今年になり、初めて身内での葬儀を執り行ったのですが、そこで実感したのは日本での仏教宗派とその信仰にはさまざまな形態があるということでした。
お恥ずかしながら、これまであまり自分の家系の宗派ということを強く意識してこなかったこともあるのですが、さすがに葬儀ともなるとそうも言ってはいられません。
そんな中、日本の仏教宗派というものが(他の宗教に見られるような)宗派同士の争いや確執といったものが殆どない、ということも改めて気付かされました。
ここでは、(あくまで代表的な宗派だけではありますが)そういった日本の仏教宗派について整理しておこうと思います。
【日本仏教宗派】
一般には、日本での仏教宗派は「13宗」から成り、そこからいくつかの分派に分かれていく形態をとっています。
ざっと、並べますと、
律宗 奈良仏教:「南都六宗」の一つで「戒律」の哲学的研究。
華厳宗 奈良仏教:「華厳経」の縁起説の哲学的研究。
法相宗 奈良仏教:唯識(全実相は唯心の働きに過ぎない)の研究。
天台宗 最澄の宗派:法華宗を中心に戒律、禅、念仏、密教を含んだ総合的仏教。多くの宗派の母胎。
真言宗 空海の宗派:密教のみ。
融通念仏 天台宗から出た良忍宗派:念仏宗の始祖であり、一人の念仏が万人に「融通」するとする。
浄土宗 法然の宗派:「念仏のみ」の成仏を主張。
浄土真宗 親鸞の宗派:阿弥陀への「信仰のみ」の成仏を主張。
時宗 一遍の宗派:すべてを捨て去った「念仏」と「踊り念仏」を主張。
臨済宗 栄西の宗派:禅宗。公案による禅を主張。
曹洞宗 道元の宗派:座禅のみ。
黄檗宗 隠元の宗派:禅宗。念仏禅を主張。
日蓮宗 日蓮の宗派:法華経のみによる「法華経の国家」建設を主張。
【主要宗派の整理】
・天台宗
「最澄」の始めた宗派で鎌倉六宗の母胎でもあり、仏教史的に最も重要な宗派であり「日本仏教の母」とも言える存在ですね。
総本山はご存知「比叡山の延暦寺」です。
母胎は最澄が持ち帰った「中国の天台宗」にあり、「法華経」から理論と実践を完備させた体系を持っています。
元々法華経は「仏の功徳」と「仏への帰依」の効果を語っているものでした。
最澄はこれだけでなく「禅」や「戒律」「密教」までも(空海などに教えを乞いながら)学び、これを統合させようと「総合的仏教」を志しました。
結果「大乗による戒律」の認知に生涯を傾け、日本における大乗仏教の礎石を築いて行ったことから、天台宗よりさまざまの宗派が育っていってます。
・真言宗
最澄の天台宗と並ぶ日本仏教の礎石の一つで「空海」によって築かれた「密教」仏教です。
本山は「高野山の金剛峰寺と東寺」です。
空海は最澄と同じく中国に渡り、最澄に長じて当時中国で主流(トレンド)だった密教を学びました。
結果、持ち帰った経典を朝廷に献上し、その呪術的性格が朝廷の「護国・鎮守の願い」と合致したことから「嵯峨天皇の強い支援」を得るに至り、当時真言宗は大きな勢力となる基盤を得ています。
(当時は、最澄の弟子達までもがそういった”密教”に傾倒していたといわれています)
しかし、真言宗が”密教”と呼ばれるのは何故でしょう?
そもそも釈迦の教えは「人間にわかる言葉に顕れて」いるものの「真実は秘されている」とすることからきています。
実際には、その真実は大日如来によって常に語られてはいるものの、人の身では「煩悩」のためにこれを聞くことができない。
だからこそ、修行してこれが聞けるようになり、その秘密の教えを得て仏になれるということから「密教」と言われている訳です。
なお、真言宗は別の宗派を生み出すことはしませんでしたが、数えきれないほどの分派を持っています。
・浄土宗
天台宗を学んでいた「法然」が「専修念仏」の道を示して興したものです。
総本山は「京都の知恩院」です。
このあたりから、修行よりは念仏や信仰、座禅によるものへの傾倒が多くなっていきます。
具体的には、これまでの修行によるものを「難行道」「自力門」「聖道門」と呼ぶのに対して、「易行道」「他力門」「浄土門」と呼んでいることからもわかります。
浄土宗は18願通り「南無阿弥陀仏と唱えた者は例外なく阿弥陀の国である極楽浄土にすくい取られる」ことが約束されていので、阿弥陀仏だけに帰依しそのお経のみを拠り所としており、それが「無量寿経」と「観無量寿経」「阿弥陀経」のいわゆる「浄土三部経」と呼ばれているのです。
・浄土真宗
天台宗に学んだ「親鸞」が、往生のきっかけは「念仏を唱えた時」にあるのではなく、「阿弥陀を信じたその時にある」としたところから始まっています。
本山には京都の「東本願寺(大谷派)」と「西本願寺(本願寺派)」が有名ですが、他に八派からなる合計十派(真宗十派)があり、またさらに細分化されています。
浄土真宗は「行」よりも「絶対帰依」という「信」の方に重きがあり、「僧席」にあるものだけでなく一般庶民も念仏により成仏できるとした仏教を志したので、「肉食」「妻帯」までが許される形になっているのです。
