『三国志演義』第三十七回 司馬徽再び名士を薦め、劉玄徳三たび草廬を顧う

徐庶は曹操のもとに行き母に会った。すると、
「不孝者。偽りの手紙に目がくらみ明君を捨て暗君につき自ら悪名を招くような事をするとはなんたることか。」
と嘆いた。徐庶が平伏して頭を上げられずにいる間に母は衝立のかげで首をくくって死んだ。

劉備は諸葛亮を訪ねようとしていたが、そこへ司馬徽が現れ諸葛亮の事を話し、
「臥竜も主を得たが時を得なかった。」
とつぶやいて立ち去った。
翌日、劉備は諸葛亮を訪ねたが一人の童子が出て来て
「先生は今朝がたお出かけになりました。いつ戻られるか分かりません。四、五日の時もあれば十五、十六日の時もあります。」
と答えた。
劉備は
「先生がお帰りになったら私が訪ねてきた事をお伝えください。」
と言って仕方なく帰った。
数日して再び諸葛亮を訪れた。しかしそこには弟の諸葛瑾がいた。そして、
「兄は遊びに出かけてどこにいるのやら分かりませぬ。」
と言われた。劉備は手紙を書いて諸葛瑾に渡して帰った。
そして新野に帰って月日が流れ新年を迎えた。
劉備は吉日に三たび諸葛亮を訪れようとした。しかしこれには関羽も張飛も面白くなく諌めようとする。

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