三事忠告における、前回、前々回からの整理の続きです。
今回は、官吏・地方長官・地方行政担当者に向けた忠告・アドバイスを示した牧民忠告について整理してみます。
元代に生きた張養浩が記した三事忠告ですが、内容を見ると大学や孟子、易経、後漢書を始めとする幾つかの古典を吟味・参照されながら変遷されたことに気付きます。
特に唐代に呉兢が編纂したとされる貞観政要(当時の皇帝太宗の言行録)には、牧民長官の責務を重視していたことが記されており、必ずや張養浩も鏡として参考にしたはずです。
※)貞観政要については、また改めて整理したいと思います。
こうして改めて三事忠告を並べてみてみると、その忠告ひとつひとつが今の時代でも十分に活かせることに気付かされます。
自らを点検しながら自身の行動規範を整え、日々自己研磨・鍛錬を絶やさずに生活することの大事さ。
これこそが、私達が今こそ見直すべきこととしたいものです。
【牧民忠告】
第一 拝命…任命をかしこむこと
一:省己…己を省みること
二:克性之偏…性格の偏りに克つこと
三:戒貪…貪婪を戒めること
四:民職不宜泛授…民職を宜しく泛授すべからず
五:心誠愛民智無不及…心誠に民を愛せば智及ばざる無し
六:法律為師…法律を師と為す
任命の辞令を受けたら、どんな功績や能力があっての抜擢かをよく考えることである。
官職に就けるかどうかは学問教養を修めようとする自分しだいであり、人に頼って働きかけてはならない。
古人は「官に仕えるのは理想とする政治を行なうための手段である」と考えた。
肝心の政治そっちのけで富貴栄達を追い求めるのは古人にとって恥でしかなかった。
官職に就けばそれだけの責任を負い心を痛めなければならない。官位が高くなればそれだけ責任も重くなり心を痛める度合いも深くなる。
高い地位に就いたからといって喜ぶのは地位に伴う責任をなおざりにする者である。
人民の生活を向上させようとするなら、ことさら地方長官が重視される。
すぐれた人材は「天子から地方の人民を任せられる」のである。
昔の官吏の中には任地の毒気(気候や疫病など)にあてられるのを恐れて赴任を嫌う者がいた。
これについてある人がこう語っている。
「毒気は土地だけではなく役人もたっぷりと身につけている。
【税金の毒気】情け容赦なく税金を取り立てる。
【刑罰の毒気】善悪のケジメをはっきりさせずに法令を厳しく適用する。
【財貨の毒気】民間の利益を奪って私腹を肥やす。
【工事の毒気】贅沢な素材で車馬衣服を飾り立てる。
【閨房の毒気】大勢の美姫をはべらせて娯楽に耽る。
この中の一つでもあれば人民の恨みと神の怒りを買い、健康な人でも体を壊し病人ならば死亡する。
人を死に追いやるのは土地の毒気ではなく役人の毒気なのである。土地ばかり気にして役人の毒気に無関心なのはおかしなことである。」
爵禄を与えられながらその職責に見合った働きをせず、俸給のみを欲したり権力を笠に着たりなどもってのほかである。
官吏として清廉潔白を通せないのは、その大半が家人の贅沢な生活が原因である。
贅沢に耽れば決まりきった俸給だけでは足りなくなり必ず人の懐を当てにするようになる。
金儲けに走れば自分は安楽に暮らせるだろうが、虐げられる人民は日増しに困窮して恨みを募らせる。
このようにして破滅していった官吏は後を絶たない。
金品を貪ったところでその額は知れている。
そんなささやかな欲が己の将来を台無しにする。
妻のため子孫のため友人のためにしたと弁解するかもしれないが、本人が破滅したときにそれらの人が救ってくれるだろうか。不可能である。
罪に問われたらどんなに大金を積んでも犯罪者としての苦しみを償うことはできない。
罪を犯してから後悔するより、あらかじめ自らを厳しく律し清廉な態度を堅持して職務に精励したほうがましではないか。
家計はあまり豊かにならないだろうが安楽な生活は子孫にまで及ぶ。
その利害損得をよくよく考えなければならない。
昔からこう言われている。
「地方長官として赴任したなら必ず領内のしかるべき廟(寺・神社・お墓)に参拝し、決して賄賂などとらないと誓うべきである。
そうすれば以後も気持ちがふらつくことはないだろう。
仮にふらついても廟に誓った手前流されてはダメだと気持ちを引き締めることができよう」