また親鸞の教え『嘆異抄』の中でも有名な「悪人正機」(※これは「悪いことばかりしている犯罪的な人間の方が救済される」と言っているのではなく「日々の生活の中で煩悩によって罪を犯さざるを得ない人間の在り方を認知していなければならない」ということです)や「還の道」(※これは「浄土に行きっ放し」になるのではなく、往生した者は「再び戻って」衆生の救済にあたらねばならないということ)といった、独特な教えがあることも特異な部分だと思います。
・臨済宗
中国の臨済義玄を開祖とする「禅宗」で、「栄西」によって日本に伝えられてます。
建長寺や大徳寺、妙心寺などがその中心になります。
禅は「教理」によって悟りを得るのではなく「座禅」という行から悟りを得ようとするもので、特定の経典などを持たないので有名です。
しかし、その禅の在り方に宗派としての違いがあり、臨済宗の場合には、開祖以来の「公案」という全く非論理的な問題が与えられ、それに格闘しながら「答え」を追求する「公案禅」が要求されるものです。
また禅宗はどの宗派も同様ですが、「日常生活そのものが禅」であるとして、日々の労働をいわゆる「座禅」と区別はせず大事な行の一つと見なしています。
・曹洞宗
禅宗の一つで「道元」によって創始された「座禅」一筋の宗派です。
総本山は福井県の「永平寺」です。
これは、修行と悟りは「同一」であるので、ただひたすら座禅だけしなさい(只管打座(しかんたざ))という考え方です。
なお、道元の思想『正法眼蔵』の中には、日常生活を禅そのものと見なし、生活の一つ一つは生きるための「手段」ではなくそこに生そのものがあり、自分の計らいで生きているのではなく「生かされてある人間」のありようを理解しておかなければならないとする、臨済宗と同様の考え方もあります。
・日蓮宗
天台宗に学んだ「日蓮」が開祖で「法華経」を唱えること一本槍、という方向をとっています。
仏教教理的には、浄土宗系が「阿弥陀の名号を唱えるのみ」というのに似て、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることに限っていますが、その救済を人間の心のレベルのこととしてのみ捕らえるのではなく、「国家」のレベルにしてしまったことから、珍しく他宗への徹底的攻撃が特徴ともなっています。
また主張する『立正安国論』からも伺えるように、政治イデオロギーという性格を持った分派が出る傾向にもあります。
では、ここからは少し日本的な仏教信仰形態からみたものを整理しておきましょう。
・阿弥陀信仰
特色は「阿弥陀の本願」(※これは阿弥陀仏がまだ修行中の宝蔵菩薩であった時の”自分に帰依する者は極楽浄土にすくい取ることができないうちは仏とはならない”という誓願からきており、この菩薩は阿弥陀仏となっているので絶対に成就するとされる教え)に対する絶対的な信仰と”極楽に生まれ変わろう”とする「極楽往生」の信仰にあります。
この「極楽往生」はあらゆる階層の人にとって望ましい形態であったことから信仰自体が非常に強いものとなっています。
実際、阿弥陀を本尊とする寺院は日本のすべての寺院の半数に達するとも言われています。
・観音信仰
元々は
衆生をすくい取る「無数の手」を表した「千手観音」、
「11の面」ですべてを見回して、疫病の癒しや守りを行う「十一面観音」
馬が草を食い尽くすがごとくに「人の煩悩」を食い尽くすという「馬頭観音」
などから起因していますが、
来世信仰の性格を持つ、六道の輪廻の世界からの救済を念じた「六観音」信仰あたりから、石山、清水、鞍馬、長谷、壺坂などの観音寺院への参拝が盛んになり、後には霊場を結んだ”巡礼”「33所巡礼」へと発展して これは全国各地に作られており、その総数100カ所にもなるとされていますが、「観光旅行」的色彩も見られたり、成人になる通過儀礼的なものとされたりと、さまざまの意味合いをもたされつつ庶民に一般的なものとなってきています。
・弥勒信仰
弥勒は”未来仏”「究極の救済者」として釈迦の滅後56億7000万年の後、人間界に現れてこれまでの仏による救いから漏れていた人々を救う菩薩と信じられています。
この信仰は真言宗の高野山が未来の弥勒浄土であるとしたところから、弥勒信仰が民間に広まったものと見られています。
・地蔵信仰
地蔵信仰は「地獄にあって衆生の救済に働く地蔵」の徳が知られるようになり、浄土教の台頭とも重なって「地獄にあって人々の苦しみを肩代わりしてくれる」救済の仏として発達していきました。
また阿弥陀にない「苦の肩代わり」として、慈悲の心で人々の罪を代わり受ける地蔵は「身代わり地蔵」の信仰となったり、六地蔵(※輪廻の世界である六道すべてにおいて衆生を守るという信仰)」が道の辻々に建てられて”道祖神”と習合していったりしています。
その他にも「延命地蔵」「子安地蔵」「とげ抜き地蔵」など、厄介をも守護する庶民に親しみある信仰となって今日に至っています。
独特の発展と展開をしている日本仏教ですが、21世紀の今日にあってどれだけ日常生活に影響をもたらしているのかを鑑みたとき、いま少し見直す時期にきているのかもしれません。
仏教や神道などの在り方と併せて、今後少しずつにでもこのあたりを整理できていければとは思います。
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