、
 「得意になって思っているのだな。わたしに似ていたら、安心だ」
 と、実の親のようにおっしゃる。

 [第三段 源氏、玉鬘を六条院へ迎える]
 このように聞き初めてから後は、幾度もお召しになっては、
 「それでは、その人を、ここにお迎え申そう。長年、何かの折ごとに、残念にも行く方がわからなくなったことを思い出していたが、とても嬉しく聞き出しながら、今まで会わないでいるのも、つまらなことだ。
 父の大臣には、どうして知らせる必要があろうか。たいそう大勢の子どもたちに大騷ぎしているようであるが、数ならぬ身で、今初めて仲間入りしたところで、かえってつらい思いをすることであろう。わたしは、このように子どもが少ないので、思いがけない所から捜し出したとでも言っておこうよ。好色者たちに気をもませる種として、たいそう大切にお世話しよう」
 などとうまくおっしゃるので、一方では嬉しく思うものの、
 「ただお心のままにどうぞ。父大臣にお知らせ申すとしても、どなたがお耳にお入れなさいましょう。むなしくお亡くなりになった方の代わりに、何としてでもお助けあそばすことが、罪滅ぼしあそばすことになりましょう」
 と申し上げる。
 「ひどく言いがかりをつけますね」
 と、苦笑いしながら、涙ぐんでいらっしゃる。
 「しみじみと、感慨深い関係であったと、長年思っていた。このように六条院に集っている方々の中に、あの時のように気持ちを惹かれる人はなかったが、長生きをして、自分の愛情の変わらなさを見ております人々が多くいる中で、言っても詮ないことになってしまい、右近だけを形見として見ているのは、残念なことだ。忘れる時もないが、そのようにここにいらしてくれたら、たいそう長年の願いが叶う気持ちがするに違いない」
 と言って、お手紙を差し上げなさる。あの末摘花の何とも言いようもなかったのをお思い出しになると、そのように落ちぶれた境遇で育ったような人の様子が不安になって、まずは、手紙の様子がどんなものかと思わずにはいらっしゃれないのであった。きまじめに、それにふさわしくお認めになって、端の方に、
 「このようにお便り申し上げますのを、
  今はご存知なくともやがて聞けばおわかりになりましょう
  三島江に生えている三稜のようにわたしとあなたは縁のある関係なのですから」
 とあったのであった。
 お手紙は、右近みずから持参して、おっしゃる様子などを申し上げる。ご装束、女房たちの物などいろいろとある。紫の上にもご相談申し上げられたのであろう、御匣殿などでも、用意してある品物を取り集めて、色あいや、出来具合などのよい物をと、選ばせなさったので、田舎じみた人々の目には、ひとしお目を見張るほどに思ったのであった。

 [第四段 玉鬘、源氏に和歌を返す]
 ご本人は、
 「ほんの申し訳程度でも、実の親のお気持ちならば、どんなにか嬉しいであろう。どうして知らない方の所に出て行けよう」
 と、ほのめかして、苦しそうに悩んでいたが、とるべき態度を、右近が申し上げ教え、女房たちも、
 「自然と、そのようにしてあちらで一人前の姫君となられたら、大臣の君もお聞きつけになられるでしょう。親子のご縁は、けっして切れるものではありません」
 「右近が、物の数ではございませんが、ぜひともお目にかかりたいと念じておりましたのさえ、仏神のお導きがございませんでしたか。まして、どなたもどなたも無事でさえいらしたら」
 と、皆がお慰め申し上げる。
 「まずは、お返事を」と、無理にお書かせ申し上げる。
 「とてもひどく田舎じみているだろう」
 と恥ずかしくお思いであった。唐の紙でたいそうよい香りのを取り出して、お書かせ申し上げる。
 「物の数でもないこの身はどうして
  三稜のようにこの世に生まれて来たのでしょう」
 とだけ、墨付き薄く書いてある。筆跡は、かぼそげにたどたどしいが、上品で見苦しくないので、ご安心なさった。
 お住まいになるべき部屋をお考えになると、
 「南の町には、空いている対の屋などはない。威勢も特別でいっぱいに使っていらっしゃるので、目立つし人目も多いことだろう。中宮のいらっしゃる町は、このような人が住むのに適してのんびりしているが、そうするとそこにお仕えする女房と同じように思われるだろう」とお考えになって、「少し埋もれた感じだが、丑寅の町の西の対が、文殿になっているのを、他の場所に移して」とお考えになる。
 「一緒に住むことになっても、慎ましく気立てのよいお方だから、話相手になってよいだろう」
 とお決めになった。