天が人間に富と地位を与えるのは贅沢な生活をさせたいと思うからではない。
恵まれない人々を援助させようとするからである。
食糧に事欠く人々に食を与え、衣服に事欠く人々に衣を与えれば、天から授かった富を有効に活用したことになる。
立派な人物を要職に抜擢し、不正を働く人間を退ければ、天から授かった地位を有効に活用したことになる。
爵禄を手に入れてもそれを人に施すことを忘れない者は、人に恵みを与えるのである。
いや、人に恵むように見えてその実は自分に恵んでいるのである。
人間として「節操を守る」ことは、それだけで資産がなくても豊かであり、高い地位に就かなくても尊敬される資格がある。
節操のない者は、横暴な相手にはすぐ屈し、利用できそうな相手にはすぐなびく。
これでは他にどんな美点があってもその汚点を償うことはできない。
爵禄は仮に失うことがあっても時がくればまた手にできる。
しかし、節操は一度失うと死ぬまで取り返せない。
人に裏切られてもこちらからは裏切らない。
これが「自分を生かす道」である。善行は独り占めせず人にも分け与える。
これが「人を生かす道」である。
この二つを実行できれば「道」にかなった生き方に近いといえよう。
官に仕える者は、栄誉と恥辱が裏表であり、得意と失意が交錯し、成功と失敗が交互に巡ってくることを知らなければならない。
古来栄誉だけ得意だけ成功だけはありえなかった。
人なる「道」を備えていなければいささかの寵愛で有頂天になり、いささかの恥辱で心がくじけるだろう。
これでは人の上に立つことはできない。
だから君子は他者の評価に心を動かさず、内在する「道」だけを重視するのである。
君子であれば顧みて恥ずべき点があれば他者に批判されるまでもなく反省を怠らない。
恥ずべき点がなければたとえ生命の危険にさらされても少しも動じない。
昔から賞賛と非難は政治に付き物であった。
その際、賞賛は人に与え、非難は自らかぶる心構えが必要である。
謙虚な者ほど志は高く、大きな仕事を成し遂げるものである。
同僚が過失を犯しても政治に悪影響を及ぼさない限り咎め立てしてはならない。
自分に厳しく、人には寛容に。
人に対して自分と同じようにすることを期待するのは土台無理な話なのである。
いかがわしい祠を破壊するのは善政に違いないが、それができるのは人の「道」を理解し深くそれを信じている、行なうことも思うこともすべて正しい人物のみである。
自らの短所を自覚して克服に努めさえすればどんな難事でも達成できる。
のんびりしすぎだと思えば機敏に振る舞い、流されやすいと思えば重々しい態度で臨み、大雑把だと思えば慎重に処理し、神経を使いすぎていると思えば大局を観るように努める。
第二 上任…任につくこと
一:事不預知難以卒応…事預め知らずんば以て卒に応じ難し
二:愛謁…謁を受けること
三:治官如治家…官を治むるは家を治むる如し
四:瘴説…世に在る様々の毒気のこと
五:禁家人侵漁…家人の立ち入りを禁ず
六:告廟…廟に告げる
官吏の則るべき規範は法律である。
官吏になろうとする者は学業だけでなく法制や規則書の類までことごとく目を通しておかなければならない。
そうすれば官吏になってから下役人にバカにされずにすむ。
地方長官たる者は、人民の苦しみは己の苦しみとして対処しなければならない。
人民が訴訟を起こせば自分の問題として解決にあたるのである。
他人事のように解決を引き延ばすことなどできるものではない。
地方長官ともなればあらゆる責任がかぶさってくる。
「うまくいかないのは私の責任ではない。
いずれはよそへ転勤するのだから自分が苦しむ必要はない」
などと考えていてはあらゆることがうまくいかなくなる。
財政状態を勘案しタイミングを図りながら対処するのである。
第三 聴訟…訴えをさばく
一:察情…情を察す
二:弭訟…訴えをとどむ
三:勿聴讒…讒を聴く勿れ
四:親族之訟宜緩…親族の訴えは宜しく緩やかにすべし
五:別強弱…強弱を別つ
六:待問者勿停留…調べを待つ者を停留する勿れ
七:会問…立会訊問
八:妖言…妖しき流言
九:民病如己病…民の病は己が病の如し
十:移聴…聴を移す
なにごとも初めが肝心である。
初めに人民を納得させられなかったら後にどんな功績を挙げても信頼は容易に取り戻せない。
