王朝物語は、平安時代後期から室町時代前期にかけて作られた小説・物語群のうち、和文と平仮名表記をもっぱらとし、王朝期の風俗や美意識・文学観念に依拠しつつ製作されたものを指すものです。
これらに共通するのは王朝の風俗を色濃く反映した作り物語フィクションであり、主題は恋にあるという点です。
貴族の男女の恋模様が纏綿たる情緒の中に、あるときは初々しくまたあるときは悲劇的に連綿と綴られて行くもので、当時の教養であった歌(和歌)が物語の随所にちりばめられて興趣を誘うものが多いことが特徴です。
そんな中で原作の物語があるのに、何かの事情から作り改めた物語を改作物語と呼んでます。
更には、原作のほうは散逸し、改作側しか残っていないものも多く、こうした散逸してしまった物語を散逸物語と呼びます。
原作が残っていないということは、そもそもの原作の独自性がどこで、改作でどう手直しされているのかが判断できません。
古典を読む場合、それが原作なのか、改作なのか、散逸なのかを見比べながら読み解くというのも一興です。
こうした王朝物語ですが、源氏物語を始めとして、ある程度メジャーなものは限られており、大半はほどんと省みられることも少ない希少本になっています。
歴史に埋もれがちな王朝物語。
お休みの折などに、こうした古きよき時代の日本文学に触れてみてはいかがでしょうか。
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竹取物語:
『竹取物語』は通称で、『竹取翁の物語』とも『かぐや姫の物語』とも呼ばれる。
かぐや姫が竹の中から生まれたという竹中生誕説話(異常出生説話)、かぐやが3ヶ月で大きくなったという急成長説話、かぐや姫の神異によって竹取の翁が富み栄えたという致富長者説話、複数の求婚者へ難題を課していずれも失敗する求婚難題説話、帝の求婚を拒否する帝求婚説話、かぐや姫が月へ戻るという昇天説話(羽衣説話)、最後に富士山の地名由来を説き明かす地名起源説話など、非常に多様な要素が含まれているにもかかわらず、高い完成度を有していることから物語、または古代小説の最初期作品である。
以下でも少し触れていますので、参考にしてください。
・十三夜再び 171年ぶりの「後の十三夜」
伊勢物語:
業平の歌物語
『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』とも呼ばれる。
ある男の元服から死にいたるまでを数行程度の仮名の文と歌で作った章段を連ねることによって描く。
各話の内容は男女の恋愛を中心に、親子愛、主従愛、友情、社交生活など多岐にわたるが、主人公だけでなく、彼と関わる登場人物も匿名の「女」や「人」であることが多いため、単に業平の物語であるばかりでなく、普遍的な人間関係の諸相を描き出した物語である。
平中物語:
歌物語。
主人公の「平中」は、平安時代中期の歌人、平貞文。『伊勢物語』の影響が大きい作品であるが伊勢物語に比べ地文が多いという。
多武峯少将物語 篁物語:
右少将藤原高光が961年(応和元年)8月多武峯に移り、草庵をむすぶまでを、藤原高光と妻(少将敦敏の女)、妹(愛宮)らとのあいだでかわされた和歌を中心に叙する。
宇津保物語:
『竹取物語』にみられた伝奇的性格を受け継ぎ、日本文学史上最古の大長編伝奇小説である。
遣唐使清原俊蔭は渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着する。天人・仙人から秘琴の技を伝えられた俊蔭は、23年を経て日本へ帰着した。俊蔭は官職を辞して、娘へ秘琴と清原家の再興を託した後に死んだ。俊蔭の娘は、太政大臣の子息(藤原兼雅)との間に子をもうけたが、貧しさをかこち、北山の森の木の空洞 – うつほで子(藤原仲忠)を育てながら秘琴の技を教えた。兼雅は二人と再会し、仲忠を引き取った。〔俊陰〕
