現在整理中の四部の学における諸子百家、天文学・暦学・医学・薬学等に関わる子部について、目次で収まりきれないものを整理マップとして抽出してまいります。
ちなみに、東洋思想全体の分類の仕方ですが、東洋には「四部の学」(四庫分類)という分け方があるため、その分類に準じながら整理を進めています。
■経部 (儒教の経典および注釈等。訓詁学(文字解釈)を含む)
■史部 (歴史・地理等)
■子部 (諸子百家等。天文学・暦学・医学・薬学等をも含む)
■集部 (文学作品、文芸評論)
内容は順次更新していきますので、全体を把握する際の目安としてください。
サイト全体の目次は以下となります。
・東洋思想の目次
・文化・芸術の目次
・音楽・映画・娯楽の目次
■子部 – 諸子百家・思想・宗教
[儒家]
・『荀子』 – 荀況(戦国)20巻32篇 約90,800字
荀況の著作とされるものを劉歆が編纂したもので、原本の成立時期は不詳。
百家思想の集大成とも、稷下の思想書の白眉とも評され、荀況自身は儒家の正統を自任したが、性悪説に象徴されるごとく孔子を全面肯定してはおらず、その門下から李斯や韓非が出たことなどから、現在では法家に分類されている。
唐代に注釈が加えられて現行の32篇20巻本となり、『荀子』と命名された。
日本では荻生徂徠らが、朱子学に反対する為に『荀子』こそ本来の儒学であると尊重した。
・『孔子家語』 – 孔安国(漢)・王粛(後漢)10巻
・『晏子春秋』 – 晏嬰(春秋)8篇
戦国時代~秦末にかけて整理・編修され、内篇6巻・外篇2巻より成る。
内篇は斉君に対する諫言や晏嬰の説話が中心で、儒家的な内用となっているが、外篇には儒家の奨める厚葬を批判する件もあって墨家に近く、又た一夫一婦制が奨励されている。
・『新語』 – 陸賈(漢)12篇
・『新書』 – 賈誼(漢)10巻56篇
・『論衡』 – 王充(後漢)30巻85篇
当時の思想界の主潮をなしていた讖緯説や俗信などの神秘主義を合理的精神から厳しく批判し、孔子をはじめ過去の聖賢・諸子についてもその思想の矛盾を指摘している。
帰郷から約30年を費やして書かれ、人間論・歴史論・自叙伝などを論じて体系化はされていないが、その主張は当時にあっては最も完成された科学的実証主義に貫かれている。
はじめ会稽地方に流布していたものを蔡邕が得て密かに対論の際の秘書とし、会稽太守となった王朗によって全国に知られたが、讖緯に対する評価の変化を示すものとしても重視される。
往時は100篇以上あったものが『後漢書』では既に85編と記録され、現在ではさらに第44招致篇が欠落している。
当時の権威を厳しく批判しているため研究自体がタブー視されてきたが、現在では古代の唯物論的思想書として高く評価されている。
・『伝習録』 – 王陽明(明)・徐愛(明)・陸澄(明)・薛侃(明)3巻
伝習録より学ぶ!心を統治、練磨することの大切さ!
朱子学と陽明学の違い、日本陽明学とは!
[道家]
道教を理解してみる
神道、仏教、儒教 事始め
・『老子』 – 老聃(春秋)2巻81章 5,056字
道徳経ともいわれる。老子の著作と伝えられる道家の思想書。
人物としての老子は孔子にやや先行する同時代の思想家ともいわれるが、実像は諸説あって実在を立証することも困難で、『老子』の成立時期も『孟子』以降とする説が有力視されている。
人為による自律の限界性の主張は、学説が硬直化しつつあった当時の儒教に対する反論として成立したものとされ、儒家思想はもとより墨家・陰陽家・五行家の影響も看取され、又た文体の不統一や重複箇所の存在などから、異なる時代の複数の編者が逐次的に編纂したものと考えられている。
老子の思想は無為自然の黄帝時代を理想とし、荘周によって継承・発展した為に“黄老”“老荘”、或いは道家とも呼ばれた。
後世、老子は神格化されて太上老君として道教の祖神の一角に坐したが、『老子』思想と道教教理には本来は殆ど繋がりはなく、反儒教・反権力の象徴として利用されたもので、後に道士は仏教打破のために、釈迦を老子の転生とする『老子化胡経』すら偽造した。
