『三国志演義』第十一回 劉皇叔北海に孔融を救い、呂温侯濮陽に曹操を破る
策を献じたのは糜竺である。 その策は、北海の孔融と青州の田楷に援軍を要請することであった。 陶謙は早速書状を書き、田楷に陳登を、孔融...
知命立命 心地よい風景 〜リベラルアーツ・知性と教養の海原〜
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策を献じたのは糜竺である。 その策は、北海の孔融と青州の田楷に援軍を要請することであった。 陶謙は早速書状を書き、田楷に陳登を、孔融...
李傕、郭嘉は、献帝を殺そうとしたが、張済、范疆に諌められ官位を貰って引き下がった。 大権を手にした李傕、郭嘉の手によって再び暴政が始まり...
董卓を突き倒した男は軍師李儒であり、呂布を殺そうとしているのをなだめに来た時にぶつかってしまったのである。 董卓は李儒に説得されて思いと...
『三国志(正史)』を元にして施耐庵あるいは羅貫中によって描かれた『三国志演義』を日々お届けしているところですが、改めてここ三国時代に至るまで...
カイリョウの進言に劉表は、義が立たぬと言ってカンカイを送り返して孫権の屍と黄祖の交換を約束した。 孫策は父と手厚く葬った。 董卓は長...
程普、黄蓋、韓当の三人の活躍によって劉表の追撃の危機を脱した孫権だが、この一件以降、劉表とは多々対峙することになる。 袁術は韓馥の領土...
張飛は関の下まで迫ったが、矢石が雨のように降り注ぎやむなく引き返した。 諸侯は三人の勲功をたたえて、袁術に勝利を報じる使者をたてた。 ...
曹操を殺そうとした陳宮だが、ここで彼を殺せば義が立たなくなると思い直しその場を去った。 曹操が気が付いた時には彼の姿はなく、急いで陳留の...
「大事が決まっていないのに、みだりに人を殺してはなりませぬ。」と、またも董卓を諌めたのは軍師李儒。 袁術は宝刀をひっさげたまま落ちて行っ...
「宦官が国の大事をあやまったことは今に始まった事ではない。 その元凶を除けばよく、諸国の兵を集めるに及ばぬ。」と曹操は言った。 しか...
董卓を殺そうとした張飛をあわてて劉備と関羽が引き止めた。 「我らは生死を誓った仲。役人を斬って追われよりここを去ろう。」と言い、張飛も 「...
漢朝は高祖が白蛇を斬って義兵を興し、天下統一をしたのに始まり、後に光武帝の中興があって、以来献帝まで伝わり、ついに三国に分かれた。 この...
『三国志演義』、正式には『三国演義』は四大奇書の一つで、明の時代に施耐庵あるいは羅貫中によって書かれた中国の通俗歴史小説です。 ※)三大奇書...
以前道教を理解してみるの回でも少し触れた陰陽道に関連して、今回は十二天祥星占術とも言われている六壬神課に関わる整理です。 陰陽道は、陰陽寮...
現在整理中の四部の学における歴史・地理・類書に関わる史部について、目次で収まりきれないものを整理マップとして抽出してまいります。 ちなみに、...
『厚黒学』という、清の末期に書かれた英雄になるための研究書があります。 その原則は「面の皮は城壁より厚く、腹は石炭よりも黒く生きよ」。 これ...
『二十四史』は、18世紀の清朝乾隆年間に勅撰された中国の王朝の正史正24書の総称のことで、上代における伝説上の帝王「黄帝」から明滅亡の164...
『講孟箚記』(こうもうさっき)は、吉田松陰がペリー艦隊に密航しようとして失敗し、江戸伝馬町の獄につながれた後に故郷の長州へ移送され、萩城下の...
今日は、黒田官兵衛の生誕日(天文15年11月29日、1546年12月22日)ということもあり、軍師、軍略という観点から、ビジネスの在り方をち...
兵法の代表的古典「武経七書」のひとつ、『六韜(リクトウ)』です。 周の文王・武王と太公望との対話という形を成して、政治のあり方、国のあり方、...