荀子より学ぶ!性悪説:社会のルール・礼を重視して。

荀子は、姓は荀、名は況といい、孟子の晩年の頃、戦国末期に趙に生まれ、秦の始皇帝の即位直前にこの世を去った儒学者で、しばしば荀卿と称されます。
彼は道家や墨家の思想も取り入れ、儒家ではあるが多くの点で孔子を修正し、孟子の性善説に対して性悪説という現実的な考え方を唱えた思想家です。
門下生の韓非子や李斯などからは、法家思想が生まれています。
荀子の著作はすでに荀子生前から天下に行き渡っており、前漢末には『孫卿』322篇、劉向がそれを整理して32篇に編定( 『漢書』芸文志に『孫卿子』と記されている)、唐の楊倞が注を付けて篇を並べ替え20巻32篇384章 約90,800字に改編したものが現在に至っています。
『荀子』は、荀子の自著と荀子の後継者によって著された部分に二分されると考えられます。
その内容は儒家 墨家 道家の行動や興廃を推し量り、 順序づけて書き著したものとなっています。

孟子の性善説に対して唱えた性悪説ですが、これは人の自然の性は「悪」であり、自然のままの人は無限の欲望を持ち、放っておけば衝突を招くことになるが、その欲を抑えているのは人の矯正の結果だと考えたものえす。
このような考え方から、荀子は人間の内面の仁よりも、人々を規制する社会のルールである礼を重視し、人が欲や悪いことを抑えることができるよう、政治でも法律をしっかりすることが大切だとしたのです。
一見、孟子の性善説を否定しているかのように受け取られがちですが、実際には荀子は孟子を意識的に攻撃した訳でもなく、重要なのは性悪説をふまえた上での礼論、つまり人の礼、社会的なしきたりによって拘束 矯正することを重要視したのです。
このような考え方を礼治主義といいますが、孔子が道徳による政治を強調して徳治主義を主張したが、道徳だけで政治を行うのは非現実的だというので、その補強のために礼論を用いた、ということです。
勿論、孔子や孟子も礼については触れており、「徳」と「礼」とを両立して説いていましたが、荀子は同じ儒家でも「礼」を特に強調し、重要視したという訳です。

結局は孟子も荀子も目指すところは大きく異なっていた訳ではなく、目指す目的のための手段が異なっていたということです。
孟子は、人の潜在的な善性を助長する立場を「徳治」と呼び、善性を助長し、育てるという自然主義の教育を主張していました。
反面荀子は、人間に善性を植え込むという立場を「礼治」と呼び、人は善へと(人為的に)形成されねばならないと主張していたのです。
これは教育と政治という切り口で見ると異なった結末を迎えることになり、孟子はどちらかというと民主主義的な立場、法治に近いのに対して、荀子は上からの統治の立場、法の原理が儒教的な徳目であるということを打ち出さざるを得ませんでした。

こうした考え方も時代背景を考慮すれば致し方ないことで、孔子や孟子と比べて荀子が生きたのは戦国時代。
戦乱が激しくなっていた佳境にあり、そういった乱世では道徳に頼るなど無意味に近いものだったと想像されます。
こうした中、荀子は儒家という立場を取りながらも、あえて拘束力 矯正力を持つ「礼」が必要だとしたのだと思われます。

更に彼の弟子である韓非子や李斯といった法家は、人民を拘束するものとして「法」を主張しています。
「法」は罰則を伴うことから「礼」に比べてもはるかに拘束力が高いのですが、こうした法治主義は孔子が最も嫌ったものということもあり、その思想の原点ともなった荀子は、儒家の中でも異端とされ傍流に置き捨てられてきた存在だったことは残念なことです。

以下参考までに、現代語訳にて要点を一部抜粋です。

【01 勧学篇 – 学問の勧め】
 学問の重要性、学問の内容 方法
 人は学問によって変化、進化しうる。
 01 青は藍より取れども藍よりも青く、氷は水これを為せども水よりも寒たし。 →青藍氷水 →出藍之誉
 02 蓬も麻中に生ずれば、扶(たす)けずして直し。 君子よ其の立つ所を慎まんか。 →麻中之蓬 麻の中の蓬
 03 積土の山を成さば風雨興り、積水の淵を成さば蛟竜生じ、積善の徳を成さば而ち神明自得し聖心備わる。 →積水成淵
 ― 麒驥(きき)も一躍にしては十歩なること能わず、駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ち亦たこれに及ぶべし。 →駑馬十駕
 04 声は小なるも聞こえざることなく、行は隠れたるものも形われざることなし。
 05 学は没するに至りて而る後に止むべきなり。礼は法の大分、類の綱紀なり。
 06 君子の学は耳より入れば心に著き四体に布(し)きて動静に形わる。 小人の学は耳より入れば口より出ず。
 07 学は其の人に近づくより便なるは莫し。
 08 問の楛(悪)しき者には告ぐること勿れ。告ぐるの楛しき者には問うこと勿れ。
 09 百発に一のみを失するも善射と謂すに足らず。

【02 修身篇 – 身を修む 心身の修養】
 心身をおさめることの必要性とその方法
 礼とはそれによって身を正すものである。
 人は礼がなければ生きてゆけず、事は礼がなければ成り立たず、国家は礼がなければ安らかでない。 
 01 我れを非として当たる者は吾が師なり。我れを是として当たる者は吾が友なり。我れを諂諛(てんゆ)する者は吾が賊なり。
 02 人に礼なければ則ち生きられず、事に礼なければ則ち成らず、国に礼なければ則ち寧からず。
 03 善を以て人を先(みちび)く、これを教と謂う。
 ― 是を是として非を非とするはこれを知と謂い、非を是として是を非とするはこれを愚と謂う。 →是是非非
 04 気を治め心を養う術
 05 君子は物を役(えき)し、小人は物に役される。 士君子は貧窮の為めにとて道に怠らざるなり。
 06 体は恭敬にして心も忠信、術は礼義にして情も愛人(仁)。
 07 独り其の身を脩めて以て罪を比俗の人に得ざらんと欲す。
 08 驥(き)は一日にして千里なるも、駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ち亦たこれに及ぶ。 →駑馬十駕
 ― 蹞歩(きほ)して休まざれば跛鼈(はべつ)も千里、累土して輟(や)まざれば丘山も崇(たか)く成る。 →跛鼈千里
 09 法を好んで行なうは士なり。志を篤(あつ)くして体するは君子なり。斉明にして竭きざるは聖人なり。
 10 礼とは身を正す所以なり。師とは礼を正す所以なり。
 11 端愨(たんかく)順弟なるは則ち善の少なき者と謂うべし。加うるに学を好みて遜り敏(つと)むならば、以て君子と為すべし。
 12 冥冥に行いて報いなきものにも施せば、賢も不肖も焉に一(あつ)まらん。
 13 君子の利を求むるは略なるも、其の害に遠ざかるは早し。
 14 君子は貧窮なりとも志広く、富貴なりとも体恭しく、怒るとも過奪せず、喜ぶとも過予せざるなり。

【03 不苟篇(ふこう) – いやしくもせず】
 君子の生き方、徳性、修養
 01 君子は唯だ其の当るを貴しと為す。
 02 君子は知り易きも狎れ難く、懼(おそ)れしめ易きも脅(おど)し難し。
 03 君子は能あるも亦た好く、不能なるも亦た好し。
 04 温温たる恭人は惟れ徳の基(『詩経』大雅 抑)
 05 君子は人の徳を崇(尊)び、人の美を揚ぐるも諂諛(てんゆ)に非ざるなり。正義を直指して人の過ちを挙ぐるも、毀疵(きし)に非ざるなり。
 06 君子は小人の反なり。
 07 君子は治を治む。乱を治むるには非ず。
 08 馬鳴きて馬これに応ずるは知に非ず、其の勢然らしめしなり。
 09 君子、心を養うには、誠より善きは莫し。誠を致むるには則ち它(他)事無し。惟仁のみを守と為し、惟義のみを行と為す。
 10 百王の道も後王こそ是れなり。 →後王思想
 11 通士、公士、直士、愨士(こくし)、小人
 12 公は明を生じ偏は闇を生ず、端愨は通を生じ詐偽は塞を生ず、誠信は神を生じ夸誕は惑を生ず。
 13 欲悪取舍の権(はかりごと)
 14 人の悪む所の者は、吾れも亦たこれを悪む。 名を盗むことは貨を盗むに如かず。