・『荘子』 – 荘周(戦国)全10巻33篇 65,190字
荘周の作と伝えられる思想書。『老子』を享けて道家思想を完成させた書。
現存する33篇中、荘周の作とされるのは内篇7篇で、他に外篇15篇、雑篇11篇があり、郭象が現行の体裁に編集したと推定されている。
豊富な比喩・寓話を用いて道家の論を展開し、文学的にも優れた作品となっている。
道家思想は魏晋時代に発展・再評価されたが、続く南北朝時代には仏教の興隆によって理論構築を迫られた呪術的民間宗教や神仙思想と結びつき、道教という一大宗教に発展した。
・『列子』 – 列禦寇(春秋・戦国)8巻 30,724字
列寇禦がB400年ごろ著したと伝えられる道家の書。
『老子』思想に沿って寓話を中心に展開しているが、『荘子』のような独創性に乏しく、列寇禦の実在性については否定論が大勢を占めている。
劉向が『叙録』で紹介した当時には“一家の書”とは認められておらず、東晋の張湛が注釈本を出すまでの経緯も不明で、漢代の成立説のほかに晋人の偽作説、『叙録』を含めて王弼の偽作説などがあり、今本の少なくとも大部分が魏晋時代の著作と認識されている。
楊朱の説を伝えていることが別の意味で評価されて、また「杞憂」「朝三暮四」など人口に膾炙した言葉が多い。
[法家]
・『韓非子』 – 韓非(戦国) 20巻55篇 106,131字
法術による富国強兵ならびに臣下統禦術による君主権確立を主張し、徹底した法治主義と心理抑制術は法家思想の完成体と評され、随所に述べられた寓話もまた辛辣な心理描写によって古代寓話文学の傑作とされる。
韓非思想の背景には、抬頭する豪族や大商人による私有の集中という社会変動があり、これらを抑制して公益保護を至上とする唯物論が提示されており、また周の封建体制を否定して次代の法刑制度の具体的方向を示唆した点で、思想史的に重要な意義を持つ。
儒家思想が国教化されたことで中国での評価は低く、江戸時代の日本において活発に研究された。
・『管子』 - 管夷吾(春秋) 24巻76篇
政治・経済・軍事・教育などの諸問題について具体的な政策を例示している。
戦国時代に管仲に仮託されて作られたもので、儒家・道家ほか墨家・兵家・農家などの学説も多く含み、漢代にかけて複数の編者によって加筆修正が重ねられたために体系性を損ない、劉向が重複部分を除いて564篇を86編に編纂したとされる。
『漢書』芸文志では道家に分類され、『隋書』経籍志より法家に分類されるようになり、現在は76編が残存している。
・『商君書』 – 商鞅(戦国) 全5巻26篇
商鞅の学説を中心として法家学派の政治論を集めたもので、法律の厳格な運用を主張して徳治主義を否定している。
純粋な法家思想の書であることから、商鞅の著作を核として後世の法家によって加筆・校訂が重ねられたものとされている。
[名家]
・『公孫龍子』 – 公孫龍(戦国)6篇
諸子百家「名家」より学ぶ!勇気を持って立ち向かう気概と物事に屈せず毅然と立ち向かう姿勢について!
[墨家]
・『墨子』 - 墨翟(春秋・戦国) 15巻53篇 76,516字
墨家の思想書。開祖墨翟の言行や思想を後進が編修したもの。
『漢書』芸文志には全71篇とあるが、現行本では18篇分が欠けている。
第8篇尚賢篇~第39篇非儒篇が墨家思想の中核をなし、身分に依らない人材登用、血縁制社会や弱肉強食の否定、奢侈・厚葬の批判などを展開し、ほかに防禦戦術から幾何学や光学・力学にも言及している。
比喩や反復を多用した平易な論法は士や庶民を対象としたらしく、兼愛・非攻と並んで『墨子』の特徴とされる。
抵抗主義である為に統一秦で徹底的に排除され、漢でも儒学否定の教理によって研究対象にすらされなかったが、階級否定・唯物論的姿勢は近年になって評価が高まっている。
[縦横家]
縦横家とは?そして算命学の原則とは?
