先日、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」※)で松陰が触れた山鹿素行※2)の著書についての続きです。
※)先日の話題については、”
※2)山鹿素行については、以前に整理した内容も参考にしてください。
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・武教小学、武教全書より学ぶ!生きる上での基本と道徳的な修養の基本について
素行は、45歳のときに著した『聖教要録』で、幕府の官学・朱子学を痛烈に批判した罪により江戸を追われて赤穂へ流謫となります。
赤穂ではひたすら学問と著述に没頭し、48歳のときには日本の国体についての名著『中朝事実』を書き上げました。
54歳で配流が許されて江戸へ戻り、その後の10年間は軍学を教えた後、生涯を閉じています。
今回は、そんな『中朝事実』について、です。
『中朝事実』は、万世一系、皇室が連綿と続いている日本は、三種の神器が象徴する智・仁・勇の三徳においてはるかに優れており、日本こそ世界の中心にある国だと説き、皇統の系譜と事績を記して、その正統性と政治的権威による「君臣の義」を歴史に即して述べたものです。
日本主義的傾向は明らかではありますが、中国において聖人の示した政治理念が日本において実現していたことを普遍的な基準によって解説したものであり、儒教そのものを否定する国学の傾向とは異なっており、後年(ある種現代でも)誤解されているような国粋主義の書ではありません。
「君臣の義」を中心とした山鹿素行の思想を最もよく理解し実行したのが吉田松陰※)です。
※)こうした松陰の実行力については、改めて整理していきます。
松陰は、代々山鹿流の兵学師範だった吉田家を継ぎ、素行を先師と呼んでいたと伝えられています。
また、日露戦争の英雄・乃木将軍は「中朝事実」を座右の書とし、山鹿素行を終生の師として仰慕していたそうです。
武士道に生きた最後の古武士・乃木将軍は、明治天皇の大葬に際して殉死しましたが、その前日『中朝事実』を献上し本書を熟読されんことを言上したと伝えられています。
献上の折のただならぬ様子に裕仁親王は「院長先生はどこかへゆかれるのですか」と訝られたそうですが、後に本書が昭和天皇に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
そして、戦後の日本は構造改革・規制緩和をして市場を開放し、金融を自由化し経済的自立を果たしてきたが、その結果良い方向に進んできたのでしょうか?
経済とは、その国の固有の条件、さらに伝統・文化に密接な関係があります。
だからこそ、日本は日本型の節度ある経済成長のモデルを今こそ世界に広めねばならないのです。
山鹿素行の『中朝事実』の思想に日本は立ち戻り、日本が本来持っている素晴らしいところを見直し、良いと思えば自信を以て世界に向かって主張しなければならないでしょう。
本書を著すことにより素行自身、日本的自覚に達し日本精神を以て一切の指導原理とする信念を確立したといわれています。
江戸初期に書かれた本書が本来主張するところは、日本の国体の貴重さ、重要さです。
そういう意味では、今の日本が敗戦・東京裁判史観によって未だに再建出来ずにいる日本精神の再生には重要ではないかと考えられるのです。
そして、山鹿素行から連なる東洋史観が現代に繫がる事によって、日本の伝統と歴史の連続性が復活し、これによって損なわれてきた日本精神の基盤が再建されるべきでしょう。
今の現代日本には、『中朝事実』のような過去の賢人の言にも耳を傾ける度量が求められているのではないかと思います。
日本の政治家だけでなく、それぞれの領域リーダーには是非本書を読んで頂き、日本を誇り高き未来へ導くための糧としてもらえればなあ。
こうしたリーダーがひとりでも増えることを祈りつつ。