【04 栄辱篇 – 栄誉と恥辱】
 驕慢、憤怒、利己、闘争等が恥辱、危険を招くこと、欲望と礼儀によるその調節
 人の生まれつきは、もともと小人である。
 仁君が上にあり、農民 商人 工人は仕事に励み、士大夫以上は官職に励むことが「至平」であり、差等があることこそ適正である。
 01 憍泄(きょうせつ)は人の殃(わざわい)なり。恭儉は五兵を偋(しりぞ)く。 人を傷つくるに言を以てすれば、矛戟(ぼうげき)よりも深し。
 02 快快にして亡ぶは怒ればなり。察察にして殘うは忮(さから 逆)えばなり。
 03 鬭(あらそ)う者は其の身を忘るる者なり、其の親を忘るる者なり、其の君を忘るる者なり。
 04 狗彘(くてい)の勇、賈盜(くとう)の勇、小人の勇、士君子の勇
 05 自らを知る者は人を怨みず、命を知る者は天を怨みず。 これを己に失しながら、これを人に反(求)するは、豈(そ)れ迂(遠)ならんや。
 06 義を先にして利を後にする者には栄あり、利を先にして義を後にする者には辱あり。
 07 夫(そ)れ天の蒸(衆)民を生ずるや、これを取る所以を有らしむ。
 08 君子は注錯(挙錯)の当れるものにして、小人は注錯の過ちたる者なり。
 09 君子は其の常に道るも、小人は其の怪に道る。
 10 人の生まれつきは固より小人なり。師なく法なければ則ち唯利を見るのみ。
 11 短綆(たんこう)は深井(しんせん)の泉を汲むべからず、知の幾(き 微)ならざる者は聖人の言に及ぶべからず。
 12 斬(たが)いながら斉(ひと)しく、枉(曲)りながら順に、不同にして一なる。夫れ是れを人倫と謂う。

【05 非相篇 – 相(うらない)を非とする 人相術批判】
 容貌 体形により人を占うことへの批判、後王論 遊説術
 吉凶について重要なのは人相ではなく、その人の「心」と「術(生き方)」である。
 01 人を相(占)うこと、古の人は有りとすること無く、学者は道(い)わざるなり。
 02 三不詳と三必窮
 03 後王を舍(す)てて上古を道(い)うは、譬(たと)えれば是れ猶お、己れの君を舍てて人の君に事うるがごときなり。 →後王思想
 ― 伝わること久しければ則ち兪々(いよいよ)略し、近ければ則ち兪々詳し。
 04 君子の言に於けるや、志はこれを好み、行はこれに安んずればこれを言わんことを楽(ねが)うなり。故に君子は必ず辯(弁)ず。
 05 説の難きは、至高を以て至卑に遇い、至治を以て至乱に接するにあり。
 06 君子は賢にして能く罷(弱)を容(い)れ、知にして能く愚を容れ、博にして能く浅を容れ、粋にして能く雑を容る。
 07 唯君子のみ能く其の貴ぶ所(可)きを貴ぶことを為す。
 08 君子は必ず辯(弁)ず。凡そ人は其の善(よみ)する所を言うことを好まざるは莫きも、而も君子を甚だしきと為す。
 09 小辯は端を見わすに如かず、端を見わすは分に本づくに如かず。
 10 小人の辯、士君子の辯、聖人の辯

【06 非十二子篇 – 12人の思想家への批判】
 12人の思想家の学説が天下を乱すことへの批判、君子の態度、儒家三派への批判
 史シュウ、陳仲は性情を無理に抑え、人とちがうことを高尚と心得ている。
 恵施と鄧析の説は明晰だが不急不用、 政治の基準とは成し得ず、愚かな大衆を欺き惑わすものである。
 慎到 田駢の過った「法」思想
 子思、孟軻は雑駁でかたより、難解でもったいぶっている。
 它囂、魏牟は、性情の放任、奔放な行動をしている。
 墨翟、宋銒は、 功利 倹約主義と「礼」的差等を無視している。
十二子の説を終息させ、「舜 禹の制」「仲尼  子弓の義」を行うことが必要である。
 01 仮今の世に、邪説を飾り、姦言を文(かざ)りて以て天下を梟乱し、天下をして混然と是非治乱の存する所を知らざらしむる者に人有り。
 ― 它囂と魏牟 – 情性を縦(ほしいまま)にして恣雎(放恣)に安んじ、禽獣のごとく行い、文に合い治に通ずるに足らず。
 ― 陳仲と史鰌 – 情性を忍び、綦谿利跂(きけいりき)し、苟くも人に分異するを以て高しと為し、大衆に合し大分を明かにするに足らず。
 ― 墨翟と宋鈃 – 天下を一にし国家を建つるの権称を知らず、功用を上(尊)び、倹約を大(尊)んで差等を僈り、君臣を県(別)つに足らず。
 ― 慎到と田駢 – 法を尚(とうと)びながら法なく、脩を下(あなど)りながら作を好み、上は則ち聴を上に取(もと)め、下は則ち従を俗に取む。
 ― 恵施と鄧析 – 好んで怪説を治め、琦辞を玩び、辯ずれども用なく事多けれども功寡なく、以て治の綱紀と為すべからず。
 ― 子思と孟軻 – 略(ほぼ)先王に法とるも其の統を知らず、甚だ僻違(へきい)にして類なく、幽隠にして説なく、閉約にして解なし。
 ― 聖王の文章具わり、佛然として平世の俗起こらば、六説者は入ること能わず、十二子者も親(ちか)づくこと能わず。
 ― 今夫れ仁人は将何をか務めんや。上は則ち舜 禹の制に法とり、下は則ち仲尼 子弓の義に法とり、以て十二子の説を息めんことを務むべし。
 02 信なるを信ずるは信なり。疑わしきを疑うも亦た信なり。
 03 多言にして類あるは聖人なり。少言にして法あるは君子なり。多にも少にも法なく流湎すれば辯ずと雖(いえ)ども小人なり。
 04 姦事 姦心 姦説、此の三姦は聖王の禁ずる所なり。
 05 知にして倹、賊にして神、為詐にして巧、無用にして辯、不急にして察なるは、治の大殃なり。
 06 上帝の時からざるに匪ず殷旧を用いざればなり。老成人なしと雖も尚お典刑ありしに、曾ち是れ聴うこと莫ければ大命以て傾けり(『詩経』蕩)
 07 古のいわゆる仕士なる者は、厚敦なる者なり。古のいわゆる処士なる者は、徳の盛んなる者なり。
 08 君子は能く貴ぶべきことを為すも、人をして必ず己れを貴ばしむること能わず。
 09 士君子の容、父兄の容、子弟の容、学者の嵬 – 他学派の批判
 ― 子張氏の賤儒 – 其の冠を弟陀(たいだ)にして、其の辞を衶禫(むなし)くし、禹のごとく行き舜のごとく趨(はし)る。 →禹行舜趨
 ― 子夏氏の賤儒 – 其の衣冠を正し、其の顏色を斉(ととの)え、嗛然(けんぜん)として終日言わざる。
 ― 子游氏の賤儒 – 偷(なま)け儒(おこたり)て事を憚かり、廉恥なくして飲食を耆(この)み、必ず君子は固より力を用いずと曰う。
 ― 佚なるも惰らず、労なるも僈(ゆるがせ)ならず、原を宗として変に応じ曲(つぶさ)に宜しきを得たり。是(か)くの如くにして然る後に聖人なり。

【07 仲尼篇 – 孔子の字(篇首の二字)】
 王者と覇者の区別、臣下の守るべき道
 斉桓公は小人の傑である。
 01 仲尼の門にては、五尺の豎子(じゅし)も言うに五伯(五覇)を称することを羞じたり。
 02 寵を持し位に処りて終身厭(いと)われざるの術
 03 これを同(とも)にすることを好むに若(し)くは莫し。
 04 天下の行術 – 以て君に事うれば則ち必ず通じ、以て仁の為にすれば則ち必ず聖なり。
 05 君子は時の詘(屈)すべきときには則ち詘し、時の伸ぶべきときには則ち伸ぶるなり。