そのころ、源正頼娘の貴宮(あて宮)が大変な評判で求婚者が絶えなかった。求婚者には春宮(皇太子)、仲忠、源涼、源実忠、源仲純、上野宮、三春高基らがいたが続々と脱落し、互いにライバルと認める仲忠と涼が宮中で見事な秘琴の勝負を繰りひろげたものの、結局、あて宮は春宮に入内し、藤壺と呼ばれるようになった。〔藤原の君〜あて宮〕
仲忠は女一宮と結婚し、その間に娘の犬宮(いぬ宮)が生まれた。俊蔭娘は帝に見いだされ尚侍となる。仲忠は大納言へ昇進し、春宮は新帝に、藤壺腹の皇子が春宮になった。〔蔵開・上〜国譲・下〕
仲忠は母にいぬ宮へ秘琴を伝えるようお願いし、いぬ宮は琴の秘技を身につける。いぬ宮は2人の上皇、嵯峨院と朱雀院を邸宅に招いて秘琴を披露し、一同に深い感動を与えるシーンで物語は終わる。〔楼上・上〜下〕
落窪物語:原作:落窪おちくぼ物語 改作:落窪の草子
継子いじめの物語
露骨な表現や下卑た笑いもみられることから当時の男性下級貴族であろうと言われている。
主人公は中納言源忠頼の娘(落窪の姫)である。母と死別した落窪の姫は継母のもとで暮らすことになったが、継母からは冷遇を受けて落窪の間に住まわされ、不幸な境遇にあった。しかし、そこに現われた貴公子、右近の少将道頼に見出されて、姫君に懸想した道頼は彼女のもとに通うようになった。姫君は継母に幽閉されるが、そこを道頼に救出され、二人は結ばれる。道頼は姫君をいじめた継母に復讐を果たし、中納言一家は道頼の庇護を得て幸福な生活を送るようになった。
源氏物語:
紫式部(詳細は作者を参照)の著した、通常54帖(詳細は巻数を参照)よりなるとされる。写本・版本により多少の違いはあるものの、おおむね100万文字・22万文節400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶおよそ500名近くの人物が登場し、70年余りの出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む典型的な王朝物語である。物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされる。
以下でも少し触れていますので、参考にしてください。
・今日(11/1)古典の日に、源氏物語を読む!
狭衣物語:原作:狭衣物語 改作:狭衣の草子
狭衣中将の恋物語
狭衣大将は、従妹・源氏宮に想いを寄せているが東宮も彼女に懸想しており叶わぬ恋であった。ある時、仁和寺の僧に浚われそうになっていた飛鳥井姫を救出し契りを結ぶ。やがて彼女は身売りされ、瀬戸内海で入水したが救われて出家、狭衣の子を産んで病死。一方で狭衣は女二の宮と誤って契りを結び、宮は彼の子を生んで尼となった。東宮が即位した後、源氏宮は神託により斎院(賀茂神社の巫女)となる。全ての愛人を失った狭衣大将は年長の女一の宮との結婚を余儀なくされる。狭衣は出家を望むが、神託により皇位につくことになる。艶麗な文体で評価が高いが、安易な御都合主義的展開を批判される。
浜松中納言物語:
中国まで舞台の大ロマン
浜松中納言は母と共に左大将の家で養われ、その家の大君と恋に落ちる。ある時、故父宮が唐の皇子に転生していると夢で見て唐に渡り、皇子の母后と契り若宮が生まれる。中納言は若宮を連れて日本に帰ってみると、大君は中納言の子を生んだ後に尼となっていた。中納言は大君と母后の双方への想いで揺れる事になる。唐后の母(故上野宮の娘)は帥の宮との間に吉野姫を儲けており、中納言に姫を託す。その後、唐后が中納言の夢に現われ「死して再び中納言と結ばれるため吉野姫の腹に宿った」と告げた。
三島由紀夫はこの『浜松中納言物語』に強く惹かれて、輪廻転生をテーマとした『豊饒の海』を執筆したと言われている。
※)豊饒の海に関しては、こちらも参考にしてください。
・三島由紀夫!豊饒の海に織り込められた人間の姿!