着任すると早々に多数の人民が訴えに詰めかけてくる。
その一つでも誤った判断を下せば笑いものにされるだろう。
裁くのが難しい事案は翌日に延期してもよいではないか。
初めに自信もなく軽率な判断を下して人民を失望させてはならない。
地方長官として任地に赴く際にはあらかじめ現地の担当官を呼び寄せ、以下の項目をできるだけ調べて書き留め、施政の参考とする。
・「地方人民の生活水準」
・「下役人の勤務態度」
・「前任者の功罪」
・「影響力のある豪族」
・「人民からの訴訟数」
初めのうちは緊張感があって執務もそう難しくないが、中頃には弛緩し、末期にはすっかりダラけてしまうのが常である。
初めの緊張感を終わりまで持続させるのが難しいのである。
第四 御下…部下を治めること
一:御吏…吏を治める
二:約束…役人を引きしめること
三:待徒隷…徒隷をあしらう
四:省事…事を省く
五:威厳
着任して部下と面通しするとき黙りこんではいけない。
多くを語る必要はないがポイントは押さえるべきである。
「このたび重職に任じられたが私一人だけでは全うできない。
願わくば諸君の協力を得て、誠心誠意朝廷の威光を発揚したいと思う。
諸君にしても私にしても不始末をしでかすようなら国法に照らして断固処分する。
諸君においても不始末をしでかさないようくれぐれも慎重に対処してほしい」
どんな組織でも「信賞必罰」で臨めばことさら声を荒らげ険しい表情を作らなくても自然と威令が貫徹する。
多くの人は人民を統治する難しさを知るが、下役人を統御する難しさはわかっていない。
人民が法律違反を犯すのは政治がどのように行なわれているかを知らないからであり厳罰を回避すべきである。
しかし下役人は毎日法律の中で過ごしているので知らずに違反するわけがない。
小さな過失でも厳罰にしなければやがて大悪事に手を染めやりたい放題するだろう。
下役人が長くその職にあれば必ず上位の者を無視するようになり悪事を働くようになる。
下役人のそのような専横を禁じるには贈り物を拒絶して厳しい態度で臨むほかない。
悪事を禁じるには大元に目を配らせて起案文書を詳しく点検すること。
下役人に対するあり方には三段階ある。
【最善「徳」】下役人を徳で心服させ、この人を騙すには忍びないと思わせる。
【次善「明」】下役人に騙されるようなスキを見せない。
【次々善「威」】厳しい態度で臨み、この人を騙したら厳罰が待っていると思わせる。
下役人の中には勝手に金持ちと交際して役所の秘密を漏らしたり裏口の便宜を図ったりする者がいるが絶対に許してはならない。
彼らが暇になったら一室に集めて経書や法律の勉強をさせるなどいろいろな面から行動を拘束していけば、自然に自分勝手なことができなくなるだろう。
「民間に勢力を張っている人物がいるので政治を円滑に進められない」
というのは悪質な下役人を弁護しているようなもの。
勢力のある人物が勝手なことをするのは官吏がそれを許しているのである。
つまりそういう連中と交際して便宜を図る官吏がいるのである。
それをやめさせさえすればわざわざ声を荒らげたり厳しい表情をしなくても彼らの暗躍を封じ込められる。
召使いや下僕とは公務で指示を与える以外に口を聞いてはならない。
また公務以外は民間人と接触することを禁じなければならない。
この手合いは厳しい態度で臨んでもなお厄介をしでかす恐れがある。
下手に情けでもかけようものなら、どんな悪事にも平気で手を染めるだろう。
上下関係がはっきり定まっていれば親に従わない息子も、国に背く臣下も現れない。
国が滅亡し、家が破綻するのは、下位の者が上位の者を無視し、上位の者が下位の者を制御できないことに起因する。
それぞれの分を守って仕事をすれば天下は平和に治まるはずである。
ところが個人のエゴを丸出しにし、心を合わせて国や社会のために尽くそうとしない。
意見の違いは誰にでもあるが、長官は副長官の扱いを知らず、副長官は長官を説得するすべを知らない。
ちょっと相手の顔色をうかがっただけですぐに諦めてしまうのが常である。
このような場合、下位の者は誠意を披瀝しながら謙虚な態度と婉曲な言い回しで上位の者を説得しなればならない。
それでもダメなら退庁後、官舎に押しかけていって説得にあたるべきである。
