心学と『都鄙問答』より学ぶ!時代の先見性を持って説いた石田梅岩の商業利益の正当化と自由主義経済の合理性に触れよ!

先の鎌田柳泓のところでも触れた心学について、少し整理を深めてみたいと思います。
『心学奥の桟』と『心学五則』より学ぶ!日本にはダーウィンより40年も前に進化論を唱えた偉大な人物がいた!

心学(石門心学)は、日本の江戸時代中期の思想家・石田梅岩を開祖とする倫理学の一派で、平民のための平易で実践的な道徳教のことですが、さまざまな宗教・思想の真理を材料にして、身近な例を使ってわかりやすく忠孝信義を説いたことから、当初は都市部を中心に広まり、次第に農村部や武士まで普及、江戸時代後期に大流行して全国的に広まったものの明治期に衰退しています。

梅岩が生きたのは、今から300年ほど前の18世紀前期、すなわち、江戸時代が始まって100年あまり経った頃でした。
江戸時代の100年間、経済はずっと右肩上りの成長を続け、元禄期にピークを迎えましたが、その後、停滞期に入りますが、梅岩が出現したのはその頃でした。
梅岩は、閉塞感のただよう中で、庶民たちが日々どのように生きていけばよいのか、庶民のための生活哲学を説き、やがてその教えが庶民の共感を呼び起こしていきます。
梅岩は、儒教・仏教・神道に基づいた道徳を、独自の形で、そして町人にもわかりやすく日常に実践できる形で説いたのですが、そのため「町人の哲学」とも呼ばれていたそうです。

17世紀末、商業の発展とともに都市部の商人は、経済的に確固たる地位を築き上げるようになりますが、士農工商の身分制度で最下層に位置付けられ、儒教思想の浸透にともない、商人はその道徳的規範を失いかけていました。
農民が社会の基盤とみなされていたのに対して、商人は何も生産せず、売り買いだけで労せずして利益を得ると蔑視されていたためです。
梅岩が「心学」という独自の学問・思想を創造したのも、自信を失っていたそうした商人達の精神的苦境を救うためでした。

梅岩は、
・士農工商という現実社会の秩序を肯定し、
・それを人間の上下ではなく単なる職業区分ととらえ、
・商人の利潤を武士の俸禄と同じように正当なものと認め、商人蔑視の風潮を否定
・その上で、倹約や正直、堪忍といった教えを倫理観として植え付けていく、
といった哲学を、儒教思想を取り込む形で庶民に説いていきます。
また梅岩は、市場価格の変動や流通、経済の仕組みを見抜いて、企業のあるべき姿を合理的に打ち立てていくのですが、その著書『都鄙問答』は、「商業」が「世の役に立つ」ことを証明した最初の書物であり、わが国の全ての経済書・経営書の原型ともなっていきます。

梅岩は『都鄙問答』の中で、
「取引の利益を得ることは商人の道であり、商人の利潤は、武士の俸給と同じものである」
と説き、利益の正当性を一般民衆にも分かりやすく解説しているのです。
こうした商人の利益の合理性を明快に説いた梅岩の思想は、市場価格の変動の原理を説き、論理で国家経済を客観的に捉えもしていたため、商人達は自らの仕事に誇りを持てるようになったとさえ言われており、ベンジャミン・フランクリンより半世紀早く商業利益を正当化し、アダム・スミスよりも約四十年もくに自由主義経済の合理性を説いている点では、その先見性と洞察力には感嘆するばかりです。

また梅岩は『都鄙問答』の中で、
「倹約とは、三つの財が必要であったものを二つで済むようにすることである」
と説き、必要なものまで出し惜しむ欲である「吝嗇(ケチ)」と倹約の違いを明確に定義しています。
こうした梅岩の思想は「至誠」を最高の徳目とし、「莫妄想」を戒律とした素朴な教えなのですが、富の蓄積を否定することも、豊かさを求める心を軽視することなく、頑張れば頑張るほど楽しく、人々も喜び、儲かるという日本独自の経営思想で貫かれているのです。

ここで、梅岩の思想の特徴をいくつか整理しておきたいと思います。

まず最初の特徴は「日常に生きるための道徳的根拠(通俗道徳)の提出」です。
日々の実践の現場から生み出された、実践的な「生きた学問」です。

次の特徴に「自らの心の問題に還元して考える視点」です。
自分がこんなに苦労するのは、社会や政治の側に問題があるからだと解釈し、自分の側に責任がないととらえるなら、社会変革を目指す思想になる可能性があります。
しかし、梅岩は決してその方向には向かわず、自分の心の問題に置きなおした上で、自分の心を鍛え、強い心になっていけば、どんな苦労や苦難も乗り越えられる「強い自分」(実践主体)が生れると説きます。
問題を、自分の側のものとして捉え、それを超えていく強い自分をつくっていく、内面的主体・道徳的主体を鍛え上げることを目指す学問です。
正直・勤勉・倹約という通俗道徳を、天地と一体化した心の深み・高みでとらえるところに、強い心、強い主体が生れていく、それを育てるのが梅岩の目指すところです。