・『鬼谷子』 – 鬼谷子(戦国)
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算命学 事始め
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陰陽五行関連
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[雑家]
・『淮南子(淮南鴻烈)』 – 淮南王劉安(漢)内書21篇 130,840字
劉安が王国内の学者を総動員して、諸家の思想・学説・知識を総合的に記述編修した類書の嚆矢的存在。
戦国諸子の学説を網羅し、又た形而上的な宇宙観から現実的な生活技術にまで及び、さらに各国の地理風俗や古今の神話伝説も収録している。
当時の淮南王国には、武帝の集権政策と儒学偏重によって中央を逐われた学者が参集して数千人に達したと伝えられ、そのため書中では万物を貫く原理を“道”と呼ぶなど道家的な色彩が強く、漢初の思想潮流を反映している。
内書21篇・外書33篇、神仙黄白術の『中書』8篇より成るとされ、現存する『淮南子』は内篇にあたる。
・『呂氏春秋(呂覧)』 – 呂不韋(戦国・秦)26巻12紀8覧6論160篇
3千とも称される食客を総動員して、戦国末の秦に伝わる諸学説・伝説などを集大成したもので、天文・宗教・社会から諸子百家にいたる先秦の諸思想を網羅した一種の思想的百科全書。
古来より統一性の欠如が批判されてきたが、先秦の思想を研究する上で不可欠の資料とされている。
[兵家 武経七書+]
・『孫子』 – 孫武(春秋)全3巻13篇 約5,790字
孫武が著した、中国を代表する兵法書。
体系的に構成され、計篇以下3篇で戦略論を、形篇以下3篇で戦術原論を、軍争以下7篇で戦術各論を展開する。
文章は簡潔で、謀略・諜報や経済にも言及して政治的勝利を至高とするなど、独創的かつ実践的な兵法書として古来から尊重される。
曹操が注を施した『魏武帝註孫子』は、『孫子』が後世に伝わる上で最も重要とされる。
『漢書』芸文志では孫武の書を『呉孫子』、孫臏の書を『斉孫子』と区別したが、後者は早くに散逸したため両書は混同され、曹操注の『孫子』を『斉孫子』とし、孫武の実在すら否定された時期もあった。
1972年に山東省銀雀台の古墳から『呉孫子』とともに『斉孫子』が出土したことで、現行の『孫子』が『呉孫子』の原文にほぼ近いことが確認された。
『斉孫子』は時代を反映して戦術論の占める率が高く、やや詳細になっているという。
・『呉子』 – 呉起(戦国)全3巻6篇
魏武侯との問答形式によって、戦略・戦術だけでなく賞罰・戦後保障にまで及んでいる。
著者については呉起の弟子から後世の偽作説まであるが、韓非の著ににも現れることから、呉起の名を冠した著作は古くからあったとされる。
『漢書』芸文志には全48篇とあるが、現存するのは6篇で、唐代に現行の体裁になったと見られている。
・『尉繚子』 – 尉繚(戦国・秦)5巻24篇
『漢書』芸文志には31篇とある。
戦争と政治に関する基本原則として政略・戦略論を重視する正攻法的なもので、論旨は明快で、孫・呉に亜いで首尾一貫しているという。
『孫子』『呉子』『孟子』『韓非子』の文をそのまま引用している箇所もあり、偽作説が有力視されている。
・『六韜』 – 呂尚(周)6巻60篇
周の姜子牙の著と伝えられる兵法書。 戦術・戦略のみならず、祭政や人倫にも言及している。
老荘思想の影響が見られ、『隋書』には全5巻とありながら唐以降では6巻とあることから、魏晋時代に原型ができ、隋唐ごろに編修加筆が為されたものと推測されている。
・『三略』 – 呂尚(周)・黄石公(秦)3篇
秦末に張良が黄石老に授けられた書と称されるが、三国時代の偽書。
戦術や用具の心得を述べたもので、古くから『六韜』と併称された。
・『司馬法』 – 司馬穰苴(春秋)5篇
斉の威王が編纂させた“司馬穰苴兵法”と同一視され、文字通り司馬穰苴の兵法をまとめたものとも、司馬穰苴の兵法を含む斉に伝わる兵法をまとめたものとも考えられている。
155篇から成って後世に広く流布し、司馬遷から「深淵にして広大、儀礼は厳正」と絶賛されたが、後に散佚して5篇のみが現存する。
・『李衛公問対』 – 李靖(唐)・阮逸(唐)3篇
唐太宗と李靖の兵法問答集の体裁を採り、宋初の阮逸が李靖に仮託したものとされる。
古今の兵書や人物・兵法、兵種ごとの運用や陣法などを論じたもので、兵家に於ける評価は概ね高い。
李衛公問対から学ぶ!解説書、文献としての価値について
・『孫臏兵法』 – 孫臏(戦国)30篇
・『兵法三十六計』
・その他
[子部 その他]
・『世説新語』 - 劉義慶(劉宋)3巻36篇 約79,000字
・『菜根譚』 - 洪応明(明)2巻357条
菜根譚より学ぶ!人生の指針となるべき教養の書!
・『酔古堂剣掃』 – 陸紹珩(明) 十二巻
酔古堂剣掃より学ぶ!悠々たる人の生き方
[政治]
・『貞観政要』 – 呉兢(唐)10巻40篇
唐太宗と臣下の政治問答集。
復辟した中宗に奉上された後、開元の末頃に一部が改訂されて世に流布した。
帝王学・経世術の手本として歴代皇帝の必読書とされ、日本でも鎌倉時代以降広く愛読された。
・『宋名臣言行録』 – 朱熹(南宋)・李幼武(南宋)24巻
宋名臣言行録より学ぶ!名臣の言行から学ぶ未来の国のあり方、私達の生き方!