人間は木石ではないから、そこまですればあるいは翻意させることができるかもしれない。
一方、上位の者も、部下が言うことを聞かない場合はやはりこのような態度で教え諭すべきである。
少しでも釈然としないところがあれぱその場ではイヤイヤ従っても退出してから必ずムシャクシャして人に漏らすだろう。
すると両者の仲違いに付け込んで讒言する者が現れる。
そうなると讒言された側も対抗手段を講じ、肝心の政治そっちのけで争うようになる。
一時の怒りに駆られて同僚の信頼を失い、政治の乱れを招く。
これでは人物が小さいといわれても致し方ない。
第五 宣化…徳化をしくこと
一:先労…先立ちねぎらうこと
二:申旧制…旧制を述べること
三:明綱常…綱常を明らかにす
四:勉学…学を励ます
五:勧農…農を励ます
六:服遠…遠を服す
七:恤鰥寡…鰥寡を哀れむ
八:弭強…強を止める
九:示勧…示し励ます
十:毀淫祠…淫祠を毀つ
政治をするうえでは、あれこれつまらぬことを考えないことである。
余計な事業を興す必要もなくなるし人民の生活を乱すこともないし、下役人にも付け入るスキを与えない。
しかしどうしても実施せざるをえない事業もある。
そういう場合は慎重に計画を立て、悪の発生を未然に防ぐ措置を講じなければならない。
古人も「勝利する条件を少しでも多く調えたほうが勝つ」と語っている。
これは用兵だけに当てはまる原則ではない。
事業にしても裁判にしてもバランスを考えながら周到に配慮を巡らせれば人民も大きな恩恵を受けるだろう。
人は独りでは生活できない。
他の人々と関係しながら生きている。
これが訴訟の起こる原因である。
訴訟を巧みに裁くには、当事者の主張を詳しく調べてその実態を把握しなければならない。
実態が正しければ主張にも説得力がある。
実態が違っているのに主張にだけ説得力を持たせようとしても必ず矛盾をさらけ出すので、そこを衝くのである。
さらに孔子はこう語っている。
「私だって人並みに裁けるが、裁判そのものをなくしたいのだ」
裁判はすでに生じた紛争を処理することであり、公平な態度で処理すれば人々を納得させられる。
それに対して孔子は
「過失を犯さないよう徳をもって人民を教導し、裁判そのものを無くす」
ことを目指しているのである。
訴訟が起こされるにはそれなりの原因がある。
最も責任を負わなければいけないのは、法律にくらい人民に代わって訴訟文章を作成する者(警察や弁護士)である。
この者が物事の是非を教え、利害を明らかにして説得すれば、相手はつまらぬことをしたと後悔し、双方納得して訴訟を取り下げるはずである。
口論や金銭の貸し借りなどあまり重要でない訴訟は説諭して円満な解決を図ったほうがよい。
説諭しても聞き入れないのなら官に報告し、それでも引き下がらなければそこではじめて法律を適用すべきである。
ところが多くの者は法律を逆手にとって是非をあいまいにし、和解を勧めると思わせて逆にそそのかし、大目に見ると思わせて引っ捕え、人民をコケにしてはばからない。
役人の取り調べが事実と虚偽をまぜこぜにして人民の不信を買っているのはこのような事情に基づくのである。
訴訟文章の作成には下役人から経験豊富なベテランを選び、毎月毎年その功罪から賞罰を与えなければならない。
訴訟を起こしたがる人は、道理で勝てないとみると責任者の役人に向かって「相手があなたの悪口を言ってましたよ」などと告げ口をする。
訴訟を裁く者はいつも気持ちを落ち着けてそのような中傷に取り合わず、ただ事実だけに基づいて判断を下さなければならない。
そうすれば奸智に長けた者の術中にハマることがなくなるだろう。
親族同士の訴訟は結論を急がず時間をかけてやんわりとした態度で説諭しながら取り調べること。
いずれ当事者同士がその非を悟るかもしれないし、厳しい態度で臨むとますます意固地になる。
世俗の常として、強者が弱者をしのぎ、富者が貧者を併呑し、多数が少数を圧迫し、官吏が勢力のない人々を踏みつけるのが一般である。
裁くときにはそのことをじゅうぶんに考慮してかかること。
昔、使者として地方に派遣された際、途中立ち寄った州や県で裁きを待つ人民が役所の門前に群がっているのを目撃して心を痛めたものである。