次の特徴は「社会的視点」です。
心の問題に置き換えるだけなら、非常に主観的で独りよがりになる可能性があります。
しかし、社会的視点を組み込んでいるのが大変重要な点です。
道徳的行為や心のあり方の問題を、常に社会全体の文脈の中で、社会的に意味づけしているのです。
社会のとらえ方も鋭く優れた目を持っています。

更に「人間の道徳的な平等性」です。
身分や職分の違いを超えて、道徳的な平等性を主張する確信があったということです。
本性が「天」に一体化した人間のとらえ方から生まれた思想の面でもあります。

加えて「商人という存在の正当性」です。
江戸時代は農業を基本にした社会であり、商人たちは「必要悪」という程度にしか見られていませんでした。
商業の発展を抑えこんでいくという政策の現実がありました。
「商人と屏風は直ぐには立たず」、つまり商人は折り曲げないと立たないという「商人性悪説」のような考え方があったのです。

最後に「生まれながらの正直」です。
梅岩の言う商人の正直さとは、要するに、富の主は本来天下の人々です。
だからこそ、自分の個人的欲望をはなれて、「生れながらの正直」つまり宇宙的真理の心にもとづいて商売をするのこと、それが商人の道だと考えました。
その正直によってこそ相手が立ち、それゆえ自分もともに立ち、それが、商売を成り立たせる最大の根拠であるというのです。

こうした石田梅岩の思想は、町人の日常の経済活動から生み出されてきた思想ですが、客観的な経済の法則に沿って、経済活動を理論的に説いたわけではなく、むしろ、経済活動を担う人間の側から、心や道徳の問題に置き換えて、経済を考えようという発想でした。
経済を経済の論理で合理的に考えていけば効率的ですが、梅岩は、あえて不確かな人間の心の問題、人の幸せの問題に置きなおして考えていたのです。
だからこそ梅岩の思想は、経済価値によって人の行動を捉えてきた現代の私達の在り方を見直す格好の材料となるのかもしれません。

梅岩の思想に貫かれた誠実さや関わる人々への温かさに触れれば、誰もが「働くこと」の本質的な意義を悟ることができるのかもしれません。
先見の目を持った梅岩の哲学に、改めて触れてみてはいかがでしょうか。

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参考までに、『都鄙問答』のポイントをざっと纏めておきます。

『都鄙問答 石田梅岩』

1.商人の道
 商人の道については、〈商人ハ勘定委シクシテ、今日ノ渡世ヲ致ス者ナレバ、一銭軽シト云ベキニ非ズ。是ヲ重テ富ヲナスハ商人ノ道ナリ〉とあります。
 商人は、精密に計算をして日々をおくる者であるため、一銭もおろそかにせず、利益を重ねて行くことが道だというのです。
 続けて、〈富ノ主ハ天下ノ人々ナリ。主ノ心モ我ガ心ト同キユヘニ、我一銭ヲ惜ム心推テ、賣物ニ念ヲ入レ、少シモ麁相ニセズシテ賣渡サバ、買人ノ心モ初ハ金銀惜シト思ヘドモ、代物ノ能ヲ以テ、ソノ惜ム心自ラ止ムベシ。惜ム心ヲ止、善ニ化スルノ外アランヤ〉とあります。
 富の基は人々であり、人々の心は自分の心と同じであるから、自分が金を惜しむ心から推量して、売り物を大切に粗末にせず売れば、買う人もははじめは惜しいと思っても、役に立つので惜しむ心がなくなるというのです。
 惜しむ心がなくなれば、それは人々を善に導くことになるというのです。
 さらに、〈且、天下ノ財寶(ザイホウ)ヲ通用シテ、萬民ノ心ヲヤスムルナレバ、「天地四時流行シ、萬物育ハルヽ」ト同ク相合ン。如此シテ富山ノ如クニ至ルトモ、欲心トハイフベカラズ〉とあります。
 貨幣や物資が流通すれば、万民の心が満足するようになるため、春夏秋冬が巡り万物が健やかに育つような状態になるというのです。
 そのため、財産を築いても、欲深いとは言えないというのです。

2.時宜
 時宜については、〈其所ニ時ニ宜キコト有テ、一々ニコト分ルヽナリ〉とあります。
 その所と時に応じて適当なことがあって、それは場合によって違うというのです。
 その基準は、義や道と呼ばれるものです。
 そのため〈君子ハ命ヲステ義ヲ取ル。木綿ハ軽キコトナリ。假令一國ヲ得、萬金ヲ得ルトモ、道ニタガハヾ何ゾ不義ヲ行ハン〉とあります。