 [第五段 源氏、紫の上に夕顔について語る]
 紫の上にも、今初めて、あの昔の話をお話し申し上げたのであった。このようお心に秘めていらしたことがあったのを、お恨み申し上げなさる。
 「困ったことですね。生きている人の身の上でも、問わず語りは申したりしましょうか。このような時に、隠さず申し上げるのは、他の人以上にあなたを愛しているからです」
 と言って、とてもしみじみとお思い出しになっていた。
 「他人の身の上として大勢見て来たが、ほれほどにも思わなかった中でも、女性というものの愛執の深さを多数見たり聞いたりしてきましたので、少しも浮気心はつかうまいと思っていたが、いつの間にかそうあってはならなかった女を多数相手にした中で、しみじみとひたすらかわいらしく思えた方では、他に例がなく思い出されます。生きていたならば、北の町におられる人と同じくらいには、世話しないことはなかったでしょう。人の有様は、いろいろですね。才気があり趣味の深い点では劣っていたが、上品でかわいらしかったなあ」
 などとおっしゃる。
 「そうは言っても、明石の方と同じようには、お扱いなさらないでしょう」
 とおっしゃる。やはり、北の殿の御方を、気にさわる者とお思いであった。姫君が、とてもかわいらしげに何心もなく聞いていらっしゃるのが、いじらしいので、また一方では、「もっともなことだわ」と思い返しなさる。

 [第六段 玉鬘、六条院に入る]
 こういう話は、九月のことなのであった。お渡りになることは、どうしてすらすらと事が運ぼうか。適当な童女や、若い女房たちを探させる。筑紫では、見苦しくない人々も、京から流れて下って来た人などを、縁故をたどって呼び集めなどして仕えさせていたのも、急に飛び出して上京なさった騒ぎに、皆を残して来たので、また他に女房もいない。京は自然と広い所なので、市女などのような者を、たいそううまく使っては探し出して、連れて来る。誰それの姫君などとは知らせなかったのであった。
 右近の実家の五条の家に、最初こっそりとお移し申し上げて、女房たちを選びすぐり、装束を調えたりして、十月に六条院にお移りになる。
 大臣は、東の御方にお預け申し上げなさる。
 「いとしいと思っていた女が、気落ちして、たよりない山里に隠れ住んでいたのだが、幼い子がいたので、長年人に知らせず捜しておりましたが、聞き出すことが出来ませんで、年頃の女性になるまで過ぎてしまったが、思いがけない方面から、聞きつけた時には、せめてと思って、お引き取りするのでございます」と言って、「母も亡くなってしまったのです。中将をお預け申し上げましたが、不都合ありませんね。同じようにお世話なさってください。山家育ちのように成長してきたので、田舎めいたことが多くございましょう。しかるべく、機会にふれて教えてやってください」
 と、とても丁寧にお頼み申し上げなさる。
 「なるほど、そのような人がいらっしゃるのを、存じませんでしたわ。姫君がお一人いらっしゃるのは寂しいので、よいことですわ」
 と、おおようにおっしゃる。
 「その母親だった人は、気立てがめったにいないまでによい人でした。あなたの気立ても安心にお思い申しておりますので」
 などとおっしゃる。
 「相応しくお世話している人などと言っても、面倒がかからず、暇でおりますので、嬉しいことですわ」
 とおっしゃる。
 殿の内の女房たちは、殿の姫君とも知らないで、
 「どのような女を、また捜し出して来られたのでしょう」
 「厄介な昔の女性をお集めになることですわ」
 と言った。
 お車を三台ほどで、お供の人々の姿などは、右近がいたので、田舎くさくないように仕立ててあった。殿から、綾や、何やかやかとお贈りなさっていた。