自分が地方長官になったとき、一人の能吏を選んで人々の訴えを記録させ、毎日それに目を通して直ちに裁決を下した。
すると十日もしないうちに訴えを起こす者が影を潜めてしまったのである。
取調役に就くと往々にして感情的になり被疑者に拷問を加える者がいるが、そういうことをすべきではない。
この役に就く者は仏教徒、道教徒、兵卒、またはどこにも属さぬ者に限るべきである。
デマを撒き散らして人民を惑わす者がいたら妖言罪ではなく別件で処罰しなければならない。
不穏文書を発見したらただちに押収して焼却し根絶を図るべきである。
そんなものをはびこらせて大事件を引き起こし、罪なき者にまで累を及ぼしてはならない。
第六 慎獄…極を慎重にす
一:存恕…思いやる
二:獄詰其初…獄は其の初めに問う
三:詳?…詳細に問う
四:視屍…屍を調べる
五:囚糧…囚人の給糧
六:巡警…風紀治安の取締り
七:按視…牢屋の見回り
八:哀矜…罪人を哀れむ
九:非縦囚…仮出獄のこと
十:自責…自己の責任
人はそもそも善である。
ただ、為政者が指導を誤ると飢えや寒さに苦しめられてやむなく盗みを働くところまで追い詰められる。
我が身に置き換えてみるがよい。父母が飢えや寒さに泣き、妻が生活苦に喘ぎ、税金や負債の取り立てに責められ、そのうえ病気に苦しめられて明日をも知れない命だとなったらどうなるか。
「利」に走らない者がはたして何人いるだろうか。
このような原因で盗みを働く者が現れたとき情状を酌量すべきである。
地方長官は時に管轄下の監獄を視察しなければならない。
囚人の気持ちを落ち着かせるだけでなく獄吏のデタラメな勤務にブレーキをかけられる。
これも事件が発生する前に予防措置を講じておこうという狙いである。
昔、囚人を仮釈放して親元に帰したところ期日どおりに監獄に戻ってきた者が多かったというが、これをマネてはならない。
そもそも法律は天子が発布するものであり、それを破るのは天子の法律を破ることにほかならない。
それなのに期限を限って囚人を釈放するのは天子の法律を勝手に解釈して人民に恩を売ることにならないか。
朝廷がそれを命じるのであればよいが、自分一人の判断でそれをやってはならない。
人民の教化が不じゅうぶんであれば禁令を犯す者が続出する。
人民の生活向上に無策であれば飢えに泣く者が多く出る。
地方長官となって人民をこんな状態に追い込みながら、罪だけを人民に着せるのはいかがなものか。
近年、裁判官が訴訟を受理すると、しばしば州郡の役人に審理を代行させる事案が見受けられる。
その際代行者は裁判官の意向を察してそれにおもねるような審理をし、被告人に無実の罪を着せるようなことをしてはならない。
そんなことをすれば被告人は天道の存在を疑うようになるだろう。
昔の政治家は苦労を一身に背負って人民には安楽な生活を保証した。
今の政治家は自身が安楽な生活に耽って人民には苦労を強いている。
孔子は政治の原則を
「人民の先頭に立つこと。人民へのいたわりを忘れぬこと。それにたゆまぬ精進を続けること」
とした。
人民の教化を図ろうとすれば、逆行することを根絶しなければならない。
近年子が親に背き、妻が夫を見捨て、嫁姑が反目し、兄弟が仲違いし、下僕が主人の命を聞かないなど起こっているが、これはみな教化に逆行することである。
このような者にはそれとなく村長に指示して目に余る者に厳重な説諭を加えさせて根絶を図ること。
そうすれば震えあがって態度を改めるだろう。
学校は人民の教化を図る最重要機関である。
しかし無能な役人はこれを軽視して力を入れようとしない。
暇を見ては同僚ともども学校を訪れて参観すべきである。
もし出来の悪い生徒がいたり、手当や維持費が不じゅうぶんだったり、学力水準が低かったり、やる気のない生徒がいたりしたなら、親身に対策を講じなければならない。
そうすればやがて文化や礼儀の振興を期待できよう。
政府の表彰を受けた者、または学問や行ないの特にすぐれた者がいれば、時折訪ねてねぎらいの言葉をかけること。
それを聞けば一般の人々も感化されていっそう奮励するだろう。
身寄りのない老人子供は政治が最も優先しなければならない課題である。
暇を見ては彼らを収容している施設に足を運びあるいは部下を派遣してその暮らしぶりを調査しなければならない。
