『三国志演義』第五十六回 曹操大いに銅雀台に宴し、孔明三たび周公瑾を気らしむ

周瑜は、大将達に手当されながら船を出して逃げ去った。
知らせを聞いた孫権が荊州に攻め込もうとしたが、張松は諌めて、
「曹操と劉備を噛み合わせて、その隙に荊州を奪いましょう。」
と進言した。そして、華歆に上奏文を持たせて許都に向かわせた。

時に建安15年、銅雀台が落成したので盛大な祝賀を催した。
そして、宴の中大将達がみな弓を競い錦を奪い合った。そして最後にはジョコウと許褚が争い錦は跡形もなくなってしまった。
曹操モウトクは笑って、
「そなたらの手並みを見たいと思っただけじゃ。錦の1枚や2枚惜しくはない。」
と言って、大将みなに蜀錦をとらせた。
そして、さらに宴は盛大になり、曹操は筆を取って銅雀台の詩を作ろうとした。
そこに、孫権の使者、華歆が荊州の劉備を荊州の牧に推挙する上奏文を携えてきた。
程昱は、
「これは我らと劉備を戦わせるための呉の策ですぞ。おそらく周瑜の仕向けたものでしょう。」
と進言し、
「周瑜を南郡の太守、程普を江夏の太守とし、華歆を朝廷に留めて重用いたせば、やがて周瑜と劉備は戦い始めましょう。」
と策を言い、曹操はすぐさまこれを用いた。

周瑜は南郡の太守に封ぜられて以来、荊州を取ろうと、魯粛を使わせた。そして、
「いつ西川をとり、荊州を返して下さるのですか。」
と魯粛は問うと、諸葛亮は
「西川の劉璋は我が君の弟にあたられ、いずれも漢皇室の血を受け継がれております。もし兵を起こせば天下に恥をさらす事となります。よって、呉に荊州をお返しすることも西川を攻めることもできずに、我が君は悲しんでおられるのです。」
と言った。
魯粛はこれを周瑜に伝えると、周瑜は悔しがった。しかしすぐさま策を思いつき、西川を呉が取ってやるという旨を魯粛に伝えさせた。
しかし、諸葛亮は、西川を取ると見せかけて荊州を奪いに来ると見抜いて、趙雲に計略を授けた。

さて、周瑜は、魯粛から劉備と諸葛亮ががたいそう喜んでいた事を聞くと、笑って兵を挙げて荊州に向かった。
荊州に着き、城下に来て門を開けろと叫ぶと、
「都督のご到着ぞ。」
と城壁から声がして城壁に兵士が現れた。そして、趙雲が、
「都督が自ら来られるとは何用か。貴公の謀略は既に判っておる。」
これを聞いて慌てて周瑜は兵を退こうとしたが、そこに関羽、張飛、黄忠、魏延がこちらに向かっているという伝令が入り、あっと叫ぶなり矢傷が裂けてもんどりを打って馬から転げ落ちた。

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