八十八箇所巡礼に思うこと。

八十八箇所は全国各地にありますが、単に八十八箇所というと、四国霊場のもっとも代表的な札所である四国八十八ヶ所(お四国さん、本四国とも言われる)を指します。

これは空海(弘法大師)ゆかりの88か所の寺院の総称で、その足跡を辿り、四国八十八ヶ所の霊場を巡拝することを四国遍路、四国巡拝といいます。
そもそも巡礼者が持つ笠には「同行二人」(ひとりは自分、もう一人は弘法大師の意)と書かれており、弘法大師様と二人で巡礼の道を歩く、それがお遍路になるという訳です。
今年(2014年)は、四国八十八ヶ所霊場開創1200年の年にあたり、普段は拝見できない仏像や本堂のご開帳もあり、例年になく巡礼者で賑わっているらしいですね。

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では、そもそもお遍路の目的って何でしょうか?
一般には、ただ苦行行脚するものぐらいのイメージしかないですが、大きくわけて3つ程の目的が挙げられます。
一つ目「追善供養」。今は亡き人の冥福を願い、巡礼するものです。
私も今年の5月に母を亡くしたこともあって、八十八箇所巡礼ということがあるのを知ったことから、6月に地元(名古屋)の覚王山八十八ヶ所へ札所巡礼を行ってきました。(このあたりのことは、また後日整理します)
二つ目「予修供養」。生前に、あらかじめ自らの死後の冥福を祈るものです。
予修とは”命日より日を繰り上げて仏事を行うこと”を意味するので、まさに予め修する自らの仏事ということになります。
三つ目「自分探し」。健康祈願、自分探しや開運・縁結びといった身近な願いを抱えたものです。
最近では、信仰的な発心、というよりは、このように癒しやリフレッシュを兼ねて、日帰りで何度か訪れる、という巡礼者も多い、と聞きます。

なお、空海ゆかりの足跡巡りということで、真言宗でないとお遍路できないのでは?と思ってしまいますが、そうでもありません。
実際、心をこめて拝むことができる人であれば、信仰心の有無や宗派への拘りはないので、それよりも巡礼の目的を明確にしてきちんと行脚することの方が大事となります。

必要な道具や巡礼の場所、回り方や作法などは、さっと検索すれば数多出てくるので、ここでは細かい説明は省略させて頂きます。

実際、自分の地域の八十八箇所などを巡るとわかるのですが、札所とは言っても廃止されたり移動されていたり統合・分離したり、壊れかかって維持が大変だったりするところがかなり見受けられます。
明治初頭の神仏分離令およびそれをきっかけにおこった廃仏毀釈運動により、それまで札所だった神社から別当寺へ霊場を移したり、神仏習合の寺が神社と分離独立したり、寺そのものが廃寺になったりと、霊場の在り方自体が大きく変わった時期もあったそうですが、今の現状はそもそもの維持・管理・修復の大変さにあることが実感されます。
最近のお遍路の在り方をファッション化、観光化して望ましくない、とみる方もいらっしゃいますが、実際に足を運んで頂き、現状を見て、これは後世に残していく必要のあるものだ、ということをひとりでも多くの方々に知って頂くことの方が、(札所だけに限りませんが)大事なことだと思っています。
1000年を越える歴史を有する巡礼・お遍路文化ですから、世界文化遺産として登録できるような動きも大事な動きのひとつかも知れません。
Change.orgなどで署名キャンペーンなどを繰り広げてみてはどうでしょうか。
一案です。

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