洗心洞箚記より学ぶ!義と愛に生き、知行合一を貫いた人生の書!

大塩平八郎の乱は、江戸時代の天保8年(1837年)に、大坂で大坂町奉行所の元与力大塩平八郎(中斎)とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱です。
そもそも、前年の天保の大飢饉に端を発する米不足と飢饉から忸怩たる思いを抱いていた平八郎が、幕府の役人と大坂の豪商の癒着・不正を断罪し、摂河泉播地域の窮民救済を求め、幕政の刷新を期して決起した事件です。
しかし、約300人を率いて「救民」の旗を翻して天満の自宅から大坂城を目指したものの、わずか半日で鎮圧され、後日自決に至っています。
そんな彼の生き方は、まさに「知行合一」の実践を貫き通した人生でした。

当時の決起参加への檄文が有名なので、ここに現代語訳にて記しておきます。
儒学は孝と忠を重んじますが、この檄文からは、大塩が朝廷への忠を念頭に、我が主君たる幕府への諫言を行う意図が明確に読み取れます。

『檄文』

「天から下された村々の貧しき農民にまでこの檄文を贈る

天下の民が生前に困窮するようではその国も滅びるであらう。
政治に当る器でない小人どもに国を治めさしておくと災害が並び起る、とは昔の聖人が深く天下後世の人君、人臣に教戒されたところである。
それで、徳川家康公も『仁政の基は依る辺もない鰥寡孤児などに尤も憐れみを加へることだ』と云はれた。
然るに茲二百四五十年の間太平がつゞき、上流の者は追々驕奢を極めるやうになり、大切の政事に携はつてゐる役人共も公然賄賂を授受して贈り或は貰ひ、又奥向女中の因縁にすがつて道徳も仁義も知らない身分でありながら、立身出世して重い役に上り、一人一家の生活を肥やす工夫のみに智を働かし、その領分、知行所の民百姓共には過分の用金を申付ける。
これ迄年貢諸役の甚しさに苦しんでゐた上に右のやうな無体の儀を申渡すので追々入用がかさんできて天下の民は困窮するやうに成つた。
かくして人々が上を怨まないものが一人もないやうに成り行かうとも、詮方のない事で、江戸を始め諸国一同右の有様に陥つたのである。
天子は足利家以来、全く御隠居同様で賞罰の権すら失はれてをられるから下々の人民がその怨みを何方へ告げようとしても、訴へ出る方法がないといふ乱れ方である。
依つて人々の怨みは自から天に通じたものか。
年々、地震、火災、山崩れ、洪水その他色々様々の天災が流行し、終に五穀の飢饉を招徠した。
これは皆天からの深い誡めで有がたい御告げだと申さなければならぬのに、一向上流の人人がこれに心付かすにゐるので、猶も小人奸者の輩が大切の政事を執り行ひ、たゞ下々の人民を悩まして米金を取立る手段ばかりに熱中し居る有様である。
事実、私達は細民百姓共の難儀を草の陰よりこれを常に見てをり、深く為政者を怨む者であるが、吾に湯王武王の如き勢位がなく、又孔子孟子の如き仁徳もないから、徒らに蟄居して居るのだ。
ところがこの頃米価が弥々高値になり、市民が苦しむに関はらず、大阪の奉行並に諸役人共は万物一体の仁を忘れ、私利私欲の為めに得手勝手の政治を致し、江戸の廻し米を企らみながら、天子御在所の京都へは廻米を致さぬのみでなく五升一斗位の米を大阪に買ひにくる者すらこれを召捕るといふ、ひどい事を致してゐる。
昔葛伯といふ大名はその領地の農夫に弁当を持運んできた子供をすら殺したといふ事であるが、それと同様言語道断の話だ、何れの土地であつても人民は徳川家御支配の者に相違ないのだ、それをこの如く隔りを付けるのは奉行等の不仁である。
その上勝手我儘の布令を出して、大阪市中の遊民ばかりを大切に心得るのは前にも申したやうに、道徳仁義を弁へぬ拙き身分でありながら甚だ以て厚かましく不届の至りである。
