This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(15) 時代物『国性爺合戦』

歌舞伎は世界に誇る、日本の伝統芸能です。
しかし、元々400年前に登場したときには、大衆を喜ばせるための一大エンターテイメントだったのです。
なんとなく難しそうなので、ということで敬遠されている方も多いのかもしれませんが、そもそもは庶民の娯楽だったもの。
一度観てみれば、華やかで心ときめく驚きと感動の世界が広がっているのです。
しかも歌舞伎は、単に400年もの間、ただただ伝統を受け継いできただけではありません。
時代に呼応して常に変化し、発展・進化してきているのです。

This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(4) 演目の分類と一覧について
前回は歌舞伎の演目をざっと整理してみましたので、ここからは具体的な演目の内容について触れてみましょう。
今回は、、近松門左衛門作の人形浄瑠璃が、のちに歌舞伎化された全五段からなる時代物『国性爺合戦』です。

明の遺臣鄭芝竜 (老一官) を父とし、日本人を母とする和藤内が、中国に渡り、国性爺鄭成功と名のって、明国再興のために奮戦する物語で、国性爺は和人でも唐人でもないという意味の名で、国から性(姓)を賜ったとの意を示すものです。
当初は史実通り『国姓爺合戦』でしたが、話が創作であるため、「姓」を「性」と変え『国性爺合戦』に直したといわれています。
新奇でエキゾチックな題材と雄大な構成が喜ばれ、初演のときは3年越し17か月のロングランを記録し、翌年(1716)秋には歌舞伎(かぶき)にも移され、以後人形浄瑠璃と両方で繰り返し上演されてきました。
歌舞伎では和藤内を荒事演出で完成させ、ことに三段目「紅流し」で激怒して花道を入るところが見せ場です。
「楼門」では錦祥女、後の「甘輝館」では甘輝と和藤内の母を中心に、義理と人情の絡み合いが近松独特の名文で描かれています。

『国性爺合戦』

【一段目】(南京城皇帝御座所の場・栴檀皇女御殿の場・海登の港の場)

明朝第17代皇帝思宋烈(崇禎帝)の妃華清は臨月。
そこに華清を賜れとの韃靼王の使者が。
李蹈天は賛成するが、呉三桂は反対する。
李蹈天は自らの左目をくりぬいて使者に渡し、当座を切り抜ける。
この功に皇帝は妹を李蹈天に与えようとするが当の栴檀皇女が承諾しない。
皇帝は官女に梅と桜の花を持たせて戦わせ、梅が勝ったら承諾するようにと命ずる。

この花いくさの最中に韃靼の軍が宮廷に攻め入る。
李蹈天が裏切ったのだった。
皇帝は李蹈天に殺害される。
華清妃は呉三桂の手引きで逃れるが、海登の湊でついに砲弾に倒れる。
呉三桂は死んだ妃の腹から皇子を取りだし、代わりに殺した我が子を身代わりとして腹に入れる。
栴檀皇女は呉三桂の妻、柳歌君に守られながら、海に逃れる。

【二段目】(平戸の浦の場・唐土の浜の場・千里が竹の場)

栴檀皇女が小舟で平戸に打ち寄せられたのを明の元役人鄭芝龍が見つける。
鄭芝龍は二十数年前に勅旨により日本に渡って、この地で漁師として老一官を名乗り、日本人の妻をめとっていた。
その頃和藤内は浜辺で、蛤をついばもうとして嘴をはさまれ身動きならなくなった鴫を眺めているうちに、兵法の極意を悟る。
栴檀皇女から「大明国が韃靼国によって滅ぼされようとしている」という知らせがもたらされる。
老一官夫婦と子の和藤内は、和藤内の妻小むつに栴檀皇女を預け、明朝の復活のため、中国に渡る。

一方、鄭芝龍が大陸に残した先妻・渚との娘、錦祥女は、韃靼の将軍、甘輝の妻となっていた。
3人は、甘輝に協力を求めるため、甘輝の館である獅子ヶ城へ向かう。
3人は二手に分かれたが、和藤内と母は千里ヶ竹に迷い込む。
そこで和藤内はその怪力と天照皇大神宮の護符の力で虎を手なずける。
ついで虎狩の韃靼兵たちも味方につけ、一行は獅子ガ城へと向かう。