【08 儒効篇 – 儒者の功績・効用】
 功績、君子論、聖人論、儒者論
 儒者が下の位にいると目上を尊敬し、上の位にいると礼節がおさまり、誠実で愛し合う風潮が生まれる。
 人は耕作を積み重ねれば農民となり、材木を切ることを積み重ねれば工匠となり、品物の販売を積み重ねれば商人となり、礼儀を積み重ねれば君子となる=「横の分業論」
 01 周公旦の摂政 – 天子なる者は、少(わか)くしては当るべからず。 能あれば則ち天下これに帰し、能あらざれば則ち天下これを去る。
 02 秦昭王問う「儒は国に益なきか?」 – 儒者は本朝に在りては則ち政を美にし、下位に在りては則ち俗を美にす。
 03 先王の道は仁の隆なり。中に比(従)いてこれを行う。 道とは天の道に非ず地の道に非ず、人の道う所以にして君子の道う所なり。
 04 凡そ事行は、理(治)に益ある者はこれを立て、理に益なき者はこれを廃す。夫れ是れを中事と謂う。
 05 其れ唯学か。彼の学なる者は、これを行えば曰ち士なり、焉れを敦慕(つと・勉)むれば君子なり、これを知れば聖人なり。
 06 君子は隠るるも顕れ、微(賤)なるも明らかに、辞譲すれども勝つ。
 07 分の上に乱れず、能の下に窮せざるは治辯の極なり。
 08 聖人なる者は道の管(枢要)なり。天下の道も是に管(あつま)り、百王の道も是に一なり。
 09 周公、必ずしも恭ならず、倹ならず、戒しめず。
 10 俗人、俗儒、雅儒、大儒
 11 学は行うに至りて止む。これを行えば明なり。 性なる者は吾れの為すこと能わざる所、然れども化す可きものなり。
 12 人の論(ともがら・倫) – 礼なる者は人主の群臣の寸尺・尋丈の検式(法度)と為す所以なり。
 13 君子は言に壇宇(だんう・界域)あり、行に防表(標準)あり、道に一隆あり。

【09 王制篇 – 王者の法制】
 王者の制度 政策、官制 考課 財政等についてのサブ項目を含む
 人は天下で最も尊い。人の力は牛にかなわず、走ることも馬にかなわないのに、牛や馬が人に使われるのはなぜか。それは人は集団をつくり、さらに自然への働きかけをなすからである。
 礼儀は政治の根源である。
 善い事を進言する者は礼によって待遇し、不善を進言する者は刑によって処分する。 
 01 賢能は次を待たずして挙げ、罷不能は頃を待たずして廃し、元悪は教えを待たずして誅し、中庸は政を待たずして化す。
 02 善を以て至る者にはこれを待つに礼を以てし、不善を以て至る者にはこれを待つに刑を以てす。
 03 分の均しければ則ち偏まらず、埶(勢)斉(ひと)しければ則ち壱ならず、衆の斉しければ則ち使われず、天あり地ありて上下に差あり。
 04 君なる者は舟なり、庶人なる者は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆えす。
 05 聚斂(しゅうれん)は寇(あだ)を召き、敵を肥やし、国を亡ぼし、身を危くするの道なり。
 06 王はこれが人〔心〕を奪(と)り、霸はこれが与〔国〕を奪り、彊(強)はこれが地を奪る。
 07 王者の人 – 動を飾(かざ)るに礼義を以てし、断聴するに類を以てし、明は毫末をも振(あ)げ、挙措は変に応じて窮まらず。
 08 王者の制 – 道は三代(夏・殷・周)に過ぎず、法は後王に弐(たが)わず。 是れを復古と謂う。
 09 王者の論 – 百姓は曉然として皆な夫の善を家に為せば而ち賞を朝に取り、不善を幽に為せば而ち刑を顕に蒙(こうむ)るを知る。
 10 王者の法 – 賦を等(差)して事を政(正)すは、万物を財(成)して万民を養う所以なり。
 11 上は以て賢良を飾り、下は以て百姓を養いて安楽ならしむ。夫れ是れを大神と謂う。
 12 君子なる者は天地の参なり、万物の総なり、民の父母なり。
 13 人には気あり生あり知ありて亦た且お義あり、故に最も天下の貴たるなり。
 14 一与一奪して人を為むる者、これを聖人と謂う。
 15 天下の一ならず、諸侯の倍(背)反するは、則ち天王の其の人に非ざるなり。
 16 具、具(そな)わりて王たり。具、具わりて霸たり。具、具わりて存し、具、具わりて亡ぶるなり。

【10 富国篇 – 国家を豊かにする】
 国家を豊かにする方法、分について、墨家批判、民に対する政策
 礼とは貴賎に等級があり、長幼に差別があり、貧富や尊卑にそれぞれふさわしさがあることである。
 国家の秩序を「分」という概念によって捉え、この「分」を規定する機能を持つ「礼」こそが政治の内容をなすものでなければならない。
 君主は民の利益のために、その巨大な権力をもつ。
 人間が生産の営みを続ける限り、自然の資源は幾らでも増産される=「積極的生産論」
 人間が自然のなかから生産する物資は、人間の需要を完全に充足してもあまりあるものである。
 君子は徳をもって治め、小人は労力をもって働く。 
 01 皆な可とすること有るは知も愚も同じきも、可とする所のもの異なりて知と愚と分かるるなり。
 02 礼なる者は貴賤に等〔級〕あり、長幼に差〔別〕あり、貧富・軽重に皆な称ある者なり。
 03 分〔界〕なき者は人の大害なり。分ある者は天下の本利なり。
 04 天下を兼ね足らしむるの道は、分を明かにするに在り。
 05 墨術誠に行わるれば則ち天下は倹を尚びながら弥々貧しく、鬭を非としながら日々に争い、楽を非として而して日々に和せざらん。
 06 二つの姦道と三徳による政治
 07 上の一なれば則ち下も一なり、上の二なれば則ち下も二なり。これを辟(たと)うるに屮(草)木の枝葉は必ず本に類す。
 08 利せずしてこれを利するは、利して而る後に利することの利あるには如かざるなり。
 09 国の治乱臧否を観るに、疆易(くにざかい)に至らば而ち端は已に見わる。
 10 国の強弱・貧富を観るに徵(験)あり。
 11 人を攻むる者は以て名の為めにするに非ざれば、則案ち以て利の為めにするなり。
 12 強暴の国に事うるは難く、強暴の国をして我れに事えしむるは易し。

【11 王覇篇 – 王道と覇道】
 王者と覇者の区別、国家論、君主論
 国は礼がなければ正しくならない。
 君主は人を官に任ずることが職能であり、庶民は自分の能力で働くのが職能である=「縦の分業論」
 百王の法は同じではないが、帰する所はひとつである。
 国を治めるものは、義が立てば王となり、信が立てば覇となり、権謀が立てば滅びる。 
 01 国なる者は天下の利用なり。 国を用むる者は義立てば而ち王たり、信立てば而ち霸たり、権謀立てば而ち亡ぶ。
 02 国なる者は天下の大器なり。重き任(荷物)なり。
 03 彊(強)固栄辱は相(宰)を取ぶに在り。
 04 国なる者は巨用すれば則ち大、小用すれば則ち小なり。
 05 国は礼なくば則ち正しからず。
 06 国の危きときは則ち楽君なく、国の安きときは則ち憂君なし。
 07 人主なる者は人を官するを以て能と為す者なり。匹夫なる者は自ら能くするを以て能と為す者なり。
 08 西よりし東よりし、南よりし北よりして、服さざる無し。(『詩経』大雅・文王有声)
 09 明君は〔君子を〕以て宝と為すも、愚者は以て難と為す。
 10 人主胡んぞ広焉(こうえん)として親疏を卹(かえり)みること無く貴賤に偏すること無く唯だ誠能を求める。
 11 百王の法は同じからざるも帰する所の者は一なり。
 12 孔子曰わく – 知者の知は固より以に多きに有た以て少を守る、能く察すること無からんや。
 13 聞く所と見る所と誠に以て斉(ととの)えば、分に敬しみ制に安んじて以て其の上に化せざること莫し。
 14 主たるの道は近きを治めて遠きを治めず。 明主は要を好むも闇主は詳を好む。
 15 孔子曰わく – 吾れの人に適(ゆ)く所以を審(慎)しむは、人の我れに来る所以なればなり。
 16 上は天の時を失わず、下は地の利を失わず、中は人の和を得て百事も廃せず。