以下参考までに、一部抜粋です。
【中朝事実自序】
恒に蒼海の無窮を観る者は、その大を知らず。常に原野の無畦に居る者は、その廣きを識らず。これ久しうして馴るればなり。豈(あ)に唯海野のみならんや。愚生、中華文明の土に生まれて、未だその美を知らず、専ら外朝の経典を嗜み、嘐嘐(こうこう)として其の人物を慕ふ。何ぞそれ喪志(心)なるや。抑も奇を好むか。将た異を尚ぶか。それ中国の水土は萬邦に卓爾し、而して人物は八紘に精秀なり。故に神明の洋洋たる、聖治の綿綿たる。煥乎たる文物、赫たる武徳、以て天壌に比すべしべきなり。今歳冬十有一月皇統の実事を編し、児童をして誦せしめ、その本を忘れざらしむと云爾。
【上皇統】
天先章:天地自然の生成について論ずる
天(てん)先づ成りて而して地後(のち)に定まる。
然うして神明(しんめい)其の中に生(あ)れます、國常立尊(くにとこたちのみこと)と號(がう)す。
一書(あるふみ)に曰(いは)く、髙天原(たかあまはら)に生(あ)れます神のみ名を天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と曰(まう)す。
臣(しん)謹(つつし)んで按(あん)ずるに、天は氣也、故に輕(かる)く揚(あ)がる。
地は形なり。
故に重く凝(こ)る。
人は二氣(にき)の精神なり。
故に其の中(ちう)に位(くらい)す。
凡(およ)そ天地人の生るゝや、元先後(せんご)なし。
形・氣・神(しん)は獨(ひと)り立つべからざればなり。
天地人の成るや、未だ嘗て先後(せんご)無くんばあらず。
氣倡(いざな)ひ形(かたち)和し、神(しん)制すればなり。
蓋(けだ)し草昧(そうまい)屯蒙(わかくらし)の間、聖神(せいしん)其の中(ちう)に立ち、悠久(いうきう)にして變(へん)ぜず。
是れ神を尊びて、國常(くにとこ)・天中(あめのみなか)と號(がう)す所以なり。
夫れ天道は息(や)むなくして高明(こうめい)なり。
地道(ぢどう)は久遠(くおん)にして厚博(こうはく)なり。
人道は恆久(こうきう)にして疆(かぎり)無き也。
天其の中(ちう)を得て日月(じつげつ)明かに、地其の中(ちう)を得て萬物(ばんぶつ)載(の)り、人其の中(ちう)を得て天地位(くらい)す。
恆(つね)と中(ちう)との義は萬代(ばんだい)の神聖其の祚(くらい)を正したまふ所以也。
二神(にしん)の迹(あと)は今知る可からずと雖も、竊(ひそ)かに幸ひに常中(とこなか)の二尊(にそん)號を聞くを得たり。
是れ本朝(ほんてう)の治教(ちきやう)休明(きうめい)なるの實(じつ)なり。
天下の治(ち)恒久(こうきう)にして、萬物(ばんぶつ)の情以て觀(み)るべし、至誠息(や)むなくして、以て其の中(ちう)を制して、禮(れい)即ち明かなり。
政(まつりごと)恒(つね)なれば變(へん)ぜず、禮(れい)行はるれば犯されず。
神聖の知徳は萬世(ばんせい)の規範なり。
凡(すべ)て神神相生(あひうま)れまして、乾坤(あめつち)の道相(あひ)参(まじ)りて化(な)る。
所以(このゆえ)にこの男(をとこ)女(をみな)を成す。
國常立尊(くにとこたちのみこと)より伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)に至まで、是れを神世(かみよ)七代(ななよ)と謂(い)ふ。
臣(しん)謹(つつし)んで按(あん)ずるに、次第(しだい)の天神(てんしん)生生(せいせい)悠久(ゆうきゆう)の間、天地の實(じつ)に因(よ)りて、以てこの皇極(くわうきよく)を建つ。
この間(かん)庸愚(ようぐ)の舌頭(ぜつとう)を容(い)る可からず。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)は國中(くになか)の柱(みはしら)を巡りて男女(をとこをみな)の禮(れい)を定め、大八洲(おほやしま)及び海、川、山、草木(さうもく)、鳥獣(とりけもの)、魚蟲(いをむし)を生みまして、蒼生(さうせい)の食(は)みて活(い)くべきを致し、養蠶(こかい)の道を敎へたまひ、諸神(しよしん)たちを生みまして、その分(わいだめ)を定めたまふ。