 [第七段 源氏、玉鬘に対面する]
 その夜、さっそく大臣の君がお渡りになった。その昔、光る源氏などといった評判は、始終お聞き知り申し上げていたが、長年都の生活に縁がなかったので、それほどともお思い申していなかったが、かすかな大殿油の光に、御几帳の隙間からわずかに拝見すると、ますます恐ろしいまでに思われるお美しさであるよ。
 お渡りになる方の戸を、右近が掛け金を外して開けると、
 「この戸口から入れる人は、特別な気がしますね」
 とお笑いになって、廂の間のご座所に膝をおつきになって、
 「燈火は、とても懸想人めいた心地がするな。親の顔は見たいものと聞いている。そうお思いなさらないかね」
 と言って、几帳を少し押しやりなさる。たまらなく恥ずかしいので、横を向いていらっしゃる姿態など、たいそう難なく見えるので、嬉しくて、
 「もう少し、明るくしてくれませんか。あまりに奥ゆかしすぎる」
 とおっしゃるので、右近が、燈芯をかき立てて少し近付ける。
 「遠慮のない人だね」
 と少しお笑いになる。なるほど似ていると思われるお目もとの美しさである。少しも他人として隔て置くようにおっしゃらず、まことに実の親らしくして、
 「長年お行く方も知らないで、心から忘れる間もなく嘆いておりましたが、こうしてお目にかかれたにつけても、夢のような心地がして、過ぎ去った昔のことがいろいろと思い出されて、堪えがたくて、すらすらとお話もできないほどですね」
 と言って、お目をお拭いになる。ほんとうに悲しく思い出さずにはいられない。お年のほど、お数えになって、
 「親子の仲で、このように長年会わずに過ぎた例はあるまいものを。宿縁のつらいことであったよ。今は、恥ずかしがって、子供っぽくなさるほどのお年でもあるまいから、長年のお話なども申し上げたいのだが、どうして何もおっしゃってくださらぬのか」
 とお恨みになると、申し上げることもなく、恥ずかしいので、
 「幼いころに流浪するようになってから後、何ごとも頼りなく過ごして来ました」
 と、かすかに申し上げなさるお声が、亡くなった母にたいそうよく似て若々しい感じであった。微笑して、
 「苦労していらっしゃったのを、かわいそうにと、今は、わたしの他に誰が思いましょう」
 と言って、嗜みのほどは悪くはないとお思いになる。右近に、しかるべき事柄をお命じになって、出て行かれた。

 [第八段 源氏、玉鬘の人物に満足する]
 無難でいらっしゃったのを、嬉しくお思いになって、紫の上にもご相談申し上げなさる。
 「ある田舎に長年住んでいたので、どんなにおかわいそうなと見くびっていたのでしたが、かえってこちらが恥ずかしくなるくらいに見えます。このような姫君がいると、何とか世間の人々に知らせて、兵部卿宮などが、この邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたいものだ。風流人たちが、たいそうまじめな顔ばかりして、ここに見えるのも、こうした話の種になる女性がいないからである。たいそう世話を焼いてみたいものだ。知っては平気ではいられない男たちの心を見てやろう」
 とおっしゃると、
 「変な親ですこと。まっさきに人の心をそそるようなことをお考えになるとは。よくありませんよ」
 とおっしゃる。
 「ほんとうにあなたをこそ、今のような気持ちだったならば、そのように扱って見たかったのですがね。まったく心ない考えをしてしまったものだ」
 と言って、お笑いになると、顔を赤くしていらっしゃる、とても若く美しい様子である。硯を引き寄せなさって、手習いに、
 「ずっと恋い慕っていたわが身は同じであるが
  その娘はどのような縁でここに来たのであろうか
 ああ、奇縁だ」
 と、そのまま独り言をおっしゃっるので、「なるほど、深くお愛しになった女の忘れ形見なのだろう」と御覧になる。

 [第九段 玉鬘の六条院生活始まる]
 中将の君にも、
 「このような人を尋ね出したので、気をつけて親しく訪れなさい」
 とおっしゃったので、こちらに参上なさって、
 「つまらない者ですが、このような弟もいると、まずはお召しになるべきでございましたよ。お引っ越しの時にも、参上してお手伝い致しませんでしたことが」
 と、たいそう実直にお申し上げになるので、側で聞いているのもきまりが悪いくらいに、事情を知っている女房たちは思う。
 思う存分に数奇を凝らしたお住まいではあったが、あきれるくらい田舎びていたのが、何とも比べようもなく思われるよ。お部屋のしつらいをはじめとして、当世風で上品で、親、姉弟として親しくお付き合いさせていただいていらっしゃるご様子、容貌をはじめ、目もくらむほどに思われるので、今になって、三条も大弍を軽々しく思うのであった。まして、大夫の監の鼻息や態度は、思い出すのも忌ま忌ましいことこの上ない。
 豊後介の心根を立派なものだと姫君もご理解なさりになり、右近もそう思って口にする。「いい加減にしていたのでは不行き届きも生じるだろう」と考えて、こちら方の家司たちを任命して、しかるべき事柄を決めさせなさる。豊後介も家司になった。
 長年田舎に沈淪していた心地には、急にすっかり変わり、どうして、仮にも自分のような者が出入りできる縁さえないと思っていた大殿の内を、朝な夕なに出入りし、人を従えて、事務を行う身」となることができたのは、たいそう面目に思った。大臣の君のお心配りが、細かに行き届いて世にまたとないほどでいらっしゃることは、たいそうもったいない。

 

4043574053B008B5CGAS439661358XB009KYC4VA4569675344B00BHHKABOB00CM6FO4C4122018250