【12 君道篇 – 君主としての道】
 君主の守るべき道、政治のあり方
 礼を尊重し法を完備すれば国家は恒久である。 
 01 法なる者は治の端(はじめ)なり。君子なる者は法の原(みなもと)なり。
 02 源の清めば則ち流れも清み、源の濁れば則ち流れも濁る。
 03 仁厚は天下を兼ねて覆い閔(憂)えず、明達は天地を周(あまね)く万変を理めて疑(とどこう)らず
 04 君なる者は槃(盤)なり、民なる者は水なり。槃の円なれば水も円なり。
 05 道の存すれば則ち国も存し、道の亡ぶれば則ち国も亡ぶ。
 06 時に先きんずる者は殺して赦すこと無く、時に逮(およ)ばざる者も殺して赦すこと無かれ。(『書経』胤征篇)
 07 好(美)女の色(顔)は悪(醜)き者の孽(わざわい・害)なり。公正の士は衆人の痤(じゃま・妨)なり。
 08 人主は必將(かなら)ず卿相輔佐の任ずるに足る者ありて然る後に可なり。
 09 見るべからざるを視、聞くべからざるを聴き、成すべからざるを為す。

【13 臣道篇 – 臣下としての道】
 臣下の諸類型、臣下の守るべき道
 平原君、信陵君を「社稷の臣、国君の宝」と賞賛する。
 上はよく君主を尊び、下はよく民を愛し、民心は影が形にそうように政令 教化に従うようにさせる「聖臣」が最良である。
 聖臣を用いる者は王者となり、功臣(有能、忠誠で民を愛する臣)を用いる者は強力になり、簒臣(君主を惑わす臣)を用いる者は危険になり、態臣(君主にへつらう臣)を用いる者は滅亡する。
 01 態臣:斉の蘇秦、楚の州侯、秦の張儀/篡臣:韓の張去疾、趙の奉陽、斉の孟嘗君
 ― 功臣:斉の管仲、晋の咎犯、楚の孫叔敖/聖臣:殷の伊尹、周の太公望
 02 諫争輔拂の人は、社稷の臣なり。国君の宝なり。 諫:殷の伊尹、殷の箕子/争:殷の比干、呉の伍子胥/輔:趙の平原君/拂:魏の信陵君
 03 聖君に事うる者は聴従ありて諫争なく、中君に事うる者は諫争ありて諂諛(てんゆ)なく、暴君に事うる者は補削ありて撟拂なし。
 04 命に従いて払(戻)らず、微諫して倦まず、上に為りては明かに下と為りては遜る。
 05 人に事えて順(よろこ)ばれざるは疾(つと・勉)めざる者なり。
 06 大忠:周公旦の成王に対する忠/次忠:管仲の桓公に対する忠/下忠:伍子胥の夫差に対する忠/国賊:曹触竜の紂王に対する忠
 07 敢えて虎を暴(てうち)にせず、敢えて河を馮(かちわたら)ず、人の其の一を知りて其の它(他)を知ること莫し(『詩経』小雅・小旻)→暴虎馮河
 08 君子は礼を安んじ、楽を楽しみ、謹慎して鬭怒なし。
 09 斬りて斉(ひと)しく、枉(曲)げて順がい、不同にして一なり。

【14 致士篇 – 士を集める】
 人材を集め用いる方法
 国家を構成するのは国土、士民、政治、君主である。 
 01 聴を衡(ひろ)くし幽を顕かにして明を重ねて姦を退け良を進むるの術
 02 能く礼義を以て挾(あまね)くすれば而ち貴名も白われ、天下は願い令は行われ禁も止み、王者の事は畢(おわ)らん。
 03 衆を得れば天を動かし、意を美(楽)ませれば年(寿)を延ぶ。
 04 人主の患(憂)いは賢を用いんと言うことに在らずして、誠必に賢を用うべきことに在り。
 05 事に臨み民に接するに義を以て変応し、寬裕にして多く容れ、恭敬を以てこれ先(導)びくは政の始めなり。
 06 程なる者は物の準なり。礼なる者は節の準なり。
 07 君なる者は国の隆(極)なり。父なる者は家の隆なり。
 08 師たるの術に四あり。而して博習は焉れに与(あずか)らず。
 09 樹の〔葉の〕落つれば則ち本に糞(つちか・培)い、弟子の通利すれば則ち師を思う。
 10 賞には僭(こゆ・越)ることを欲せず、刑には濫(す・過)ぐることを欲せず。

【15 議兵篇 – 軍事を議論する】
 軍事についての議論、礼 徳に国家をつよくすること
 秦は四代にわたって優勢だが、いつもびくびくと天下が一致しておのれに逆らうことを心配している。
 秦は民を窮屈にさせ、苛酷に使い、権力によっておどし、褒美で手なづけ、刑罰でおどしている。
 用兵 攻戦の根本は、民をひとつにすることである。 
 01 臨武君と孫卿子(荀子)、趙孝成王の前で兵事を議せり – 仁人の兵は詐(いつわ・偽)るべからず。
 02 王者の兵の道と行 – 詐を以て斉に遇わば、これを辟(たと)うるに猶お錐刀を以て太山を墮(こぼ)たんとするがごとし。
 03 将たることを問う – 百事の成〔功〕は必ずこれを敬しむに在り、其の敗は必ずこれを慢(あなど)るに在り。
 04 王者の軍制 – 令の進めざるに而も進むは、猶お令の退けざるに而も退くがごとく、其の罪は惟れ均しきなり。
 05 陳囂、孫卿子に問う – 仁人の兵は存(止)まる所の者は神(治)まり、過ぐる所の者は化し、時雨の降るが若くして喜ばざること莫し。
 06 李斯、孫卿子に問う – 政の脩まれば則ち民は其の上に親しみ、其の君を楽しみて、これが為めに死することを軽しとす。
 07 礼なる者は治辨の極なり、強固の本なり、威行の道なり、功名の總(総)なり。
 08 賞慶・刑罰・埶詐(せいさ)の道たるや傭徒・粥売(やとわれあきない)の道なり。以て大衆を合し国家を美とするに足らず。
 09 徳を以て人を兼せる者は王たり、力を以て人を兼せる者は弱く、富を以て人を兼せる者は貧し。
 10 兼ね并わせることは能くし易きなり。唯だ堅く凝(定)まることを難しとなす。

【16 彊国篇 – 国家を強くする】
 礼儀 忠信により国家を強くすること
 秦はすばらしいが、秦で足りないものは儒者がいないことである。
 正しい判断基準をもち、私欲を退け、すべてをあわせ容れる道に従うこと(道)こそ天下を統一する重点である。
 主君は礼を尊重し、賢者を尊敬すれば王となり、法を重視し、民を愛すれば覇となる。 
 01 人の命は天に在り、国の命は礼に在り。
 02 道徳の威は安強を成し、暴察の威は危弱を成し、狂妄の威は滅亡を成す。
 03 公孫子を譏って曰わく – 子発の命を致せしは恭なるも、其の賞を辞せしことは固なり。
 04 斉の相に説く – 人には生より貴きは莫く、安より楽きは莫く、生を養い安を楽しむ所以の者は礼義より大なるは莫し。
 05 假今(いま)の世に地を益さんとするは、信を益さんことを務むるに如かざるなり。
 06 応侯(范雎)、秦国を問う – 則ち其の殆んど儒なきか。
 07 積微 – 善く日ごとにする者は王たり、善く時にする者は霸たり、漏を補う者は危うく、大荒(暴)する者は亡ぶ。
 08 義なる者は人の悪と姦とを為すことを限禁する所以の者なり。天下を為むるの要は、義を本と為して信これに次ぐ。
 09 堂上、糞せざれば、則ち郊の草も芸(くさぎ)らず。