衣服・食糧・医療の支給が滞っているならただちに改善を命じなければならない。
農作業に励むかどうかでその年の生活が左右される。
だからといってやたら農民の尻を叩けばいいというものでもない。
ときに領内を巡視し、仕事を怠けている者を見つけたら厳重に注意すればいい。
それを聞いた領民たちは独りでに仕事に励むようになるだろう。
ところが農民を督励している者の中に、あらかじめ巡視の日付を予告し、酒食を用意させて村はずれまで出迎えさせ、村じゅうの人々を送り迎えや接待に駆り出し、数日間もてんてこ舞いさせる。
いざ村に入るとお伴の下役人や下僕までもが威張り散らし些細なことにまで賄賂を強要する。
これでは督励と称してかき乱し、慰労すると称して疲労させているようなものである。
農作業を督励するとは「使役などに駆り立てて農耕の時間を奪わないこと」に尽きる。
異民族が裏切りを繰り返すのはそれなりの原因がある。
彼らの財貨を奪い、滅亡を喜び、子女を捕らえ、官人を殺したりして逆に彼らを団結させて惨事を招くのである。
そうなれば彼らを納得させるのは容易でないしこちらに厳しい要求を突きつけてくる、さりとて武力鎮圧もためらわれる。
そんなときはひたすら国境の守備を固めてあえて事を構えないことである。
そうすれば彼らのほうから平和を願ってくるだろう。
たとえ相手が行動を起こしてもこちらは中央からの命令がなければ勝手に軍を動かせないし、追撃の許可が出る頃には相手は逃げ去っている。
これで明らかなように
【上策】事を構えずそっとしておく
【中策】交渉を持ってもこちらからは要求を突きつけない
【下策】成功に逸って事を構えて紛争の種を蒔く
となる。
犯罪の解決には初めが肝心である。
初めの段階なら罪を犯した者も素直に取り調べに応じるのでことさら手管がなくてもじゅうぶん真実に迫ることができる。
威厳を持って虚心に尋問すれば事件の七、八割を解決できよう。
逆に初めの段階でいいかげんに処理したら、解決するまでに百倍の苦労を要求される。
収監済みの囚人については下役人の取り調べが済んでいてもさらに詳しく尋問しなければならない。
過酷な役人が厳しく取り調べて罪に陥れた事件は、その後で直接尋問しても無実の供述を引き出すことは難しいかもしれない。
そんなときは再尋問の際にすべての下役人を遠ざけた上、温顔をもって接し穏やかな気持ちで相手の心を解きほぐすように努める。
獄卒に再尋問を代行させるときは温厚な人物を選んで懇切丁寧な態度で取り調べに当たるよう指示しなければならない。
もし無実の確証を得たならば、ただちにその旨を明らかにし下役人の調書を破棄すべきである。
悪がしこい下役人は法律を勝手に当てはめてやりたい放題のことをやるものであるから、くれぐれも注意しなければならない。
検死の要請を受けたらすぐさま駆けつけなければならない。
何よりも人命を重んじるからである。
時間が遅れたりいいかげんに処理したり代わりの者を差し向けたりするのはいずれも罪が重い。
検死の方法も十分に研究しておくべきである。
初めて仕官する者はこのことを肝に銘じておかなけれはならない。
天地の徳を「好生」という。
人命を無上のものとして重視する。
朝廷はこの徳を体現して天下を治めるのである。
だから獄中の囚人にも極貧の人々にも食糧を支給するのである。
第七 救荒…凶荒を救うこと
一:捕蝗…蝗を捕る
二:多方救賑…色々に救い賑わす
三:預備…あらかじめ備える
四:均賦…賦を均(なら)す
五:祈祷…祈り
六:不可奴妾流民…流民を奴妾にすべからず
七:救焚…火災を救う
八:尚徳…徳を尊ぶ
九:災異…災異を上申す
盗人を捕らえて処罰するのは容易い。
難しいのは盗人が現れないように警戒を厳しくすることである。
最も難しいのは盗みなどしなくても暮らしていけるような生活を保証することである。
なにごとも事件になる前に手を打てばよい効果が期待できる。
逆に事件が起こってから慌てて対策を講じても苦労ばかり多くて効果があがらない。
盗人がいつ現れるかを予測することはできないが、智者はそれを未然に防ぐ。
情報の入手に努め、見回りを厳しくし、飲酒や賭博に目を光らせ、無許可の集会を取り締まり、さらには十日ごとまたはひと月ごとに警察に命じて一斉取り締まりをさせて手も足も出ないようにさせるからである。
