中国の戦国時代、「諸子百家」のひとつに公孫龍や恵施が形式的な論理を説いた「名家」という学派がありました。
名実（名称と実体）を正すべきだという主張をかかげて議論を展開した人々に与えられたのが「名家」という名なのですが、彼らは一種の論理学的な事柄を取り扱う学徒であって、その議論は物の定義を決定し、名称と実体との異同を正し、名の中に含まれている概念のようなものを分析しようとするものでした。
「名家」自体は七家三十六篇あり、そこには析、尹文子、公孫龍子、成公生、恵子（恵施）、黄公、毛公といった、それぞれの思想家が示した篇があったそうなのですが、書物としてはこのうち公孫龍が唱えた『公孫龍子』だけが現存しています。
そこでまず「名家」の代表的なひとり恵施ですが、荘子の天下篇によれば「きわめて多才で蔵書は五車に満つる」ほどであったとされ、梁の恵王の相となった人だったようです。
そんな恵施の説は「荘子」の「斉物論篇」、「秋水篇」、「天下篇」などにのせられているものを通じて知ることができます。
この中から「荘子」の「天下篇」を見てみると、恵施の弁というものが載っています。
・「天は地よりも卑（ひく）く、山は沢よりも平らかなり」
形あるものは皆相対であり、物の高低深浅は人間の主観によって考え出された比較上の名称に過ぎず、その差異は実体ではない。
・「われ天下の中央を知る。燕の北は越の南、これなり」
燕は天下の北にある国、越は南にある国であるが、これは空間を有限とするから起こることであって、空間を無限とすれば天下の中央は燕の北であっても、越の南であってもよい。
また「名家」のひとり公孫龍の説として知られるのは、「白馬は馬に非らず、堅石は石に非ず」といういわゆる「白馬非馬説」、「堅白異同の弁」です。
「白馬非馬説」は、
「白とは色の概念であり、馬とは動物の概念である。であるからこの二つが結びついた白馬と言う概念は馬と言う概念とは異なる。」
と言う論で、『韓非子』にも描かれていますね。
これが何を示しているのかというと、馬はこの場合、概念であり名ですが、一方、白馬は実体であり形です。
そこで、堅石が石でないというのは、堅石と白石とは二つの概念であって、堅と白とは離して考えるべきだということ、要は具象の実体と抽象の概念とを混同してはならないと主張しているのです。
もうひとつの「堅白同異の弁」は、
「白くて固い石は手で触っている時には白いと言うことは解らず、目で見ている時には硬いと言うことが解らない。すなわち白いと言う概念と硬いと言う概念は両立しない。」
と言う論ですが、これも論理としては同じですね。
公孫龍は弁論に優れていたため、こうした事物の具体性を概念の区別の中に分解する手法を取っていたのですが、それでもこの二つの論は明らかに詭弁であり、後世でも公孫龍には詭弁家の印象が強かったことから、あまり良い評価は得られていませんでした。
というのも、「白馬非馬説」を例に取れば、白馬と馬との概念は不同だというべきなのに「非」という語を用いて言っているため、ことさらに人の意表をつくことになっており、それは人を驚かして喜ぶような趣きがあり、言を弄して人を欺く態度がそこに見え隠れしていたからです。
とはいえ、公孫龍が生きた当時は諸子百家の議論が非常に活発な時代であり、それと共に論理学の重要性が認識されていました。
そこで、名実を正して考え方を整理してゆこうとするよりも、論理的錯誤を巧みに利用して説を立てることに重きを置いたのが「名家」に代表される論法だったのだろうと推測されるのです。
そのため、公孫龍は概念と概念とを明確に区別することが重要であることを説明するため、「白馬非馬説」や「堅白同異の弁」のような極端な話題を持ち出して、論破していたのであろうと考えられる訳です。
ま、戦国期には、名家に限らず思想界全般にこうした「名実の論」が流行し、「墨子」の「経説篇」や「荀子」の「正名篇」など、この問題を扱う篇も記されているぐらいですので、これは当時の諸学派間の論争が論理学的整理を必要としていたことが伺えます。
「見侮而不闘、辱也」とは公孫龍と儒家との弁論中に出された言葉なのですが、公孫龍の弁論方法はさておき、この言葉自体はしっかりと耳を傾ける価値があるのかもしれません。
傷つけられたり汚名を受けたとき、自身を守るため自分の正当な利益を守るために、時には勇気を持って立ち向かう気概と、波風を立てたくないといって見て見ぬ振りをすることを恥と感じ、物事に屈せず毅然と立ち向かう姿勢は、「名家」の在り方から学ぶことも必要ではないでしょうか。