功(こう)既に至りぬ。
徳も亦大きなり。
靈運(れいうん)當(まさ)に遷(うつ)れたまひて寂然(じやくねん)に長く隠れましき。
臣(しん)謹(つつし)んで按(あん)ずるに伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冊(いざなみ)は陰陽(いんよう)唱和(しようわ)の發語(はつご)なり。
二神(にしん)は陰陽の全き集まりなり。
故に以てこの尊號(そんごう)を奉れるなり。
蓋(けだ)し草昧(さうまい)悠久(いうきう)の間、天神(てんしん)生生(せいせい)の後(のち)に、二神(にしん)初めて中國(ちうごく)を立てて男女(をとこをみな)の大倫を正したまふ。
男女(をとこをみな)は陰陽の本にして五倫の始めなり。
男女(をとこをみな)ありて後(のち)、夫婦、父子(ふし)、君臣の道立つ。
二神(にしん)終(つひ)に大八洲(おほやしま)を制し、山川(さんせん)を奠(さだ)め、河海(かかい)を導き、草木(さうもく)種藝(しゆげい)し、鳥獸(ちやうじう)處(ところ)を得、人は始めて平土(へいど)を得て、五穀を播(ま)き桑麻(さうま)を植ゑ、而して蒼生(さうせい)の衣食足る。
既に足りては敎戒なくんばあらず、故に諸々(もろもろ)の神聖に命じ以てその境を有(も)たしめたまふ。
二神(にしん)の功業は萬世以て左衽(さじん)を免(まぬが)る。
丕(おほひ)に顯(あきら)かなる哉。
丕(おほひ)に承(う)くる哉。
以上、天地生成の義を論ず。
謹(つつし)んで按(あん)ずるに、天地は陰陽の大極(たいきよく)なり。
陰陽は甚(はなは)だその用を殊にして、互にその根を交(まじ)ふ。
遠くして近く、近くして遠し。
その形(かたち)するところ五あり。
所謂木火土金水なり。
木火(もくか)は陽にして
金水(きんすい)は陰なり。
土(ど)はその二を兼ねて而もその中(ちう)に位(くらい)す。
陰は必ず陽を含む、故に水(すい)の形は柔(じう)なり。
陽は必ず陰を萌(きざ)す、故に火(ひ)の用は烈なり。
水火は象(ありさま)なり、金木(きんもく)は形なり。
火は氣なり、純(もつぱ)ら昇りて止まず。
水は形なり、専(もつぱ)ら降(くだ)りて科(あな)に盈(み)つ。
陽(よう)の昇るや、陰必ずこれに從ふ。
故に昇降も亦息(や)むことなし。
夫(そ)れ積氣(せきき)の間、その精秀(せいしゆう)なるは日月(じつげつ)星辰(せいしん)となり、その動静は河漢(かくわん)風電(ふうでん)となりて、雲雨(うんう)霜雷(さうらい)の用あり。
夫(そ)れ地は形滓(けいさい)の凝りて以て土となるなり。
その積むを息(や)まず、而して山岳・丘陵・川河(せんが)・谷澤(こくたく)を載せて辭(じ)せず。
陰陽窮(きは)まりなくして而も經緯(けいい)あり、四時(しじ)あり、日の長短あり、時の寒暑(かんしよ)あり、一年一月あり、一日一時あり、二十四節あり、七十二侯あり、日月(じつげつ)の蝕(しよく)あり、氣盈(きえい)朔虚(さくきよ)あり。
これ天地互ひに交はりて以て千態(せんたい)萬變(ばんぺん)を爲すなり。
人も亦萬物の一に在りて、その精を禀(う)け、その中(ちう)を得たり。
その智の靈なるや、これを致(きは)めて通ぜざることなし。
その德の明らかなるや、これを盡して感ぜざるなし。
故に天地不言(ふげん)の妙を形容し、乾坤(けんこん)幽微(いうび)の誠を模樣し、以て暦象(れきしやう)を造り、時日(じじつ)を考へ、人物の極を定め萬世(ばんせい)の敎(をしへ)を建つ。
然れば乃(すなは)ち天地は人倫(じんりん)の大原(たいげん)にして、神聖(しんせい)は天地の性心(せいしん)なり。
