神道、仏教、儒教 事始め

日本人としての出発点は?そもそも東洋思想とは何だろう?という出発点から、ブログ刷新による整理は始まっています。
今回は、その中でも整理するにはかなりハードルの高い、日本人としての原点とその変遷についてです。

Japan

日本人としての生活スタイルは、明治維新と戦後復興を経て、随分と欧米化してしまっています。
しかし、じっくりと日本の歴史の変遷からみる出発点を振り返ると、そこには農耕文化に基づいた自然崇拝が原点となっていることに気づかされます。
自然そのものを”神”として農作祈願し、災厄の除去を祈りながら、実りあれば収穫感謝するといった”祭儀・儀礼”のスタイルは、長らく日本の生活・文化の源流となってきました。
それが”家”から”氏”に広がり”社会化”されると同時に、ままならない自然の猛威や実りの力に対しては”祈り、感謝、願い”を習慣化させていったため、それがやがて”神道”として形式化・宗教化されていったと判断されます。

こうした”神道”の流れの中で、大陸(主には中国や朝鮮)からの文化が流れ込んできます。
多くの古典に代表される儒教や仏教、道教の伝来です。

特に仏教は文化的な影響を大きく与えると共に、宗教的側面として天台宗(最澄)臨済宗(空海)がその勢力を大きくしていきました。
こうして仏教が大きな勢力となると、そもそもの”神道”との関係が問題になってきます。
本来ですと、宗教的対立が起きていずれかが滅びるなり勢力が弱まるのが常なのですが、、そこは日本特有の柔軟さから、”仏教”が”神道”を取り入れ、日本の神というものの本体は”仏”なのだという形で二つを融合(神仏習合)させていったのです。
要は、日本の神は仏が日本の地に”仮に神の姿をとって現れたもの(垂迹権現)として、日本人の生活習慣そのものだった神道すら仏教の影響を受けながら発達していった訳です。(こういったところが日本的な柔軟さですね)

儒教に関しては、思想面で多くの影響を及ぼします。
”朱子学”や”陽明学”などが代表的ですが、単にそれらを受け入れるだけでなく日本的な思想を交えてアレンジされていきました。
また、”道教”や”易、陰陽道”などの中国伝来の思想や呪術が、これも日本的な手法を加えて発達していったのです。

遡ると、織田信長の時代に政教分離が確立し、徳川幕府が檀家制度を作ったことで、宗教は完全に国家統制されてきました。
こうなると各宗派の布教も押さえ込まれてきますから、結果日本人が密教と接するのは、葬儀のときにお寺にお世話になるぐらい、後は初詣に神社にお参りにいく程度となってきたのです。
また、そもそも日本古来の民族宗教である神道と、中国、韓国経由で伝来した仏教や儒教といった世界宗教とが、それぞれの宗教的タブーや戒律にあまり頓着することなく、日本独自の形にいい具合にアレンジされ融合されてきているのです。
こういった考え方は日本人の特性ともいえるのですが、それが海外では(特に近年で隣国問題となっている中国や韓国などがあります)なかなか理解されにくいですし、また日本人から見てもピンと来ない点でもあります。(このあたりの整理は、後日改めて整理してみたいと思います)

では、神道、仏教、儒教の概要をまとめると共に、それを日本文化の特質の観点から整理してみましょう。

【古神道】
”神道”といっても多種に渡りますが、「日本人の習俗・習慣」の宗教的表現という切り口として「古神道」と定義しておきます。これは日本人のものの考え方、習慣、文化の原点となります。
これは、古来「祭りや祭儀」として生活の中にあり「生活習慣」となっていると共に「自然崇拝の心」の現れとなっており、今日でも地方的祭り、神社の祭礼などの形で残っているものです。
ものの考え方としては具体的な生活を重視し繁栄を第一とするもので、これが古代の日本的倫理観の根源となります。
これにプラスとなるものが「善・正・美」となり、マイナスとなるものが「悪・不正・醜」となります。

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【仏教】
日本の仏教の考え方で最も重要なのは「来世の幸福」を教義としたことです。
「古神道」は現世の繁栄幸福を司るもので「来世の幸福」の観念がなかったのですが、仏教によって「死後仏の極楽世界に行ける(苦しみの世界からの脱)」ことが満足されるようになりました。
日本で、普段の生活の中では祈りは神社に行くのに、葬式においては仏教で執り行われるのはこのためです。 ここから「極楽に行くために悪いことはしてはいけない」「罰があたる」といった倫理観も生じています。