【17 天論篇 – 天についての論】
 天と人をめぐる問題、末尾には道についての論や諸思想家への批判を附する
 「天」の運行は、人間とは個別のものであり、貧富 禍福 治乱といった人間的 社会的現象に直接的に影響するものではない=「天人の分」
 自然に対する人間の能動性、主体性を主張する。
 呪術とは実は装飾である、その心得ておくことが「吉」である。
 百王が変えることのなかったものは、道の原則とすることができる。廃止したり創始したりするにも、この原則をもって当る。原則を守れば混乱せず、 原則を知らなければ変化に当ることが出来ない。 
 01 天行、常あり。堯の為めに存せず、桀の為めに亡びず。
 ― 以て天を怨むべからず、其の道然るなり。故に天人の分に明かなれば則ち至人と謂うべし。 →天人分離
 02 為さずして成り求めずして得、夫れ是れを天職と謂う。皆な其の以て成る所を知るも其の無形を知る莫し、夫れ是れを天功と謂う。
 03 聖人は其の天君を清くし、其の天官を正し、其の天養を備え、其の天政に順がい、其の天情を養いて、以て其の天功を全くす。
 04 大巧は為さざる所に在り、大智は慮(おもんぱか)らざる所に在り。
 05 治乱は天に非ざるなり。 治乱は時に非ざるなり。 治乱は地に非ざるなり。
 06 天に常道あり、地に常数あり、君子に常体あり。
 07 君子は其の己れに在る者を敬しみて其の天に在る者を慕わず。是を以て日々に進むなり。
 08 星の隊(お・墜)ち木の鳴るは、是れ天地の変・陰陽の化にして物の罕(まれ)に至る者なれば、怪しむは可なるも、畏れるは非なり。
 09 雩して雨ふるは何ぞや? – 他なし。猶お雩せずして雨ふるがごときなり。
 10 天に在る者は日月より明かなるは莫く、人に在る者は礼義より明かなるは莫し。
 11 人を錯きて天を思わば、則ち万物の情を失う。
 12 百王の変うること無きものは、以て道貫と為すに足る。
 13 礼なる者は表(しるし)なり。礼を非とすれば世を昏(くら)くし、世を昏くすれば大いに乱る。
 14 老子は詘(屈)に見ること有りて信(伸)に見ること無く、墨子は斉に見ること有りて畸(異)に見ること無し。

【18 正論篇 – 正しい議論】
 世俗のさまざまな議論への反駁、末尾に宋銒学派との対論がある
 宋銒は人間の欲が少ないと論ずるが、それはあやまりで欲望が多いからこそ、賞罰による行政が可能なのだ。 
 01 主なる者は民の〔先〕唱なり、上なる者は下の儀〔表〕なり。
 02 湯・武は民の父母なり、桀・紂は民の怨賊なり。天下のこれに帰するを王と謂い、天下のこれを去るを亡と謂う。
 03 人を刑するの本は暴を禁じ悪を悪みて且つ其の未〔来〕を懲(こら)すなり。
 04 浅きものは深きを測るべからず、愚は知を謀るに足らず、坎井(かんせい)の鼃(あ・蛙)は東海の楽しみを語るべからず。→井底之蛙・不知大海
 05 堯・舜の天下禅譲 – 堯を以て堯を継ぐ。夫れ又た何の変かこれあらん。
 06 堯・舜なる者も天下の善く教化する者なるも、嵬瑣(かいさ)をして化せしむること能わず。
 07 孔子曰わく – 天下に道あるときは、盜其れ先ず変ぜんか。
 08 子宋子(宋銒)に応じて曰わく – 人の鬭(あらそ)うには必ず其の悪むことを以て説と為し、其の辱ずることを以て故と為すに非ざるなり。
 09 子宋子に応じて曰わく – 君子は埶辱あるべきも義辱あるべからず、小人は埶栄あるも義栄あるべからず。
 10 子宋子に応じて曰わく – 上賢は天下を禄し、次賢は一国を禄し、下賢は田邑を禄し、愿愨の民は衣食を完す。

【19 礼論篇 – 礼について】
 礼の起源 原理 実践等についての諸問題
 人は生まれながらに欲望がある。先王は欲望の乱れを嫌い、そこで礼儀を定めて、欲望と求める物の両者が永続するようにした。これが礼の起こりである。
 礼は人の道の極致である。 
 01 礼なる者は養なり。別なる者は、貴賤に等あり長幼に差あり貧富軽重皆な称ある者なり。
 02 礼に三本あり。天地は生の本なり、先祖は類の本なり、君師は治の本なり。
 03 宜しく大なる者は巨に宜しく小なる者は小にすべきことを別つ所以なり。
 04 礼は脱に始まりて文に成り悦校(えつこう)に終る。
 05 礼なる者は人道の極なり。天なる者は高きの極なり、地なる者は下きの極なり、無窮なる者は広きの極なり。
 06 文理の繁くして情用の省くは是れ礼の隆なり。文理の省きて情用の繁きは是れ礼の殺なり。
 07 礼なる者は生死を治むることを謹しむ者なり。
 08 礼なる者は吉凶を謹しみて相い厭わざる者なり。
 09 喪礼の凡(はん)は変じて飾り動きて遠ざかり久しくして平なり。
 10 礼なる者は長を断ちて短を続ぎ、有余を損して不足を益し、愛敬の文を達して滋々(ますます)行義の美を成す者なり。
 11 性なる者は本始材木なり、偽なる者は文理隆盛なり。
 12 喪礼なる者は生者を以て死者を飾る者なり。大いに其の生に象(かたど)りて以て其の死を送るなり。
 13 知あるの属は其の類を愛せざること莫し。故に三年の喪は人道の至文なる者なり。
 14 君なる者は已に能くこれを食い又た善く教誨する者なり。
 15 曲(つぶさ)に容れて備物するを道と謂う。
 16 死に事うること生に事(ゆか)うる如く、亡に事うること存に事うるが如くして、形影なきところに状(かたちづく)り、然り而して文を成すなり。

【20 楽論篇 – 音楽論】
 音楽についての諸問題、墨家批判、郷飲酒の礼 
 01 夫れ楽なる者は楽(らく)なり。楽なる者は一を審らかにして以て和を定むる者なり。楽なる者は治人の盛んなる者なり。
 02 目は自らは見ず、耳は自らは聞かず。
 03 孔子曰わく – 吾れは鄉を観て王道の易易たることを知れり。
 04 貧なれば則ち盜と為し、富めば則ち賊を為す。治世は是れに反するなり。

【21 解蔽篇(かいへい) – 啓蒙 蔽いを除く】
 人の心が偏見、欲望等により蔽われているのを解放する方法、諸思想家批判を含む
 荘子は天に蔽われて人を知らない。 
 01 人の患は一曲に蔽われて大理に闇(くら)きことなり。天下に二道なく、聖人に両心なし。
 ― 今、諸侯は政を異にし、百家は説を異にす。則ち必ず或るものは是にして或るものは非、或るものは治にして或るものは乱なり。
 02 万物は異〔別〕すれば則ち相いに蔽(へい)を為さざること莫し。
 03 昔、人君の蔽われし者は、夏桀と殷紂と是れなり。
 ― 成湯は夏桀に鑒(かんが)み、文王は殷紂に鑒(かんが)みて、故に其の心を主(まも)りて慎しみ治めたり。
 04 昔、人臣の蔽われし者は、唐鞅と奚斉と是れなり。
 ― 鮑叔、甯戚、隰朋は仁知にして且つ蔽われず。故に能く管仲を持して而して名利福禄は管仲と斉(ひと)し。
 05 昔、賓孟(ひんもう・賓萌・遊説家)の蔽われし者は、乱家是れなり。
 ― 墨子(墨翟)は用に蔽われて文を知らず。
 ― 宋子(宋銒)は欲に蔽われて得を知らず。
 ― 慎子(慎到)は法に蔽われて賢を知らず。
 ― 申子(申不害)は埶(勢)に蔽われて知を知らず。
 ― 恵子(恵施)は辞に蔽われて実を知らず。
 ― 荘子(荘周)は天に蔽われて人を知らず。
 ― 此の数具の者は皆な道の一隅なり。夫れ道なる者は常を体して変を尽す、一隅にてはこれを挙うには足らざるなり。
 ― 曲知の人は道の一隅を観て而も未だこれをも能く識(し)らず。
 ― 故に足れりと以為いてこれを飾り、内にしては自ら乱り外にしては人を惑わし、上にしては下を蔽い下にしては上を蔽う。此れ蔽塞の禍なり。
 ― 孔子は仁知にして且つ蔽われず。故に乱(雑)術を学びて先王を為むるに足りし者なり。
 ― 一家得られて周道挙り、これを用いて成績に蔽われず。故に徳は周公と斉(ひと)しく名は三王と並ぶ。
 06 聖人は心術の患(うれ)いを知り、蔽塞の禍を見る。
 07 未だ道を得ずして道を求むる者には、これに虚壱にして静ならんことを謂(説)いてこれが則(のり・法)と作さしむ。
 08 知者は一を択びて壱(もっぱ・専)らにす。君子は道に壱にして而して以て物を参稽(参考)す。
 09 仁者の道を行うや無為なり。聖人の道を行うや無彊なり。
 10 人の鬼ありとするは、必ず其の感忽の間に疑玄(眩)の時を以てこれを定む。
 11 人の性を知ることを以てすれば、物の理を知るべきなり。学なる者は固より学んで止まるなり。
 12 墨(くら)くして明と為さば、狐狸其れ蒼(さか)んならん。(逸詩)  明明は下に在りて、赫赫は上に在り。(『詩経』大雅・大明)