※)『浜松中納言物語』については、別途整理したいと思います。
夜半の寝覚:原作:夜の寝覚(一部散逸) 改作:夜の寝覚物語
寝覚めの君の恋物語
関白左大臣の子・中納言は、源氏の大臣の大君と結婚するが、その妹である中の君と契り中の君は女の子を産む。彼女は姉・大君に遠慮して父の元に姿を隠し、やがて老関白の後妻として男児(実は中納言の子)を生む。一方、中納言は大君病死後に後妻として朱雀院の女一の宮を迎える。老関白の娘が入内し中の君も後見として宮中に入るが、冷泉帝は娘より中の君に言い寄る。現世に嫌気がさした中の君は出家を思うが、その後も息子が冷泉帝の女二の宮と恋愛騒動を起すなどで出家が叶わない。一女性を中心にストーリーを描いた作品。
とりかへばや物語:原作:とりかへばや(散逸) 改作:今とりかへばや
男女取替えのお色気小説
大納言の二人の子はそれぞれ男女逆として育てられる。中納言(女君)は右大臣の四の君と結婚するが、四の君は宰相中将と密通して懐妊しこれを知った中納言は苦悩。その中納言も宰相中将に女と知られ彼の子を妊娠。一方で尚侍(男君)は女東宮と通じ妊娠させてしまう。そのため兄妹は相互に入れ替わり、尚侍(女君)は女東宮の子を産み中納言(男君)は四の君と夫婦生活を送る。宰相中将の人物描写が浅薄との批判がある。
堤中納言物語:
10編の短編物語および1編の断片からなる短編小説集
10編の物語の中のいずれにも「堤中納言」という人物は登場せず、この表題が何に由来するものなのかは不明。複数の物語をばらけないように包んでおいたため「つつみの物語」と称され、それがいつの間にか実在の堤中納言(藤原兼輔)に関連づけられて考えられた結果として堤中納言物語となった、など様々な説がある。
栄花物語:
仮名文による歴史物語。女性の手になる編年体物語風史書。
六国史の後継たるべく宇多天皇の治世から起筆し、摂関権力の弱体化した堀河朝の寛治6年2月(1092年)まで、15代約200年間の時代を扱う。藤原道長の死までを記述した30巻と、その続編としての10巻に分かれる。
今昔物語:
日本のアラビアンナイトと呼ばれる説話集。全31巻(8巻・18巻・21巻は欠損)
編纂当時には存在したものが後に失われたのではなく、未編纂に終わり、当初から存在しなかったと考えられている。また、欠話・欠文も多く見られる。
天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部で構成され約1000余りの説話が収録されている。各部では先ず因果応報譚などの仏教説話が紹介され、そのあとに諸々の物話が続く体裁をとっている。
いくつかの例外を除いて、それぞれの物語はいずれも「今昔」という結びの句で終わる。
その他の特徴としては、よく似た物話を二篇(ときには三篇)続けて紹介する「二話一類様式」があげられる。
松浦宮物語:
少将氏忠は幼馴染であるかんなびの女王に恋慕し菊の宴の夜に契りを結ぶが、やがて女王は入内し少将は遣唐副使として渡唐。唐では帝から信任を受け、ある夜に帝の妹・華陽公主より琴の秘曲を伝授される。二人は惹かれあい後日に契るが、水晶の玉を形見に公主は没した。帝の病没後、皇弟が反乱し少将は新帝・母后を連れて蜀に逃れ乱を治める。その後、正体不明の女性と契りを結ぶ。女性の正体は母后であり、少将は天童・母后は天衆で阿修羅退治の為に天から下されたと秘密が明かされ鏡が形見として渡される。帰国した少将が玉をもって法要を行うと華陽公主が蘇り再会。そんなある日、鏡をのぞいてみると母后の姿が見えた。
いはで忍ぶ物語:
全8巻の長編物語と見られるが、現存するのは第1巻・第2巻のみ。『源氏物語』『狭衣物語』の影響が濃い。
内大臣と関白の恋の鞘当て、そして右大将(関白の息子)の悲恋と出家を描く。
内大臣は先帝一条院の皇子で関白太政大臣の養子となっているが、一品宮(時の帝である白河帝の第二皇女)と結婚し、一男一女をもうけている。二位中将(後の関白)は母によく似た一品宮を恋慕し、「いはでしのぶ」嘆きに沈んでいた。
内大臣はある時、異母兄・伏見入道の二人の娘、大君・中君と知り合う。入道の希望で内大臣は姉の大君を妻にするが、白河帝によって大君を奪われてしまい、一品宮も誤解から父白河帝に連れ戻されてしまう。その後一品宮は出家し、最愛の一品宮を失った内大臣は悲嘆のうちに病死した。