また三都の内大阪の金持共は年来諸大名へ金を貸付けてその利子の金銀並に扶持米を莫大に掠取つてゐて未曾有の有福な暮しを致しをる。
彼等は町人の身でありながら、大名の家へ用人格等に取入れられ、又は自己の田畑新田等を夥しく所有して何不足なく暮し、この節の天災天罰を眼前に見ながら謹み畏れもせず、と云つて餓死の貧人乞食をも敢て救はうともせず、その口には山海の珍味結構なものを食ひ、妾宅等へ入込み、或は揚屋茶屋へ大名の家来を誘引してゆき、高価な酒を湯水を呑むと同様に振舞ひ、この際四民が難渋してゐる時に当つて、絹服をまとひ芝居役者を妓女と共に迎へ平生同様遊楽に耽つてゐるのは何といふ事か、それは紂王長夜の酒宴とも同じ事、そのところの奉行諸役人がその手に握り居る政権を以て右の者共を取締り下民を救ふべきである。
それも出来なくて日々堂島に相場ばかりを玩び、実に禄盗人であつて必ずや天道聖人の御心には叶ひ難く、御赦しのない事だと、私等蟄居の者共はもはや堪忍し難くなつた。
湯武の威勢、孔孟の仁徳がなくても天下の為めと存じ、血族の禍を犯し、此度有志のものと申し合せて、下民を苦しめる諸役人を先づ誅伐し、続いて驕りに耽つてゐる大阪市中の金持共を誅戮に及ぶことにした。
そして右の者共が穴蔵に貯め置いた金銀銭や諸々の蔵屋敷内に置いてある俸米等は夫々分散配当致したいから、摂河泉播の国々の者で田畑を所有せぬ者、たとひ所持してゐても父母妻子家内の養ひ方が困難な者へは右金米を取分け遣はすから何時でも大阪市中に騒動が起つたと聞き伝へたならば、里数を厭はず一刻も早く大阪へ向け馳せ参じて来てほしい、各々の方へ右金米を分配し、驕者の遊金をも分配する趣意であるから当面の饑饉難儀を救ひ、若し又その内器量才力等がこれあるものには夫々取立て無道の者共を征伐する軍役にも使たいのである。
決して一揆蜂起の企てとは違ひ、追々に年貢諸役に至るまで凡て軽くし、都べてを中興神武帝御政道の通り、寛仁大度の取扱ひにいたし年来の驕奢淫逸の風俗を一洗して改め、質素に立戻し、四海の万民がいつ迄も天恩を有難く思ひ、父母妻子をも養ひ、生前の地獄を救ひ、死後の極楽成仏を眼前に見せ、支那では尭舜、日本では天照皇太神の時代とは復し難くとも中興の気象にまでは恢復させ、立戻したいのである。
この書付を村々に一々しらせ度いのではあるが、多数の事であるから、最寄りの人家の多い大村の神殿へ張付置き、大阪から巡視しにくる番人共にしらせないやう心懸け早速村々へ相触れ申され度い、万一番人共が目つけ大阪四ケ所の奸人共へ注進致すやうであつたら遠慮なく各々申合せて番人を残らず打ち殺すべきである。
若し右騒動が起つたことを耳に聞きながら疑惑し、馳せ参じなかつたり、又は遅れ参ずるやうなことがあつては金持の金は皆火中の灰と成り、天下の宝を取失ふ事に成るわけだ。
後になつて我等を恨み宝を捨る無道者だなどと陰言するを致さぬやうにありたい。
その為め一同に向つてこの旨を布令したのだ。
尤もこれまで地頭、村方にある税金等に関係した諸記録帳面類はすべて引破り焼き捨てる、これは将来に亙つて深慮ある事で人民を困窮させるやうな事はしない積りである。
去りながら此度の一挙は、日本では平将門、明智光秀、漢土では劉裕、朱全忠の謀反に類してゐると申すのも是非のある道理ではあるが、我等一同心中に天下国家をねらひ盗まうとする欲念より起した事ではない、それは日月星辰の神鑑もある事、詰るところは湯武、漢高祖、明太祖が民を弔ひ君を誅し、天誅を執行したその誠以外の何者でもないのである。
若し疑はしく思ふなら我等の所業の終始を人々は眼を開いて看視せよ。
但しこの書付は細民達へは道場坊主或は医師等より篤と読み聞かせられたい。
若し庄屋年寄等が眼前の禍を畏れ、自分一己の取計らひで隠しおくならば追つて急遽その罪は所断されるであらう。
茲に天命を奉じ天誅を致すものである。