・『陰騭録』(了凡四訓) – 袁了凡・袁黄(明)
立命の書 陰騭録より学ぶ!運命と宿命について
・『呻吟語』 – 呂坤(明)6巻
呻吟語より学ぶ!修己治人。己を修め人を治む書!
・『三事忠告』 – 張養浩(元)
三事忠告より学ぶ!生き方の智恵と指導者のあるべき姿【廟堂忠告編】
三事忠告より学ぶ!生き方の智恵と指導者のあるべき姿【風憲忠告編】
三事忠告より学ぶ!生き方の智恵と指導者のあるべき姿【牧民忠告編】
・『潜夫論』 – 東漢の王符の著。
全10巻。
政界の腐敗に憤慨した著者が、致仕後に時政の得失を論述したもの。
売名ではない事を示す為に潜夫と称した。
商業の発達による生活の向上が奢侈を促し、没落農民の游民化をもたらして社会が破綻に瀕しているにも関わらず、勢族出身の官僚は一身の名利のみ求めて論を弄んでいると弾劾している。
卜筮のことを論じ、或いは太古以来の姓氏の起源・系譜のことを述べている篇もあるが、現行本と『後漢書』引用の文章には多くの差異が散見される。
概して王符の論は急進的で、唯物論的な『論衡』の透徹には及ばないとされるが、当時の社会相を知る上では極めて貴重な記録といえる。
・『斉民要術』 – 北魏の賈思勰の作。
全10巻92篇。
6世紀前半に成立した、中国に現存する最古の農業書。
様々な穀菜・果樹・桑・麻の耕作・栽培技術のほか、養畜・醸造の方法などが営農の実際に則して詳述され、中国古代農学の発展に大きな影響を及ぼしただけでなく、中国料理史でも不可欠な文献とされる。
著者については益都(山東省寿光)の人で、牧羊の経験があり、高陽太守を務めたという他は不明。
・『唐律疏義』 – 開元律の官撰注釈書。
全30巻。
条文の字句の解釈とともに適用に関する問答を載せる。
嘗ては永徽律(651)に対する長孫無忌らの『律疏』と考えられてきたが、現在は李林甫の奉勅撰とされる。
宋末まで『宋刑統』と並び行なわれ、中国をはじめとする東アジア諸国の古代・中世法典を研究する上で重視されている。
・『農政全書』 – 明の徐光啓の著。
全60巻。
中国農学の集大成。
古来からの農家の学説を集大成しただけでなく、紡績業やマテオ=リッチから学んだ水利学・地理学など西洋技術を加えた自説も開陳している。
又た当時ルソンから伝来した甘藷(サツマイモ)を自ら栽培・研究して『甘藷疏』としてまとめるなど、中国農業への貢献も小さくない。
著者が官界を失脚した後に執筆したもので、死後の崇禎12年(1639)に刊行された。
・『天工開物』 – 明の宋応星の著。
全3巻18篇。
崇禎10年(1637)に刊行された。
農業・製塩・製陶・鋳造・製油・製紙・醸造など、当時の産業のほぼ全分野の技術について、歴史的考証から現状についてを述べている。
中国の技術力を宣揚する目的の為か導入が始まっていた西洋技術には殆ど言及がないが、中国の伝統技術が精密かつ実証的に記述され、又た多くの図版が添えられている事もあって研究資料としての価値は高い。
中国では特異な書であり評価されないまま散佚し、寧ろ日本で珍重され、辛亥革命後に和刻本が逆輸入されてより再評価された。
・『明夷待訪録』 – 明末清初の黄宗羲の著。
全2巻。
1663年に完成した。
異民族による中国征服に直面し、明朝滅亡の原因とともに政治のあるべき姿を論じた書。
君臣や政府・法はいずれも万民の為にこそ存在するものであるという見解に立脚し、豊富な歴史的事例を用いて、明朝後期を主体として従来の政治体制を痛烈に批判している。
乾隆年間(1736~95)、体制批判の書として禁書処分とされた。
“明夷”とは易の卦の一つで、「明なるものが破れている」状態をいう。
・『日知録』 – 明末清初の顧炎武の著。
康熙9年(1670)に全8巻の初刻本が淮安で出版された後、増補が続けられて同34年に32巻の今本が刊行された。
著者の読書・学問の成果の集大成として、社会百般の事象に対する厳密精緻な考証を随筆の体裁で記し、清代考証学の範となったが、考証に終始せず、導き出された政治思想には異民族支配に対する批判・抵抗が潜められている。