一方、関白(二位中将)は一品宮の面影を求めて、大君・中君姉妹のみならず斎院(伏見入道の妹)とも密通する。大君は嵯峨帝(白河帝の子)に寵愛され皇后となり、中君は関白との間に若君をもうけて妻となった。また斎院も男子(後の右大将)を産んだが、一品宮に我が子を託して死去、関白を悲しませた。
その後嵯峨帝に皇子がないことから、内大臣と一品宮の息子が嵯峨帝の養子となり、今上帝として即位する。母一品宮は女院となり、妹宮(二品宮)は関白の北の方となった。また関白と斎院の子・右大将も二品宮を恋慕していたが、思い叶わず失意のうちに出家した。
風につれなき物語:
擬古物語。鎌倉時代屈指の長編物語と考えられるが、現在は冒頭の、しかもストーリーを短縮して編集したとおぼしき1巻のみが現存する。
題名の由来は不明だが、男君たちに対する女主人公の「風につれなき」態度を表したものと考えられている。病気・死・出家の描写や世のはかなさを嘆く歌が多いことから、『源氏物語』特に宇治十帖の影響を色濃く受けている。
故関白には長男の関白左大臣・次男の右大臣左大将・長女の大宮(吉野帝の母)・次女の式部卿宮北の方がいる。兄関白には2人の美しい娘がおり、長女(姉姫)は弘徽殿女御として吉野帝に入内して寵愛を受け、やがて中宮となる。弟右大臣には三位中将・藤壺女御などの子供がいる。その後、藤壺女御(弟右大臣の娘)が吉野帝の子を懐妊するが、皇子誕生を願う弟右大臣の熱心な祈祷もむなしく、生まれたのは皇女(女一の宮)だった。4年後、関白の次女(妹姫)は美しく成長し、吉野帝と権中納言(もとの三位中将)から好意を寄せられるがつれなく拒絶する。その後、弘徽殿中宮は皇子(堀川帝)を産むが、妹姫に皇子の養育を頼んで崩御する。吉野帝は残された妹姫に入内を催促し、また権中納言も妹姫に言い寄るが、皇子の養育に専念する妹姫はつれない態度を崩さない。
その後の部分は現存しないが、『風葉和歌集』に収録された和歌の内容から妹姫は独身のまま皇子(堀川帝として即位する)の准母として女院となったらしい。
宇治拾遺物語:
『今昔物語集』と並んで説話文学の傑作とされる。全197話、15巻から成る。
日本、天竺(インド)や大唐(中国)の三国を舞台とし、「あはれ」な話、「をかし」な話、「恐ろしき」話など多彩な説話を集めたものであると解説されている。ただ、オリジナルの説話は少なく、『今昔物語集』など先行する様々な説話集と共通する話が多い。
貴族から庶民までの幅広い登場人物、日常的な話題から珍奇な滑稽談など幅広い内容の説話を含む。
収録された説話の内容は、大別すると次の三種に分けられる。
・仏教説話(破戒僧や高僧の話題、発心・往生談など)
・世俗説話(滑稽談、盗人や鳥獣の話、恋愛話など)
・民間伝承(「雀報恩の事」など)
住吉物語:原作:(散逸) 改作:住吉物語
住吉物語は元来は落窪物語と同様に源氏物語に先行して作られたものであるが、後世に改作されたといわれる。
母を失い父・中納言のもとで育てられる姫君に四位少将が求婚するが、継母が妨害し自分の娘と少将を結びつける。一方で父は姫君の亡母との約束通り姫君の入内を図るが継母は法師と姫君密通の噂を巻き阻止する。そこで左兵衛督との結婚が持ち上がるが継母は老人である主計頭に姫君を盗ませようとしたため、姫君は乳母子と共に亡母の乳母が隠棲している住吉に脱出した。一方で中将(かつての少将)は姫君を忘れられず夢で姫君の居場所を知り住吉に赴き再会。二人は都に戻って結婚する。
無名草子:
鎌倉時代初期の評論。藤原俊成女という女性の立場から述べる王朝物語で、日本の散文作品に対する文芸評論書としては最古のものである。
そこでは、源氏物語のみならず上記のような物語、更に散逸した多くの物語について論じられ、物語の筋、文章の質、ヒロインや主人公の性格・心理描写などについて批評されている。中には作り直しを推奨される物語すらあり、しばしば過去作品のリメイクが行われた事が示唆される。
これは散逸物語の研究資料としてのみならず、中世初期における人々の中古文学享受史が伺える貴重な作品である。