天保八丁酉年月日某

摂河泉播村々
庄屋年寄百姓並貧民百姓たちへ」

大塩平八郎は、江戸時代後期の儒学者・陽明学者で、大坂東町奉行所の元与力です。
幾つかの書物を残していますが、いずれも乱の直後に大坂町奉行所によって禁書とされ、売買を固く禁じられた経緯があります。

そんな大塩平八郎の代表作、『洗心洞箚記(せんしんどうさっき)』を少し整理してみましょう。
この『洗心洞箚記』は、読書録の形式で陽明学を説いた書でして、明治時代以降、佐藤一斎の『言志四録』と並んで読み継がれた、隠れたロングセラーです。
※)言志四録については、改めて整理したいと思います。
「洗心洞」とは大坂の自宅で経営した私塾名だそうで、「箚」は針で刺す意味があるそうです。
「箚記」は書物を読むにあたり、針で皮膚を刺し鮮血がほとばしるように肉薄し、あたかも針で衣を縫うように文章の意義を明確にする意味。
「箚記或問二條」と命題が二点あることからも、この著作の中で、朱子学と陽明学の論争に終止符を付けようとした平八郎の意図が窺われます。
長州藩の吉田松陰はこの著作を「取りて観ることを可となす」と評価し、また薩摩藩の西郷隆盛も禁書となったこの著作を所蔵していたことで有名な『洗心洞箚記』。
この義と愛に生き貫いた日本最高の陽明学者、大塩平八郎の偉大なる精神の足跡の書であり、陽明学の奥義を究めた陽明学者からの現代人へ宛てたメッセージに是非触れてみてください。

以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。
なお、原文がまとめられたサイトもありますので、こちらも参考にしてください。
山田準『洗心洞箚記』(抄)目次

『洗心洞箚記』 
【上巻】

・天とは、大いなるもの:内在神のことである。
・外界(現象界:環境)とは、自分の心の反映したものである。
・太虚に帰一するとは、今ここに生きることである。
・浩然の気とは、太虚に帰一する(今ここに生きる)ことであり、死んでも腐壊散滅したりはしない。
・良知とは、太虚(今ここに生きる時)の霊明(閃き:直感)である。
・意識を誠そのものにすることが、根本である。
・1日を1年(100年)と見做し、1年(100年)を1日と見做して生きる!
・敏徳(機敏な判断力:私欲から自由になる)は、大切である。
・向上とは仁(良知を発揮する)のことであり、仁(良知を発揮する)とは太虚という徳(今ここに生きる)のことである。
・日常生活は皆、実践倫理である。
・人格を、陶冶する!
・人民を、傷病者の如く大切に扱う!(『孟子』)
・虚(今ここに生きる:欲望から解放されている)なればこそ、万民の楽しみを自分の楽しみとする。
・仁とは、太虚であることの生命力(良知)であり、義とは太虚であることの成就であり、礼とは太虚であることの実現であり、智とは太虚であることの聡明さであり、信とは太虚であることの誠実さである。
・善について、認識と実践とを一致させる!
・志を確立すれば、理(行動パターン)の実践には道が開け実現する!
・いつも快活にすることが、病気の時の取り組み方である。(『伝習録』)
・集合(生:盛)すれば、必ず発散(死:衰)する。
・敬しむとは、自分の心を本来の至善に基礎を置く(今ここに生きる)ことである。
・肝腎なことは、人欲を捨て去って天理を保持する(今ここに生きる)ことである。
・太虚に帰一している人(今ここに生きている人)とは、有能なのに無能な人にも問い、豊かなのに乏しい人にも問い、持っているのに持っていないようにし、充実しているのに空っぽなようにし、危害を加えられても仕返しをしない人である。
・太虚(捉われ無き:今ここに生きる)を本体(根本)とし、人民を利済する(救う)ことを作用(働き)とする、そういう人は天(理想)そのものである。(陳継儒)
・理(理性:本来態:内側)と気(身体:現実態:外界)をバラバラにならないようにし、独りを慎み心を欺かない(今ここに生きる)修養を普段から行なう!