【22 正名篇 – 正しいことばを正す】
 名(名辞 言葉)についての諸問題、いくつかの概念の規定や諸思想家批判を含む
 生まれつきがそうであるもの、これを性と呼ぶ。
 王者は「名を定める(制名)」ことにより国家のもろもろの事物(実)を弁別し、形づくられたなと実の一致する「正しい名(正名)」の秩序のもとに、人民を統一に導き、 天下に功業を成すものである。 
 01 後王の成名 – 刑の名は商(殷)に従い、爵の名は周に従い、文の名は礼に従う。
 02 王者の名を制(さだ)むるや、名定まりて実辨じ、道行われて志通ずれば、則ち慎しんで民を率いて一にす。
 03 聖人の辨説 – 説の行われるときは則ち天下正しく、説の行われざるときは則ち道を白(あきら)かにして窮(身)を冥(かく)す。
 04 士君子の辨説 – 能く道に処して弐せず、咄(くるし)みても奪われず利(よろし)くとも流れず、公正を貴びて鄙争を賤しむ。
 05 君子の言は涉然として精(くわ)しく、俛然(ふぜん)として類あり、差差然として斉(ととの)う。
 06 性なる者は天の就せるなり。情なる者は性の質なり。欲なる者は情の応なり。
 07 道なる者は古今の正権なり。

【23 性悪篇 – 性(うまれつき)は悪である →性悪説】
 性悪論、人が善となり聖人にいたる方法
 学習によってできるようになるもの、これを「偽」と呼ぶ=「性偽の分」
 人の性は悪であり、善となるのは作偽の結果である。
 路傍の凡人も禹のような聖人となる可能性がある。
 いにしえの聖王は、人の性は悪なので世は乱れて治まらないと考えた。そのために礼儀を創り法を定めてこれを導いた。 
 01 人の性は悪にして其の善なる者は偽(作為)なり。 人の性は悪にして、必ず師法を待ちて然る後に正しく、礼義を得て然る後に治まる。
 ― 性なる者は、天の就せるなり、学ぶべからず、事となすべからざる者なり。
 ― 学ぶべからず、事となすべからずして人に在る者、これを性と謂う。学んで能くすべく、事として成るべくして人に在る者、これを偽と謂う。
 02 聖人の衆〔人〕に同じくして過ぎざる所以の者は性なり。衆〔人〕に異なりて過ぐる所以の者は偽なり。
 03 人の善を為さんと欲するは性の悪なるが為めなり。
 ― 人の性は固より礼義なし。故に彊(つと)めて学びてこれを有たんことを求むるなり。
 04 枸(曲)木の必ず檃栝烝矯(いんかつじょうきょう)を待ちて然る後に直なるは、其の性の不直を以てなり。
 05 人の性は堯・舜の桀・〔盗〕跖に与(於)けるも其の性は一(同)く、君子の小人に与けるも其の性は一(同)じなり。
 06 塗(みち・途)の人も禹と為るべし。塗の人には皆な仁義法正を知るべきの質あり、皆な仁義法正を能くすべきの具あり。
 07 堯、舜に人の情を問う – 人の情か、人の情か、甚だ美(善)からず。
 08 聖人の知、士君子の知、小人の知、役夫の知
 09 上勇、中勇、下勇
 10 夫れ人に性質の美にして心の辯知ありと雖(いえど)も、必ず賢師を求めてこれに事え、良友を択んでこれを友とす。
 ― 其の子を知らずば其の友を視よ。其の君を知らずば其の左右を視よ。(古伝)

【24 君子篇 – 天子について】
 君主の尊厳性とその政治のあり方
 聖王の道を尊ぶ者は王となり、賢者を重んずる者は覇となり、賢者に敬意を払う者は存続し、賢者を侮る者は滅ぶ。 
 01 天子に妻なきは、人に匹〔敵〕するものなきことを告すなり。四海の内に客礼なきは、適(匹敵)するものなきことを告すなり
 ― 普天(ふてん・溥天)の下、王土に非ざるは莫く、率土(そつど)の濱(ひん・浜)、王臣に非らざるは莫し。(『詩経』小雅・北山)
 02 其の道に由れば則ち人は其の好む所を得られ、其の道に由らざれば則ち必ず其の悪む所に遇う。
 03 古者、刑は罪に過ぎず、爵は徳を踰えず。
 ― 乱世は則ち然らず。刑罰は罪に怒(過)ぎ、爵賞は徳を踰え、族を以て罪を論じ、世〔襲〕を以て賢を挙ぐ。
 04 仁とは此れを仁(よろこ)ぶ者なり。義とは此れを分かつ者なり。節とは此れに死生する者なり。忠とは此れに惇(あつ)く慎(順)がう者なり。

【25 成相篇 – 相(きねうた)を成す】
 相は一種の労作唄、その形式による政治 君主論
 政治のすじみちは、礼と刑である。 韻文
 01 請う、相(きねうた)を成さん – 世の殃(わざわい)は愚闇愚闇の賢良を墮(やぶ)ることなり。世の愚は大儒を悪むことなり。
 02 相を成して、法の方を辨ぜん – 至治の極は後王に復(か)えることなり。治の経は、礼と刑となり。
 03 相を成して、聖王を道(い)わん – 氾利兼愛して徳の施し均しく、上下を辨治し貴賤に〔差〕等あり君臣を明かにす。
 04 患難なるかな、阪(かえ)ってこれを為し聖知は用いず愚者に謀り、前車の已に覆(くつがえ)れるに後未だ更(あらた)むるを知らず。
 05 相を成して、治の方を言わん – 君たるの論には五あり約にして明なり。君謹しんでこれを守らば下皆な平正にして国は乃ち昌ならん。

【26 賦篇(ふ) – 韻文詩による謎かけ】
 謎歌式の賦五篇、その他
 諸侯が礼を尊べば、世界はひとつに合わさるだろう。
 純粋ならば王となり、雑駁ならば覇となり、全く欠けていれば滅ぶ。 韻文
 01 礼の賦 – 日に非ず月に非ざるも天下の明と為る。致めて明かにして約、甚だ順にして体〔得〕すべし。
 02 知の賦 – 皇天、物を隆(くだ・降)し、以て下民に示したもう、或いは厚く或いは薄く、常に斉均ならず。
 03 雲の賦 – 地に託して宇(そら)に游び風を友として雨を子とし、冬日は寒を作し夏日は暑を作す。
 04 蚕の賦 – 功立ちて身は廃てられ、事成りて家は敗られ、其の耆老を棄てて其の後世を収めらる。
 05 箴(針)の賦 – 知なく巧なきも善く衣裳を治め、以に能く縦を合して又た善く衡(横)を連ぬ。
 06 請う、佹詩を陳べん – 天と地と位を易え四時は鄉(向)を易え、列星は隕墜(けんつい)し旦暮も晦盲(かいもう)す。