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【儒教】
中国思想の根源的なもので、古代日本の支配者は社会組織と社会的倫理観を思想的に体系付けました。
基本の構造は「天」の思想で、宇宙万物は天に由来し天に従って動いているとする思想です。
ここから、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えています。
仁:人を思い遣ること。
義:利欲に囚われず、すべきことをすること。
礼:仁を具体的な行動として表したもの。のちに人間の上下関係で守るべきことを意味するようになった。
智:学問に励むこと。
信:言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。

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神道、仏教、儒教の詳細については、追々詳細に整理しておきたいと思っています。

【日本人の生活】
ここからは、日本人の生活について整理してみます。
日本人は、これらの原理を巧みに使い分けて生活法を作り出してきています。
日常の生活は「古神道」の考え方を「繁栄」「成功」「災厄の除去」として生活習慣に取り込んでいます。

さらに「社会統治組織」として「儒教」を用いて、「公・私の別」「男性優位」「年長者優位」の組織が作られ、そこから秩序の確立と維持のため家父長制、年功序列の制度などを確立してきています。
一方、「一人一人の人間としての倫理」は「仏教」に求め、「地獄の思想」「バチの思想」を強調することで悪事への抑止力としてきています。
神道は「死」を穢れとしたため「祖先崇拝」がうまく処理できていなかったものを、役割として仏教が受け持つように変わっています。

さらに「日常生活」「社会組織」をうまく運営するために「呪術」を用いていますが、これは”陰陽道””風水””鬼門””吉日”などが代表的なものとなります。

【陰陽道】
この宇宙は陰陽五行説で成り立つ(「陰・陽」と「木・火・土・金・水」)とし、これらによってさまざまな自然界の現象、果ては人間への作用も「方位方角、位置、運動、時間などの吉・凶」で読み取れるという考え方です。
(陰陽五行説のあたりはこれまでも説明しているので、細かくは省略します)
”鬼門”の概念もここから出ており、家相や位置・配置もすべてに渡って吉・凶が占われてきます。
”風水”は、元来「風や水」の流れの如何を読んで人間への影響を指すもので、これも陰陽道の影響下にあります。
「大安・仏滅」などの六曜も、陰陽道による「吉日」の判定です。
いわゆる陰陽師は「呪法」を用いて「式神」などを手繰り「魔物退散」を司りますが、ここで重要なのは「魔物の正体」の判別であって、「厄がとりつかないようにお祓いする」といった類の曖昧な呪法ではありません。
なお、護摩焚きなどに代表される「仏教呪術」がありますが、これは陰陽師に見られる「魔物の正体判別」というより「魔物がとりつかないように祓う」というタイプの呪法です。
要は、「陰陽道」は物事の「吉・凶」の判断に用いられ、仏教は「魔物退散」に用いられてきたという訳です。

【伝統的日本文化の特質】
最後に、日本の文化発祥の特質を簡単にまとめておきます。

政治:「天皇」による国家体制。中国の君主制、官僚制から学ぶ。
生活:日本民族の伝統の「古神道」に基づき「繁栄」を祈り、「祭り」「祭儀」で節目をつける。
死後:祖先や難儀のことはインド・中国経由の「仏教」で祈り、儀礼を行い「救い」を求める。
学問:中国の「四書・五経、仏典」。
文学:中国の文学から学ぶ。文字は漢字を採択し、かな・カナのアレンジを施す。
芸術:仏教の教えの絵画的表現や仏像彫刻、彩墨画の技法に学ぶ。
音楽演劇:音楽は中国の宮廷儀礼の作法に学んだ「雅楽」、演劇は京劇の流れの「歌舞伎」。様式美の追求。

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コメント

  1. 中国山陰観光ファン より:

     清水寺というものは、いくつかあるが日本最古の清水寺は、島根県安来市の清水寺だ。しかしながら出雲東部のこの地域は古事記に記されたイザナミ神の神陵とされる比婆山もあって仏教と神道の古い結びつきに思いが及ぶ土地である。出雲は神話だけでなく考古学でもその栄華が示されていて、たとえば古墳時代以前の大型や良い墳丘墓である四隅突出型墳のもっとも集中されて出来た地でもある。神道と仏教の結びつきの原点がこのあたりにあるのではないかと伝統に入ったひびの修復も子孫のためかなと研究しております。