人君(じんくん)を仰ぎ觀(み)、俯して察し、以て上下を正し、尊卑を定め、その智を致め、その德を明かにし、而して後(のち)に天地に参ずべきなり。
ある人疑ふ、天地に心ありやと。
愚(われ)謂(おも)へらく、既にその形氣(けいき)あれば未(いま)だ嘗てその性心なくんばあらず。
天地は息(や)むなきを以て心と爲す、故に消長(しやうちやう)往來し、終りて而して初めに復(かへ)る。
神聖は常中(じやうちう)を以て心と爲す、故に常に彊(つと)めてその德を明かにす。
是れ天地と神聖と、その原を一にする所以なり。
中国章:風土の状況について論ずる
皇祖高皇産産霊尊遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊をたてゝ以て葦原中國の主と為んと思す。謹みて按ずるに、是れが我が國を中國と謂ふわけである。
皇統章:皇統の万世一系なることについて論ずる
故に皇統が一度(ひとたび)定まって億萬世これに襲(よ)って変ぜず、天下皆正朔を受けてその時を二つにせず、萬國王命を稟(う)けてその俗を異にせず、三綱終に沈淪せず、徳化は塗炭に陥らず、外国の到底企て望み得ることではない。その支那では天子姓を易ふることを殆ど三十で、戎狄が入って王となった者が数世ある。春秋の二百四十余年に臣子がその國君を弑した者二十又五もある。その先後の乱臣賊子に至っては枚挙することができない。朝鮮では箕子(きし)が天命を受けて王となって以後、姓を易ふること四氏、その國を滅して或いは郡縣となり、或いは高氏は滅絶することが凡そ二世、彼の李氏は二十八年の間に王を弑する者四度あった。いわんやその先後の乱逆は禽獣の損ない合うと異ならない。唯我が中國(なかつくに)は開闢からこのかた人皇に至るまで二百万歳にも近く、人皇から今日まで二千三百歳を過ぎてゐる。しかも天神(あまつかみ)の皇統は違(たが)ふことなく、その間に弑逆の乱は指を屈して数ふる程もない。その上外国の賊は吾が辺藩をも窺ふこともできなかった。後白河帝の後に武家が権力を執って既に五百余年にもなる。その間に利嘴長距が場を壇にしたり、冠猴封豕が火を秋の蓬に縦つ類のないこともないが、それでもなお王室を貴び君臣の儀を存してゐる。これは 天神 人皇の知徳が顕象著名であって世を歿するまで忘れられないからである。その過化の功、綱紀の分がこの様に悠久で、このやうに無窮であるといふことは皆至誠から流れ出たからである。三綱が既に立つときはその条目は治政の極致として著はれる。凡そ八紘の大なるも、外国の汎きも中州に如くはない。皇綱の化文武の功、その至徳、何と大きいことではないか。
神器章:三種の神器について論ずる
神教章:教学の本源について論ずる
神治章:政治体制の基本について論ずる
神治章では、皇祖天照大神のこの国を統治しようとされたときのみこころについて説いている。天地の恵みは至誠そのものであって君子もまた至誠そのものであり、自ら戒め、徳に向って進むとき、万民すべて安らけく、天下万国すべて平穏に無事なる状態になる。素行は、これこそが「天壌無窮」の神勅の意味であると説く(新田編著『中朝事実』76頁)。 素行の武士道論は建国の神話によって補強される。武徳章で、素行は神代紀の東征の記事に基づいて、威武の神髄を論じているのである。ここでは、道義に裏付けられた武が強調されている。
謹みて按ずるに、五行に金あり、七情に怒あり、陰陽相対し、好悪相並ぶ。是れ乃ち武の用また大ならずや。然れどもこれを用ふるにその道を以てせざるときは、則ち害人物に及びて而して終に自ら焼く。
神知章:人間を知ることの重要性について論ずる
【下皇統】
聖政章:聖教の道を論ず。政治教化の基本について論ずる
礼儀章:礼儀の在り方について論ずる
賞罰章:賞罰の公正平明について論ずる
武徳章:武の意義について論ずる
祭祀章:祭祀の誠心について論ずる
化功章:徳化の功について論ずる