【27 大略篇 – 荀子言行の大略概要】
 雑多な問題についての短文の集録、孔子など古人の言葉を含む。
 01 人に君たる者は、礼を隆(とうと)び賢を尊べば而ち王たり、法を重んじ民を愛すれば而ち霸たり、利を好み詐多ければ而ち危うし。
 02 四旁に近からんことを欲すれば中央に如くは莫し。故に王者の必ず天下の中に居るは礼なり。
 03 諸侯の相い見ゆるや、卿を介(副)と為し、其の教士を以(ひきい)て畢(ことごとく)行かしめ、仁〔者〕をして居り守らしむ。
 04 人を聘するには珪を以てし、士を問うには璧を以てし、人を召すには瑗を以てし、人を絶つには玦を以てし、絶ちたるを反すには環を以てす。
 05 王者は仁を先にして礼を後にす。
 06 時宜ならず敬文ならず驩欣ならざれば、指(うま・旨)しと雖ども礼に非ざるなり。
 07 礼なる者は其の表(しるし)なり。
 08 舜曰わく – 予は欲に従いて治まる。
 09 五十なれば喪を成さず、七十なれば唯衰存するのみ。
 10 往きて爾の相(妻)を迎え、我が宗事を成し、隆(あつ)く率がわしむるに敬を以てし、先妣(せんび)を嗣がしめよ。若(なんじ)は則ち常あれ。
 11 夫れ行なる者は礼を行うの謂なり。
 12 其の臣妾を忿怒するは、猶お刑罰を万民に用うるがごとし。
 13 君子の子に於けるや、これを愛するも面にすること勿く、これを使うも貌(かたち)すること勿く、これを導くに道を以てするも彊うること勿し。
 14 礼は人心に順うを以て本と為す。
 15 礼の大凡 – 生に事うるには驩を飾り、死を送るには哀を飾り、軍旅には威を飾る。
 16 仁は愛なり、故に親しむ。義は理なり、故に行う。礼は節なり、故に成る。仁に里あり、義に門あり。
 17 死を送るに柩尸に及ばず、生を弔うに悲哀に及ばざるは、礼に非ざるなり。
 18 礼なる者は政の輓(ひきづな)なり。
 19 能く患を除けば則ち福と為り、能く患を除かざれば則ち賊と為るべし。
 20 禹は耕やす者の耦(ならび)立つを見れば而ち式し、十室の邑を過ぐれば必ず下りたり。
 21 民を治むるに礼を以てせざるときは動けば斯ち陥(おちい)らん。
 22 吉事には尊を尚(うえ)にし、喪事には親を尚にす。
 23 夫婦の道は正さざるべからず。君臣父子の本なればなり。
 24 人に礼なければ生きず、事に礼なければ成らず、国家に礼なければ寧からず。
 25 君子は律を聴き容を習いて而る後に出ず。
 26 内(閨房)は十日に一御なり。
 27 坐するときは膝を視、立つときは足を視、応対言語するときは面を視る。
 28 礼なる者は、本末相い順がい、終始相い応ず。
 29 下臣は君に事うるに貨を以てし、中臣は君に事うるに身を以てし、上臣は君に事うるに人を以てす。
 30 易に曰わく – 復して道に自れば何ぞ其れ咎(とが)あらん。
 31 交譎(こうきつ)の人、妒昧の臣は、国の薉孽(あいげつ)なり。
 32 国を治むる者は其の宝を敬い其の器を愛し其の用を任じて其の祅(よう・妖)を除く。
 33 富まざれば民の情を養うこと無く、教えざれば民の性を理むること無し。
 34 武王の始めて殷に入りしとき商容の閭を表わし、箕子の囚(とらわれ)を釈(ゆる)し、比干の墓に哭しければ、天下善に鄉(向)えり。
 35 迷う者は路を問わざればなり、溺るる者は遂(あさせ)を問わざればなり。亡〔国の〕人は独を好む。
 36 法ある者は法を以て行い、法なき者は類を以て挙う。
 37 父母の喪には三年事とせず、齊衰(しせい)と大功には三月事とせず。
 38 管仲の人と為りは功を力(つと)めて義を力めず、知を力めて仁を力めず、野人なり。
 39 孟子曰わく – 我れは先ず其の邪心を攻(治)む。
 40 曾元曰わく – 志卑(ひく)き者は物を軽んず。物を軽んずる者は助けを求めず。苟くも助けを求めざれば何ぞ能く〔賢者を〕挙げん。
 41 箴(はり)を亡いし者、終日これを求むるも得ず、其のこれを得るときは目の明を益せるにあらず眸(ぼう)してこれを見ればなり。
 42 義の利に勝つ者は治世たり、利の義に克つ者は乱世たり。
 43民の任(しごと)を重くして能えざるを誅するは、此れ邪行の起る所以にして刑罰の多き所以なり。
 44 上義を好めば則ち民は闇にも〔修〕飾し、上富を好めば則ち民は利に死す。
 45 何の以に雨ふらざることの斯の極に至るや。
 46 天の民を生ずるは君の為めにするに非ざるなり。天の君を立つるは民の為めにするなり。
 47 主の道は人を知り、臣の道は事を知る。
 48 農は田に精(くわ)しきも、田師と為るべからず。工賈も亦た然り。
 49 賢を以て不肖に易えれば、卜を待ちて而る後に吉を知る〔が如き〕にあらず。
 50 卞荘子を忌みて敢えて卞を過らず。子路を畏れて敢えて蒲を過らず。
 51 先王の道は則ち堯・舜のみ。六芸の博きは則ち天府のみ。
 52 君子の学は蛻(ぬけがら)の如く幡然として遷(うつ)る。歳、寒ならざれば松柏を知ることなく、事、難からざれば君子を知ることなし。
 53 小人は内に誠ならずしてこれを外に求む。
 54 言いて師を称せざるはこれを畔(叛)と謂う。教えて師を称せざるはこれを倍と謂う。
 55 行に足らざる者は説の過ぎ、信に足らざる者は誠言す。
 56 曾子と晏子 – 近きを親しましめて遠きを附くるは孝子の道なり。君子は人に贈るに言を以てし、庶人は人に贈るに財を以てす。
 57 人の文学に於けるや、猶お玉の琢磨に於けるがごときなり。切するが如く磋するが如く琢するが如く磨するが如し。(『詩経』衛風・淇奥)
 58 君子は疑わしきは則ち言わず、未だ問わざるは則ち言わず。道は遠きも日々に益むなり。
 ― 学なる者は必ずしも仕うるが為めに非ざるも而も仕うる者は必ず学に如いてす。
 59 子貢曰わく – 大なるかな死や。君子も息い小人も休う。
 60 『詩経』 国風・小雅評 – 其の欲を盈(み)たすも其の止まるところを愆(あやま)らず。
 61 国の将に興らんとするや、必ず師を貴んで傅を重んず。国の将に衰えんとするや、必ず師を賤しみて傅を軽んず。
 62 古者、匹夫は五十にして士(つか・仕)う。天子諸侯の子は十九にして冠し、冠し治を聴くは其の教至ればなり。
 63 盜に糧を齎(おく)り、賊に兵を借す。
 64 自ら其の行を嗛(たらず)とせざる者は、言濫にして過ぐ。礼に非ざれば進まず、義に非ざれば受けず。
 65 子夏曰わく – 利を争うこと蚤甲の如くなれば而ち其の掌を喪わん。
 66 友なる者は相い有(たも)つ所以なり。道同じからざれば何を以て相い有たん。
 ― 大車を將(たす)くる無かれ、維れ塵冥冥たり。(『詩経』小雅・無将大車)
 67 懦弱(だんじゃく)にして奪い易きは仁に似て非なり。
 68 仁義礼善の人に於けるは、これを辟(たと)うるに貨財粟米の家に於けるが若きなり。
 69 凡そ物は乗ずるに有りて来る。其の出でし者は是れ其の反る者なり。
 70 禍の由りて生ずる所は、纖纖に自る。
 71 言の信なる者は,区蓋の間に在り。疑わしきは則ち言わず、未だ問わざるは則ち言わず。
 72 君子は説(よろこ)ばしめ難し。これを説ばすに道を以てせざれば説ばざるなり。
 73 曾子、泣涕して曰わく – 異心あらんや、其のこれを聞くことの晚(おそ)きを傷みしなり。
 74 吾れの短なる所を用って人の長ぜる所に遇ること無かれ。
 75 多言にして類あるは聖人なり。少言にして法あるは君子なり。
 76 分義あれば則ち天下を容くるとも治まり。分義なければ則ち一妻一妾なりとも乱れん。
 77 天下の人は各々意を特にすと唯(いえど)も、然れども共に予(くみ・与)する所あり。
 78 惟惟(いい)として而も亡ぶ者は誹ればなり。博くして而も窮する者は訾ればなり。清くせんとして俞々濁る者は口なり。
 79 君子は能く貴ぶべきことを為すも、人をして必ず己を貴ばしむること能わず、能く用うべきことを為すも、人をして必ず己を用いしむること能わず。
 80 誥誓(こうせい)あるは五帝に及ばず。盟詛(めいそ)あるは三王に及ばず。質子(ちし)を交うるは五伯(五覇)に及ばず。