【三段目】(獅子が城楼門の場・獅子が城内の場)

和藤内親子が獅子ガ城へたどり着くと甘輝は韃靼王に招かれていて留守で、警備兵は中へ入れようとしない。
すると錦祥女が楼門の上に姿を見せ一行に身元を尋ねる。
老一官が「あなたは私の娘で、その証拠には私の絵姿を書いた物を持っているはず」というと錦祥女は肌身離さず持っている父の絵姿を取り出して喜びの涙にくれる。
しかし、「甘輝将軍の留守には、たとえ親兄弟でも城内に入れてはならない」と言う規則があって、一行を中にいれることができない。すると和藤内の母渚が「自分が縄にかかって城内に入ろう」と言う。
そこで錦祥女は「もし夫がお味方する時は白いおしろいを、もしだめな時は紅をといて城の中を流れる川に流しましょう」と言って、渚を預かる。
そこへ甘輝が韃靼王から、和藤内を討てと十万旗の軍をまかせられて帰館する。だが妻から留守中の話を聞いた甘輝は渚に会って、「和藤内の味方をして欲しい」という頼みを聞き、快諾する。
しかし、やにわに妻の錦祥女を手にかけようとするので、驚いた渚は必死で止め、そのわけを聞くと「女房の縁ゆえに、討つべき和藤内に味方したと言われては末代までの恥辱になるからだ」と言う。
「錦祥女は自分にとっては継子なのだから、そんな事をされてはこちらの義理が立たなくなる」と渚が言うと、「それなら味方は出来ない」と突っぱねる。
話し合いの不首尾を和藤内に知らせるため、錦祥女は自分の部屋にさがり紅をといて川に流す。
すると城門のところで川の様子を見ていた和藤内がそれを見つけ、母親を取り戻しに城内へと暴れこんで行く。
甘輝と和藤内がいましも剣を交えようとすると、そこへ瀕死の錦祥女が現れ「さっき流した紅の元はこれ」と胸につきたてた短刀を見せ、父と義弟のためにわが身を犠牲にしたと話す。
それを見た甘輝はすぐ、下座になおって和藤内の家来になることを誓う。
そして和藤内に廷平王国性爺鄭成功と名乗るよう勧める。
すると渚は「義理の娘、錦祥女を死なせたうえは、自分が生きていては義理が立たない」と自害する。
妻の情に心を打たれた甘輝は韃靼征伐を決心し、和藤内に「延平王国性爺鄭成功」の名を与える。
鄭成功と名を改めた和藤内は甘輝とともに、韃靼王征伐と明王国再興を誓い合うのだった。

【四段目】(松浦住吉大明神社頭の場・栴檀皇女道行・九仙山の場)

日本にいる和藤内の妻・小むつと栴檀皇女は、住吉の霊験を得て平戸から中国(浙江省)松江の湊に渡る。
一方、幼帝を守る忠臣・呉三桂は、皇子をかくまい、山中で暮らしていたが、九仙山で碁を打つ2人の老翁に出会う。
2老翁は碁盤の上に下界の和藤内と韃靼の軍勢の戦いを見せ、その間に瞬時に5年が経つ。
そして呉三桂は、鄭芝龍や小むつ、栴檀皇女と再会する。
敵兵に攻められるが、雲の掛橋の計略によって敵の軍勢を打ち破り、和藤内の城に入る。

【五段目】(龍馬が原の場・南京城外の場)

和藤内、甘輝、呉三桂が竜馬ヶ原で再会する。
呉三桂や甘輝らと合流した和藤内は、韃靼の軍勢と正攻法で戦う決意を固めたところに、父の鄭芝龍が1人で敵の南京城に向ったことを知る。
一同は後を追い、南京城を攻める。
鄭芝龍は李踏天との一騎打ちを望むが、生け捕りにされたうえ、盾に使われる。
しかし呉三桂と甘輝の機転で韃靼王を捕え、和藤内らは李踏天を討ち果たす。

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