意外とマイナー?キリストとサタンの誘惑を描く復楽園!

『復楽園』(楽園回復)は、『新約聖書』の共観福音書「ルカ伝」に書かれた「荒野の誘惑」のエピソードをテーマに、イエス・キリストが救世主・贖罪主としての自覚をもち、宣教の生涯に入る前、サタンの誘惑にあいながらもこれに打ち勝つ様を描いた、ジョン・ミルトン作の全4巻からなる初期近代英語の叙事詩です。

Paradise Lost and Regained

『復楽園』は誘惑のみで構成され、登場する誘惑は質も量も『失楽園』をはるかに凌駕している、誘惑の伝統の集大成となっている文学作品です。
しかし、ミルトンは贈罪を叙事詩のテーマとするに当たり、本来であれば題材として取り上げると思われる、イエスの”生涯の目標であり終焉である十字架上の死と復活”ではなく、”公生活を開始する直前の準備段階である荒野におけるサタンの誘惑”に取り組んでいるのです。
そもそも、サタン・ルシファーの誘惑により、イヴが禁断の樹の実をもぎ取って食べる場面が『失楽園』のクライマックスであり、その結果が楽園からの追放、楽園の喪失でした。
その対をなす『復楽園』では、楽園の回復はその禁断に匹敵する誘惑に抵抗し、勝利を得る場面であることはある種理にかなっている訳です。

そこでミルトンは、聖書の原典の記述に忠実に『復楽園』の誘惑を繰り広げていきます。
・第一の誘惑は、田舎の老人姿のサタンが石をパンに変えて、イエス自身の飢えと貧民の飢えを満たすよう誘うもの。
・第二の誘惑は、富の誘惑によって始められ、栄光と名声の誘惑に続き、高い山上からの全世界の繁栄の展望。
・第三の誘惑は、ローマ帝国の壮麗な威容を当惑しつつ展開するサタンとともに開幕し、『復楽園』の終局では、サタンがイエスをエルサレムの神殿の尖塔の上に運んで試す。

これらの誘惑は、すべてなんらかの形で人間が経験するものであり、イエスが人間的次元における存在から、神の子としての自覚を確立する過程において、これらを拒否する姿を描くことによって、ミルトンは自らの内面における浄化の過程を描いたといえるものです。
また、同時に、イエスが贖罪主としての自覚を得たことによって、失われた楽園がふたたび人間に与えられる可能性が生じたことを、ミルトンは示そうとしているのだと思われるのです。
サタンの誘惑はある種の物質主義に基づいているため、イエスが試みられた誘惑の試練は「情欲に対する理性の戦い」であり、究極的には「霊的な戦い」ですが、イエスは「霊的な真理」を武器にサタンの挑戦をみごとに否定しています。

従って、ミルトンの描いた楽園回復は、理想的な人間の理性と意志との典型であるイエスが、アダムの征服者であるサタンを逆に征服するとき回復されることを示しているといえるのです。

『失楽園』に比べると『復楽園』はあまりにマイナーな叙事詩ではありますが、『失楽園』との対比を楽しみながら読み解いていくというのも一興かと思います。

一度手に取って読んでみてはいかがでしょうか。