This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(21) 時代物『蘆屋道満大内鑑』

歌舞伎は世界に誇る、日本の伝統芸能です。
しかし、元々400年前に登場したときには、大衆を喜ばせるための一大エンターテイメントだったのです。
なんとなく難しそうなので、ということで敬遠されている方も多いのかもしれませんが、そもそもは庶民の娯楽だったもの。
一度観てみれば、華やかで心ときめく驚きと感動の世界が広がっているのです。
しかも歌舞伎は、単に400年もの間、ただただ伝統を受け継いできただけではありません。
時代に呼応して常に変化し、発展・進化してきているのです。

This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(4) 演目の分類と一覧について
前回は歌舞伎の演目をざっと整理してみましたので、ここからは具体的な演目の内容について触れてみましょう。
今回は、時代物の中から『蘆屋道満大内鑑』です。

『蘆屋道満大内鑑』は、五段からなる人形浄瑠璃および歌舞伎の時代物で、信太(しのだ)の森の白狐(葛の葉狐、信太妻、信田妻ともいう)が安倍保名の妻となり、安倍晴明を生んだという有名な伝説に取材したもので、通称「葛の葉」「保名」といいます。

秘伝書《金烏玉兎集》をめぐる安倍保名と蘆屋道満との対立を主筋とし、信太森で保名に助けられた白狐が許婚葛の葉姫の姿を借りて契りを交わし一子を儲けるという安倍晴明の出生譚を絡めたものです。
ところが本物の葛の葉姫が現われたので、白狐は機屋の障子に「恋しくば」の歌を書き残して古巣へ帰るというもので、狐の葛の葉と葛の葉姫と二役に扮するのがしきたりとなっています。
見どころは子別れの愁嘆と口や左手をつかって歌を書くところですね。

油揚げを用いた食べ物の呼称として「しのだ」と呼んだり、「きつねうどん・きつねそば」のことを、葛の葉の生誕地とされる信太(信田)に由来し、「しのだうどん」「しのだそば」と読んだり、古くは関西で稲荷寿司を「しのだ寿司」と呼ぶ人もいるようですが、それも『蘆屋道満大内鑑』の信太の森の白狐伝説に端を発しているようです。

『蘆屋道満大内鑑』

村上天皇の御代(平安時代中期)のことだが河内国の石川悪右衛門の妻が重い病気を患う。
悪右衛門は呪術師として名高い兄の蘆屋道満に診立てを依頼し、「若い雌狐の生肝を呑めば治る」と判じられる。
そこで悪右衛門は信太森(和泉市)で白い雌狐を追ったところ、安倍野の保名がこの狐を助けてしまう。
このとき保名は傷を負ったが、葛の葉という美しい女が現れて手当てをして、家まで送ってくれる。
葛の葉はその後も保名の看病を続け、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という男の子を儲ける。
童子丸が五歳のときに、葛の葉が信太森で助けた白い雌狐だったことがわかり、正体を知られた狐は森へと帰ってしまう。
このとき雌狐の葛の葉が残した一首。

 恋しくば尋ね来て見よ和泉なる
 信太の森のうらみ葛の葉

保名は童子丸を連れて信太森に雌狐を訪ね、葛の葉から鳥獣の言葉を理解できる水晶の玉と竜宮世界の秘符を譲り受ける。
さらに童子丸は代々安倍家に伝わる天文学の秘伝書『簠簋(ほき)内伝』、仙人から授かった『金烏玉兎』を手に入れ、名を安倍晴明と改め天才陰陽師と謳われるまでになる。
安倍晴明は左大臣藤原道長に仕え、やがて帝の病を治したことから昇殿を許され、陰陽頭の称号を受けるまでになる。
安倍晴明が現れるまでは天下一と持て囃されていた蘆屋道満はこれに腹を立て、帝の前で呪術合戦を行なうことを画策する。
帝は長持に大柑子を一五個入れ両者の前で中身を判じさせる。
道満は大柑子一五個と答え、暫く沈黙の後晴明は鼠一五匹と判じる。
内心では晴明を支持する公卿貴族たちは落胆したが長持が開けられると中から鼠一五匹が走り出る。
晴明が式神を使って大柑子を鼠に変化させたのだ。
帝の前で敗北した道満は後日、悔しさの余り晴明の父保名を斬殺。
その死体を犬や鳥に食わしてしまった。
これを知った安倍晴明は父保名が殺された一条戻橋の上に壇を飾り、仙人から授かった『金烏玉兎』の中の『生活続命法』を一刻ほど続ける。
すると鳥獣が肉片を持って集まり、やがてそれらが一体の骸となり、ついには生命を取り戻す。
この後、保名、晴明父子は蘆屋道満の首を討ち取る。

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