中国南北朝の宋の劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの貴族・文人・僧侶・名士の逸話を集めた3巻36編から成る小説集『世説新語』というものがあります。
あなたも聞き覚えのある「断腸の思い」、「屋下に屋を架す」、「呉牛月に喘ぐ」といった故事成語は、この『世説新語』からの出典ということもあり、改めて今回整理してみたいと思います。
『世説新語』の原本は元々10巻あったものの、現行本は徳行、言語、文学、方正など3巻36編のテーマに分類されている書物です。
日本で流行した本として、梁の劉孝標(劉峻)が注を付けた20巻本から成る『世説新語補』というものがありますが、記述を補足し不明な字義を解説するだけではなく、本文中の誤りを訂正したり、また、現代では既に散逸した書物を多く引用したりしており、裴松之の『三国志』注、酈道元の『水経注』などと並び、六朝期の名注として高く評価されています。
しかしこれは、3巻本からも離れて後世の挿話を多く加えたものですので、今回はあえて『世説新語』に触れてみます。
そもそも『世説新語』は、人物の言行や逸話を事実として記録しようとしている点で史書の性格も帯びてはいますが、人物の個性を表現するため、結果的にはかなり意図的なフィクションが混じっており、明らかに史実に反する話も多いといわれています。
それでも、この時代に生きた様々な人物の言動や思想を知ることができ、また貴族社会の風俗や価値観が伺われることから、全体として魏晋の時代相を鮮やかに映し出しているため、当時の世相を掴む上で貴重な書物として重視されています。
では、故事成語の中から幾つかをピックアップしてみましょう。
■第一 徳行篇(徳の高い人物の話)
[兄たり難く弟たり難し]:優劣をきめがたい。同じ位の力量であるというたとえ。
■第二 言語篇(外交的弁舌に優れた人物の話)
[呉牛月に喘ぐ]:水牛が暑さを嫌うあまり月を見ても太陽と間違えて喘ぐ意から、取り越し苦労をすることのたとえ。
[目耕]:読書・学問をすること。
司馬師(司馬懿の子)が東征したとき、上党の李喜を登用して軍の属官とした。
司馬師「かつて私の亡き父が君を招いた時は応じなかったのに、今、私が招いたら応じたのは、なぜだね?」
李喜「お父上は礼に従って私を招いたので、私は礼をもって進退を選べました。しかし殿は法に従って正そうとされますから、私は法を恐れて参上したのです!」
■第三 政事篇(優れた統治能力を持った人物の話)
■第四 文学篇(学問に優れた人物の話)
[屋下に屋を架す]:屋根の下にさらに屋根を架ける。無駄なことをするたとえ。
[倚馬七紙]:優れた文才。倚馬の才。
出典:東晋の袁虎が、君主の桓温に布告文を書くように言われ、その馬前で七枚の長文をたちどころに書き、王珣(おうしゆん)に文才をほめられたという故事。
■第五 方正篇(己の信じる義を貫いた人物の話)
[薫蕕器を同じゅうせず]:善人と悪人、また君子と小人とは同じ場所にいることができないというたとえ。
諸葛亮が渭水に攻めてきて、関中は騒然となった。
魏の明帝(曹叡。曹丕の子)は司馬懿が開戦することを恐れ、そこで辛毗をつかわして参謀とした。
司馬懿が諸葛亮と渭水をへだてて対陣すると、諸葛亮はあの手この手で挑発する。
司馬懿は怒り、大軍で応じようとした。
諸葛亮の間諜は報告した「一人の老人が毅然として軍門に立ちふさがっていて、軍は出陣することができません」
諸葛亮「それはきっと辛毗だ」
■第六 雅量篇(度量の広い人物の話)
■第七 識鑒篇(シキカン、知識、判断力に優れた人物の話)
■第八 賞誉篇(厳正に公平に人を褒め称えた人物評)
[水鏡]:(水がありのままに物の姿をうつすように)おこないを正しくし、人の模範となること。また、その人。
■第九 品藻篇(品格や才能にあふれた人物の話)
[竹馬の友]:ともに竹馬に乗って遊んだ幼い時の友。おさなともだち。
出典:殷浩が位を平民に落とされてから、桓温が人々に言った。「幼いとき、殷浩と竹馬に乗ったものだが、私が竹馬を棄てると、殷浩がそれを拾って乗ったものだ。もとから彼は、私の下風に立つべき人物なのだよ」
■第十 規箴篇(人物の良し悪しの判断に優れた人物の話)
■第十一 捷悟篇(問題に対する対応力に優れた人物の話)
[有知無知三十里]:知恵のある者と知恵のない者との差のはなはだしいことのたとえ。
