リチャード・フランシス・バートンは、19世紀のインディ・ジョーンズか?稀代の天才か?

今日(3月19日)は、『千夜一夜物語』(アラビアン・ナイト)の翻訳として有名なサー・リチャード・フランシス・バートンの194回目の誕生日です。

彼は、冒険家、探検家であり人類学者、作家、言語学者、翻訳家、軍人、外交官など様々な顔を持つ人物。

インド、アラブ、アフリカ、南北アメリカなどを探検してタンガニーカ湖を発見し、剣術の達人でもあり、不眠症で放浪癖を持ち、高い教養があって方言をふくめると40ヶ国語を話せる語学力も身につけており、常にエネルギッシュな人物であったと言われています。

現地の人間に完璧に化けることができメッカにも潜入、アラビアではイスラム神学者の前で教義についての厳しい考査に合格したこともあるようです。

バートンをテーマにした映画「愛と野望のナイル」というのもあるのですが、残念ながらDVD化はされていません。

そしてバートンといえば、『千夜一夜物語』『カーマ・スートラ』『匂える園』などの翻訳家としても有名ですね。

『千夜一夜物語』いわゆるアラビアン・ナイトは、元々数ある話を主人公のシェヘラザードがシャリアール王に寝所にて話をするという設定でひとつの著書としてうまくまとめたもので、最古の物でペルシア(現イラン)で作成された879年頃の年号の入った著書があるようです。

後にバクダット改編(10世紀頃)、カイロ改編版(12世紀頃)などを経て、西洋に紹介されたのが18世紀頃。

一番最初に西洋にこの物語を紹介したA.ガランは、アリババと40人の盗賊、アラジンの魔法のランプという、原作にはなかった話を追加して発表しています。(こうした物語は、本来なかったというのが意外ですね)

本来は、イソップ物語のような動物を主人公とした寓話や教訓めいた話が主だったのですが、設定が寝物語ということもあって次第に結構猥雑な話が加えられていったようで、特にバートン翻訳版は後者の傾向が強く、それが却って現代まで読み継がれている理由になっているのかもしれません。

次回からは、『千夜一夜物語』について少し振り返ってみる予定です。。

よく見知った話もあれば、きっとまったく聞いたこともない物語も出てくるかと思いますので、ご一緒にアラビアン・ナイト・サーガを楽しんでいければ、と思っています。

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