盗人はネズミで警察は猫である。
猫がせっせと外を歩けばネズミはじっとしたまま動けない。猫が外に出なければ必ずネズミが姿を現す。
警察が事件の後始末に追われるのと、警戒を厳しくして未然に防ぐのと、どちらが優っているだろうか。
人民が盗みなどしなくても暮らせるようにするには、仕事に励んで生活を向上させるように仕向けることである。
仕事に励めば生活が向上し、礼儀を重んじるようになって盗みを強要されてもする者がいなくなる。
天災地異が発生したら必ず朝廷まで報告しなければならない。
しかし瑞祥(吉兆)についてはその限りではない(諂い者を増やすだけ)。
昔から
「領内にイナゴが発生したらすぐさま中央に報告しなければならない。ためらっていると影響が拡大する」
といわれてきた。
しかし地方長官は発生の規模、被害の大小をよく調べたうえで報告しなければならない。
慌てて報告しようものなら中央から役人が続々と視察に繰り出してきて、やれ出迎えだ、やれ宴会だと要求し、上を下への騒ぎを引き起こす。
その害はイナゴよりも甚だしい。
イナゴが発生したらまだ勢力の弱い初期段階に農民を総動員して撲滅を図るべきである。
事件発生の際にはまず自分が責任を負う覚悟を固めたうえで対策を講じなければならない。
天災地異は必ず忘れた頃にやってくる。
普段から備えていれば仮に大きな災害に見舞われても恐れることはない。
ところが現在、州や郡の多くは食糧の備蓄をしていない。
まれに備蓄しているところがあっても責任者が厳しく封印して開放せず、不測の事態に対する備えがまったくできていない。
これに対し接待費は辺地の貧乏な州や県は予算に計上していないが、その地を訪れた使者や官吏で空腹に耐えかねた者はいない。
必ずどこからか接待費を捻出するからだろう。
しかし災害対策費だけはそんな具合に捻出されることはない。
世が泰平だからそんな費用はいつでも調達できると考え、一日延ばしにして任期の切れるのを待ち、遠い先のことまで手を打とうとしないからだろうか。
いずれ転任になるのだからと、人民のために備蓄しておくことを怠るようなことがあってはならない。
火災が発生したら太鼓を鳴らして人民を動員するとともに自ら現場に急行して消火活動を指揮しなければならない。
人の不幸に同情する気持ちは誰でも持っている。
その気持ちをうまく奮い立たせることができれば、仮に憎み合っている相手でも火の粉を厭わず救援に駆けつけてくれるものである。
第八 事長…長に仕える
一:各守涯分…各々分際を守る
二:寧人負我…寧ろ人我に背くとも
三:処患難…艱難に処する
四:分謗…人の謗りを分かつ
五:以礼下人…礼を以て人に下る
六:不可以律己之律律人…己を律するの律を以て人を律すべからす
昔、人民の税金は三年ごとに収入状況を調査して改定したという。
評判を得んがために三年経たないのに改定したり、非難を恐れて三年過ぎても改定しなかったりするのはいずれも不可である。
規定どおり三年ごとに改定すれば人民は大きな恩恵を受けるだろう。
神仏に祈りを捧げるときには、必ずしも人民を動員しなくてよい。
三日も斎戒沐浴して、人民に無実の罪を着せなかったか、賄賂を受け取ったことはないか、施政に行き届かない点はなかったか、国に報いる心がじゅうぶんであったかなど、自らの過ちについて反省を加えれば十分である。
過ちがないと思ったら今までどおり行なえばよいし、過ちがあると思ったらまずそれを改めその後に祈ればよい。
思うこと行なうことが至誠であってこそ初めて神仏を動かすことができるのである。
たとえいささかの過ちでも改めようとしない限り、神仏に祈ったところでなんの効果もない。
第九 受代…転任交替
一:郊迎新代…新任者を郊迎す
二:克終…終わりを良くする
三:不競…競わず
四:不可自鬻…自ら売るべからず
五:告以旧政…告げるに旧政を以てす
六:完帰…全うして帰る
後任者が赴任してきたら官舎を引き払って郊外まで出迎えなればならない。
自分の地位に取って代わった相手だからといって、憎んだりバカにしたりして引き継ぎを怠るようなことがあってはならない。
相手の業績は取りも直さず自分の業績であり、相手が業績を上げるよう配慮してやるのは自分の業績をあげるようなものである。