出典:曹娥の碑の背に書かれてあった句の意味を魏の曹操は理解できず、三十里行ったときにやっとわかったが、彼に従っていた楊修は即座に理解したという故事。
■第十二 夙恵篇(大人顔負けの教養を持った子供の話)
■第十三 豪爽篇(豪快でさわやかなすっきりした性格を持った人物の話)
■第十四 容止篇(美男子の話)
[玉山頽る]:姿の美しい人が酒に酔いつぶれるさまのたとえ。
劉尹は桓公を評して言った「鬢はハリネズミの毛のように逆立ち、眉は紫水晶のするどさ、まさしく孫権や司馬懿のような大人物だ」
■第十五 自新篇(過去の過ちを己が力で正した人物の話)
■第十六 企羨篇(目標とする人物に近づこうと努力しそのようになった人物の話し)
■第十七 傷逝篇(死者を心から偲んだ人物の話)
■第十八 棲逸篇(世俗を離れ山野に下った人物の話)
[済勝の具]:丈夫な足のこと。健脚。
■第十九 賢媛篇
■第二十 術解篇(占術、医術、馬術などに優れた人物の話)
■第二十一 巧芸篇(芸術に長けた人物の話)
■第二十二 寵礼篇(才能などを認められた上で寵愛を受けた人物の話)
■第二十三 任誕篇(世俗にとらわれぬ人々の話)
■第二十四 簡傲篇(驕り高ぶった性質を持った人物の話)
■第二十五 排調篇(他人を言い負かしたりやりこめたりする話)
[石に漱ぎ流れに枕す]:負け惜しみの強いこと。ひどく無理矢理なこじつけのこと。
出典:晋の孫楚が、「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべきところを誤って「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、とがめられると、石に漱ぐのは歯を磨くため流れに枕するのは耳を洗うためだ、と言ってごまかしたという故事。
[蔗境]:談話や文章などの次第に面白くなるところ。佳境。
出典:顧愷之が甘蔗(=サトウキビ)を食うごとに、いつも末から根に至り、ようやく佳境に入ると言ったという故事。
[ 咄咄人に逼る]:詩文や書画などの技芸がたいそう優れているのに驚嘆してほめる語。
司馬昭は陳騫、陳泰と車に同乗し、鍾会のところを通りかかり、乗れと声をかけておきながら、鍾会が家から出てきた時には、先に行ってしまっていた。
鍾会がやっと追いつくと、嘲笑して言った「同行を約束しておいたのに、なんでそんなにグズグズしてるんだ?はるばると遠くにいて、追いついてこないかと思った」
鍾会「すぐれてうるわしく実あるものは、なにも群れる必要はありません」
司馬昭「皋繇はどんな人物だったと思う?」
鍾会「古代の聖天子や聖人には及ばす、孔子にもかないませんが、やはり当代きってのうるわしい人物だったでしょう」
■第二十六 軽詆篇(他人を軽蔑し誹る行いをした人物の話)
[陸沈]:国が滅亡すること。
■第二十七 仮譎篇(カケツ、他人をうまくあざむいた話)
■第二十八 黜免篇(チュツメン、左遷や免職に関する話)
[断腸の思い]:腸がちぎれるほどに激しい悲しみ。
出典:晋の武将・桓温が三峡を旅したとき、部下が捕まえた子猿の母親が百里余り追いかけた後死に、その腹の中を見たところ腸がずたずたにちぎれていたという故事。
■第二十九 倹嗇篇(ケンショク、けちんぼの話)
■第三十 汰侈篇(タイシ、ぜいたくに関する話)
■第三十一 忿狷篇(短気な人物の話)
■第三十二 讒険篇(悪説により他人を陥れた人物のはなし)
■第三十三 尤悔篇(同じ過ちを繰り返し起こしてしまった人物の話)
王導と温嶠が東晋の明帝に拝謁した。
帝は温嶠に、晋の祖先が天下を取ったゆえんを尋ねたが、温嶠は答えなかった。
しばらくして、王導が言った「温嶠は年若く、よく知らないので、私がお答えします」
そこで王導は、司馬懿が創業のはじめに名族を滅ぼし、自分に同調するものだけ取り立てたことや、司馬昭が魏の四代目皇帝を殺した事件などを述べた。
帝はそれを聞くと、顔を覆ってうつ伏せて言った「公の言う通りだとすると、どうして晋王朝が安泰に永らえることができようか!」
■第三十四 紕漏篇
■第三十五 惑溺篇(女性に迷い溺れた人物の話)
■第三十六 仇隟篇(キュウゲキ、仇を恨んだ人物の話)
数々のエピソードと故事成語に散りばめられた『世説新語』を、改めて見直してみるのも良いかもしれません。
以下、参考までに『世説新語』から現代語訳にて一部抜粋です。