3.利
 利については、〈商人ノ道ヲ知ラザル者ハ、貪ルコトヲ勉メテ家ヲ兦ス。商人ノ道ヲ知レバ、欲心ヲ離レ仁心ヲ以テ勉メ、道ニ合テ榮ヲ学問ノ徳トス〉とあります。
 商人の道を知らなければ、むさぼりによって家を滅ぼすことになるというのです。
 一方、道を知れば欲を離れ仁の心で努力するため、道に適い栄えることができるというのです。
 利については、〈賣利ヲ得ルハ商人ノ道ナリ〉とあります。
 物を売って利益を得ることは商人の道だというのです。
 〈商人ノ買利ハ士ノ祿ニ同ジ。買利ナクハ士ノ祿無シテ事ガ如シ〉というわけです。

4.正直
 正直については、〈商人ハ正直ニ思ハレ打解タルハ互ニ善者ト知ルベシ〉とあります。
 〈自然ノ正直ナクシテハ、人ト竝ビ立テ通用ナリ難シ〉というわけです。
 商人は人と付き合うため、正直でなければ商売が難しいというのです。
 正直と利は結びついて考えられていて、〈直ニ利ヲ取ハ商人ノ正直ナリ。利ヲ取ラザルハ商人ノ道ニアラズ〉とあります。
 〈利ヲ取ザルハ商人ノ道ニアラズ〉というわけです。

5.相場
 相場については、〈賣物ハ時ノ相場ニヨリ、百目ニ買タル物、九十目ナラデハ賣ザルコトアリ〉とあります。
 売るものは相場により、百で買ったものに対し、九十でなければ売れないこともあるというのです。
 さらに、〈相場ノ高(アガル)時ハ強気ニナリ、下(サガ)ル時ハ弱気ニナル。是ハ天ノナス所、商人ノ私ニアラズ〉とあります。
 相場が上がれば商人は強気になり、下がると弱気になるというのです。
 これは天の差配であり、商人が自分勝手にできないとされています。
 そのため、〈其外何ニ限ラズ日々相場ニ狂ヒアリ。其公ヲ欠テ私ノ成ベキコトニアラズ〉とあります。
 その他にも何にでも相場の違いがあり、その法則を無視して勝手にはできないというのです。

6.天下の用
 天下の用については、〈商人ノ賣買スルハ天下ノ相(タスケ)ナリ〉とあります。
 商人の売買は世の中のためになるというのです。
 なぜなら、〈天下萬民産業ナクシテ、何ヲ以テ立ツベキヤ。商人ノ買利モ天下御(オン)免(ユル)シノ祿ナリ〉と考えられているからです。
 商人について、〈定リノ利ヲ得テ職分ヲ勉レバ、自ラ天下ノ用ヲナス。商人ノ利ヲ受ズシテハ家業勉ラズ〉とあります。
 商人が利益を得て仕事の役割を果たせば、世の中のためになるのですが、それは商人の利益あってこそだというのです。

7.欲心と道
 欲心と道については、〈欲心ト云テ道ニアラズト云ハヾ、孔子孟子ヲ始トシテ、天下ニ道ヲ知ル人アルベカラズ〉とあります。
 欲の心を道ではないというのなら、孔子や孟子も含めて、道を知る人はいなくなるというのです。
 〈然ルヲ士農工ニハヅレテ、商人ノ祿ヲ受ルヲ慾心ト云ヒ、道ヲ知ルニ及ザル者ト云ハ如何ナルコトゾヤ。我教ユル所ハ、商人ニ商人ノ道アルコトヲ教ユルナリ〉ともあります。
 商人の利益や欲を非難する者は、間違っており、商人には、商人の道があるというものです。
 その上で、〈商人ノ道ト云トモ、何ゾ士農工ノ道ニ替ルコト有ランヤ。孟子モ、「道ハ一ナリ」トノ玉フ。士農工商トモニ天ノ一物ナリ。天ニ二ツノ道有ランヤ〉とあります。
 商人の道といっても士・農・工の道と違うことはなく、道は孟子の言うように一つだというのです。

8.我と先
 自身と商売相手との関係については、〈我身ヲ養ルヽウリ先ヲ、疎末(ソマツ)ニセズシテ真実ニスレバ、十ガ八ツハ賣先ノ心ニ合者ナリ。賣先ノ心ニ合ヤウニ商賣ニ情ヲ入勤ナバ、渡世ニ何ンゾ案ズルコトノ有ベキ〉とあります。
 買い手に自分が養われていると考えて、相手を尊重すれば、十に八は相手側の満足が得られるというのです。
 買い手が満足するように努力すれば、暮らしの心配もいらなくなるとされています。

9.倹約
 倹約については、〈倹約ト云ヲ世ニ誤テ吝コトヽ思フハ非ナリ。聖人ノ約トノ玉フハ、侈リヲ退ケ法ニ従フコトナリ〉とあります。
 倹約とは、おごりを退けて、法に従うことだとされています。
 梅岩の『斉家論』には、
 〈倹約は財宝を節(ほどよ)く用ひ、我分限に応じ、過不及なく、物の費捨る事をいとひ、時にあたり法にかなふやうに用ゆる事成べし〉
 〈士の道をいへば農工商に通ひ、農工商の道をいへば士に通ふ。なんぞ四民の倹約を別々に説べきや。倹約をいふは他の儀にあらず、生まれながらの正直にかへし度為なり〉
 とあります。