自分だけ業績をあげて他人の業績を嫌うようなことがあってはならない。
転任交代に際し揉め事を起こす者が少なくない。
そのことごとくは前任者の不徳に起因する。
官舎を占拠して動こうとしないとか、田畑を私有化して返さないとか、官の物品を私物化して返還しないとか、後任者をほとほと困惑させる。
そもそも「利」と「義」は両立しない。
「義」を守ろうとすれば「利」から遠ざかり、「利」を重んじようとすれば「義」が疎かになる。
まして人の上に立つ者がもっぱら「利」に励んだら人々から恨まれたり軽蔑されたりすること甚だしい。
君子として政治に携わるのなら私利私欲に走らず、一歩退いて己の利益を犠牲にして公事を優先させるようでありたい。
君子は「義」を重んじ、占いなどの「運命」に囚われない。
進むべきときには進み、退くべきときには退いて「運命」を口にしない。
富貴栄達を追い求めてあくせくし、そこから抜け出せない者は、「運命」に縛られて自ら禍を招いていることに気づかず己をダメにしている。
君子は後任者が着任しない間に己の業績を讃えさせたり金持ちを集めて盛大な送別会を開かせたり餞別をかき集めたりしない。
人間は次の三等級に分けられる。
【上】立派な業績をあげても人に知られることを望まない者
【中】人に知られてもその業績を鼻にかけない者
【下】自ら売り込んで虚名を博そうとする者
引き継ぎについては
「この件はいま一歩で決着していない。
この件は上申済みだが裁決が下っていない。
この事件はここに疑問点がある。
この人物はしかじかの能力があるので使ってほしい」
など政治の現状を事細かに分析して新任者が十二分に把握できるよう配慮すること。
ところが今の連中は在職中ですらそのような配慮をしない。
まして職を去るに際してそれを求めても無理である。
その人物の在職中、人民が恩恵を被り、訴訟もなく盗賊も姿を消し、横車を押す者も跡を絶ち、同僚も心服するような政治を行なえば、職を去るときたとえ蓄えがなくとも心は万金を贈られるよりも晴れやかであるに違いない。
第十 居閑…閑地に就く
一:軽去就…去り際を潔く
二:致政…政を辞める(辞職)
三:進退皆有為…進退いずれにしても努力する 四:以義処命…義を以て命に処する
五:求進於己…進歩は自己より
六:風節…風格ある節操
古人は官職から退くのは重責から解放され、囚人の身から脱出することだと理解した。
現職時代は人の出入りや立ち居振る舞いにも気を使い、人に対して軽々しく表情を示すことも慎まなければならなかった。
官吏は人民の手本であり、少しでも規則を破ればたちまち非難の声が四方八方からあがってくる。
たとえるなら、高い屋根の上を一人で歩いているようなものである。
下にいる人から見れば頭から爪先まで丸見えになっている。
ところが官職を退いた者の中には、政治から離れて引退することを嫌がる者がいる。
そして身内の者や友人などを通じて裏から働きかけ、時の政治に影響力を行使しようとする。
その結果少しでもおかしなことが生じれば「引退しても現職と同じ権限を持っているんだ」と強弁する。
後任者としても先輩の頼みとあればむげに退けることもできないので、ついには法を曲げるようなこともせざるをえない。
こうして後任者の職務に介入し、したい放題のことをしても、人民には裏の事情がわからないからその力に頼ってしまう。
立場を替えて、自分の新任当初、人からそんな邪魔立てをされたらどうするつもりだったのか。
そのところをよくよく考えれば、後任者の政治に介入するなどもってのほかだとわかるだろう。
官職に就けばじっくり腰を落ち着けて志の実現にあたり、引退すればやはりじっくり腰を落ち着けて欠点の克服に努める。
つまり官職にあろうと引退しようと努力を怠るべきではない。
古人が語っているように「高い地位は向こうからひょっこりやってくるもの」である。
それを手に入れてもプラスにもならないし、失ってもマイナスになることはない。
人間を評価するのに、その人自身を見ないで地位で評価するのは評価する側がいかにくだらない人間であるかを証明するようなものである。
官職を去って無官の立場にある者は、権力者にしっぽを振るようなみっともないマネをしてはならない。