【下巻】

・太虚(大いなるもの:内在神)とは、仁義礼智信の5つの性が未分化なままのことである。
・学問をし始める幼少の時に自分さえよければいいという心(自我:エゴ)を捨てさせることが、教育者の責任である。
・真情と誠実がこもっていれば、君子は必ず親しみ信じる。
・無能な役人は、賄賂を貪る役人よりも害を及ぼすことは深刻である。(欧陽脩)
・真に義(太虚であることの成就)理(理性:本来態:内側)を楽しんで、利益欲望(自分さえよければいいと思う心:自我:エゴ)を忘れることだ。
・純一なる誠(誠実さ)を回復したならば、正義は自然と実現して心も正しくなる。
・良知(仁:太虚の霊明:今ここに生きる)を、日常生活での対応の場で発揮する!
・荀子(性悪説)は、現象としての陰陽(現実態:気)だけを見て、その本源である太虚:大いなるもの:内在神:本来態:理を見なかった。
・明徳を明らかにするためには、良知(今ここに生きる)を発揮し、他者との関係を正しくし、意識を誠にし、主体性を確立して、人格を磨き上げることである。
・親しむ(教養する)という働きかけをすることは、心を尽くし、性を尽くす(自己実現を図り、実力を発揮する)という偉大な学問である。
・民に親しむ(教養する)とは、民に仁(良知)することである。
・自己の人格を陶冶するとは明徳を明らかにすることであり、良知を発揮して自己の本来心を実現する(今ここに生きる)ことである。
・聖人賢者が心を発揮し尽くすとは、道心(良知:仁:太虚:大いなるもの:内在神:真我:今ここに生きる)を発揮し尽くすことである。
・独りを慎むという努力は、一瞬も怠ってはいけない。
・聖人は、天地万物を自分と密接に関係するものと考え、自分の首足腹背手臂ひと同様に見做す。
・天という太虚に帰一する(今ここに生きる)ことが、聖学における最高の努力の仕方である。
・道(公正な態度で)義(果敢に正義を)を実践することが、当たり前のことにする。
・平静(今ここに生きる)に、身を修める。(諸葛亮孔明)
・太虚に帰一する人(今ここに生きる人)でなければ、仁義道徳という完全なる美を保持することは出来ない。
・心を正しくし、意を誠にする!
・誠であることが聖人の根本であり、万物はどれもが太虚としての誠に由来する。
・誠実な敬虔けいけんな心映えを保持する!
・虚(仁の源泉)とは天地の元祖であり、天地は虚であることに由来します。(張横渠)
・書物を読んだならば、内容を自分で会得して実践することが大切である。
・山一面の樹木も、太極(太虚:大いなるもの)が現象したものである。(朱子)
・学ぶとは、知識を身に付けることとそれを吾が身に切実に(自分自身のこととして)実践することを同時にすることである。
・書物を読み学問するのは、もともと心(人格)を陶冶するためである。(朱子)
・肉親のように人民をして危難に駆けつけるようにさせ、上に立つ人は人民を自らの赤児と同じように扱い、他人の為に謀る時には自分のことと同じように謀り、衆人の為に謀る時には家族のことと同じように謀ったならば、人民は自然に為政者を信頼するだろう。(張横渠)