【28 宥坐篇 – 坐右の戒め(篇首の二字)】
 孔子の言行の集録
 01 宥坐の器に、孔子喟然と歎じて曰わく – 吁、悪んぞ満ちて覆えらざる者あらんや。
 02 孔子曰わく、人に悪しき者の五つ有り – 一:心達にして倹、二:行辟にして堅、三:言偽にして辯、四:記醜にして博、五:順非にして澤。
 03 義もて刑し義もて殺し、〔刑を〕庸(もち・用)うるに予に即くこと勿かれ。維だ未だ順(おし)うる事あらずとのみ曰え。(『書経』康誥篇)
 04 彼の日月を瞻(み)れば、悠悠として我れ思う。道の遠ければ曷ぞ能く来たらん。(『詩経』邶風・雄雉)
 05 孔子、東流の水を観す – 君子は大水を見れば必ず観するなり。
 06 孔子曰わく – 吾れ恥ずること有り。吾れ鄙(いや)しむこと有り。吾れ殆ぶむこと有り。
 07 今の学は曾ち未だ肬贅(ゆうぜい・イボとコブ)にも如かざるに、則ち具然として人の師たらんことを欲す。
 08 由(子路)、これを聞けり – 善を為す者は、天これに報ゆるに福を以てし、不善を為す者は、天これに報ゆるに禍を以てす。
 ― 芷蘭(しらん)は深林に生じ、人なきに以りて芳(かんば)しからざるに非ず。君子の学は通ずるが為めに非ず。
 ― 夫れ賢と不肖とは材なり。為すと為さざるとは人なり。遇と不遇とは時なり。死生は命なり。
 09 太廟の堂には亦た嘗に説あるべし。蓋(けだ)し文を貴べるならん。

【29 子道篇 – 子としての道】
 子としての道、子の道等の問題についての孔子の言葉  雑録
 01 入ては孝、出でては弟なるは、人の小行なり。上に順いて下に篤きは、人の中行なり。
 ― 道に従いて君に従わず、義に従いて父に従わざるは、人の大行なり。
 ― 若し夫(そ)れ志は礼に以りて安んじ、言は類に以りて使えば、則ち儒道畢(おわ)る。
 02 従うと従いざるとの義に明かにして、能く恭敬・忠信・端愨(正)を致して以てこれを慎しみ行えば、則ち大孝と謂うべきなり。
 03 子の父に従うは奚ぞ子の孝ならん。臣の君に従うも奚ぞ臣の貞ならん。其のこれに従う所以を審らかにするを孝と謂い、貞と謂う。
 04 孔子と子路 – 国士の力ありと雖も、自ら其の身を挙ぐること能わざるは、力無きに非ず。勢の不可なればなり。
 ― 君子入りては則ち篤く行い、出でては則ち賢を友とす。
 05 孔子と子路と子貢 – 礼には是の邑(くに)に居れば其の大夫を非らず。
 06 君子は知れるを知れりと曰い、知らざるを知らずと曰う、言の要なり。
 ― 能くするを能くすと曰い、能くせざるを能くせずと曰う、行の至なり。言要なれば則ち知、行至れば則ち仁。
 07 顔淵対えて曰わく – 知者は自ら知り、仁者は自ら愛す。
 08 子路、孔子に憂いを問う – 君子は其の未だ得ざるときは則ち其の意を楽しむ。既已にこれを得たるときは又た其の治を楽しむ。
 ― 是の以に終身の楽ありて一日の憂もなし。

【30 法行篇 – 礼とその行い方】
 孔子とその弟子の曾子、子貢の言葉
 01 礼なる者は、衆人は法とりて知らず、聖人は法りてこれを知る。
 02 曾子曰わく – 内の人を疏んじて外の人を親しむこと無かれ。身の不善にして人を怨むこと無かれ。刑の己に至りて天を呼ぶこと無かれ。
 03 曾子、曾元に曰わく – 君子苟に能く利の以めに義を害うこと無ければ、則ち恥辱も亦た由りて至ること無し。
 04 子貢、孔子に問いて曰わく – 君子を念えば、温として玉の如し。(『詩経』秦風・小戎)
 05 曾子曰わく – 人を怨む者は窮し、天を怨む者は識なし。これを己れに失しながら諸れを人に反〔求〕するは、豈(そ)れ迂ならずや。
 06 子貢曰わく – 君子は身を正して俟つ。来たらんと欲する者は距まず、去らんと欲する者は止めず。
 ― 且つ夫れ良医の門には病人多く、檃栝(ためぎ・矯木)の側には枉木多し。
 07 孔子曰わく – 君子に三恕あり。
 08 君子は少(わか)くして長ぜるときを思いては則ち学び、老いて死せるときを思いては則ち教え、有して窮せんときを思いては則ち施すなり。

【31 哀公篇 – 魯の哀公(篇首の二字)】
 魯の哀公と孔子の問答等
 01 魯哀公、孔子に問う – 今の世に生まれて古の道に志し、今の俗に居りて古の服を服す、此れに舍(処)りて非を為す者は亦た鮮なからずや。
 02 孔子曰わく – 人に五儀あり。庸人あり、士あり、君子あり、賢人あり、大聖あり。
 03 孔子曰わく – 古の王者は務(ぼう・冒)にして拘(曲)領なる者も有りしも、其の政は生を好みて殺を悪めり。
 04 丘(孔子)、これを聞く – 君なる者は舟にして、庶人なる者は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す。
 05 丘(孔子)、これを聞く – 肆(あきない)を好む者は折〔閲〕を守らず、長者は市(あきない)を為さず。
 06 魯哀公、孔子に人材登用を問う – 健なるものを取ることなかれ。詌(おびやか)すものを取ることなかれ。口の啍なるものを取ることなかれ。
 07 魯定公、顏淵に問う – 鳥は窮すれば則ち啄(ついば)み、獣は窮すれば則ち攫み、人は窮すれば則ち詐(いつわ)る。

【32 堯問篇 – 堯、舜に問う(篇首の二字)】
 堯と舜の問答ほか古来の聖賢の吉行の集録、末尾に荀子をたたえる押韻をまじえた文がある 雑録
 01 堯、舜に問う – 一を執りて失うこと無く、微を行いて怠ること無く、忠信にして倦むこと無ければ、而ち天下は自からに来たらん。
 02 魏武侯と呉起 – 諸侯、師を得る者は王たり、友を得る者は霸たり、疑を得る者は存し、自ら謀を為して己れに若くものなき者は亡ぶ。
 03 周公旦と伯禽の傅(つきびと) – 君子は好むに道徳を以てす、故に其の民も道に帰するなり。
 04 孫叔敖曰わく – 吾れ三たび楚に相たるも心は瘉々(いよいよ)卑く、禄を益す毎にして施は瘉々博く、位は滋々尊くして礼は瘉々恭し。
 05 孔子と子貢 – 人の下と為る者は、其れ猶お土のごときなり。
 06 賢に親しみ知を用いざるの故に身は死し国は亡びしなり。
 07 後序 荀子評 – 説を為す者は、孫卿(荀子)は孔子に及ばず、と曰うも、是れ然らず。
 ― 孫卿は乱世に迫られ厳刑に遒(迫)られ、上に賢主なくして下は暴秦に遇い、礼義は行われず教化は成らず、
 ― 仁者は絀約して天下は冥冥、行の全きにはこれを刺りて諸侯も大いに傾むく。
 ― 今の学者、孫卿の遺言余教を得れば、天下の法式表儀と為るに足り、存する所は神まり過ぐる所は化す。其の善行を観るに孔子も過ぎず。
 ― 其の知は至めて明かにして、道に循がいて行を正し、以て紀綱と為すに足る。