佳書という言葉があります。
佳は、よいこと、優れていること、美しいこと、またそのさまを表す言葉ですので、文字通りよい書物ということになります。
よいことやよい人、よい機会というものには出会おうと思ってもなかなか出会うことは難しいですが、書物だけは自らが選択できるという意味で出会うことの容易いものだと言えます。
人は一生を通して修養を重ねることが肝要ですよね。
そして修養には、学問を積むか優れた人物に指導して頂くしかありません。
学問というと、いい高校、いい大学を出ることのように誤解されがちですが、私は数多くの佳書に出会い、そこから多くのことを学ぶことが大事だと考えるのです。
佳人(ここでは優れた人と解釈ください)に指導して頂こうと思っても、なかなかそのような機会がほいほいある訳ではないので、その人が書いた書物やその人が学んだ書物を通して修養を積む。
年代、年齢に関係なく、こういった所作は自己鍛錬のために大事な所作でありますね。
そこで次にどういったものを読めばいいのかということになりますが、よく言われたのは”迷ったら古典を読みなさい”ということです。
古典なんて埃をかぶって内容も古めかしいだけのものでしょ、と言われるかもしれません。
しかし、数百年、数世紀を経ても残っている書物ということは、それだけで十分歴史のふるいにかけられながら、それでも残るだけの価値のあったものだという証拠です。
毎年発行される書籍だけで、2012年の新刊書発行点数を例に取っても約82,200点。
これだけ発行されているのに、あなたの記憶に残っている書籍はタイトルだけでもどれだけあるでしょう?
年間のベストセラーも毎年発表されますが、その中でどれだけ読んだり、心に残っているものがあることか?
ましてや、5年10年と読み継がれている本といったら、さらにそこからふるいにかけられているはずです。
こんな状況にあって、数百年、数世紀を経ても未だに現存している書物というのは、それだけで十分に修養に足るだけの価値はあると思いませんか?
そこでここからは先達のお力を借りて、古典の中でもさらに修養に佳しとされる書物を挙げてみたいと思います。
出展参照 経世瑣言総編 安岡正篤氏著(P.202, P.359あたりです)
【漢籍】
小学、孝経
四書 大学、中庸、論語、孟子
孟子に対して荀子
論語と併せて孔子家語
五経 特に礼経。その上で書経、詩経、易経
それから春秋左氏伝
その後で老子、荘氏
【仏書】
四十二章経
日本仏教の根本経典の法華経、勝鬘経(しょうまんきょう)、維摩経(ゆいまきょう)
近代のもので近思録、伝習録
莱根謂、古文真宝
【日本史、東洋史】
古事記、日本書紀
史記、十八史略
資治通鑑
太平記、平家物語、神皇正統記
日本外史、日本政記、中朝事実
バイブル
エマーソン、カーライル、ゲーテ、モンテーニュ、アミエル
プルターク英雄伝、セネカ
藤原惺窩(ふじわらせいか)、山鹿素行、中江藤樹、熊沢蕃山、佐藤一斎、広瀬淡窓、三浦梅園
二宮尊徳、大原幽学
明治維新の哲人英雄の遺書 吉田松蔭、西郷隆盛、佐久間象山、横井小楠、藤田東湖、橋本景岳
古典をお勧めしていますが、そうはいっても最近ではお手軽に読めることを筆頭に大衆受けする本でない限り、少し年月を経ると絶版になっていたりなかなか手に入れるのも苦労することは確かです。
そんな中にあっても、本屋や古本屋、図書館などを巡っていると、背表紙が呼んでいるような感覚に襲われることがあります。
特にこれ、といった明確な目的を持っていないままに、黙々と本棚に数多並んでいる書物の中から、ぼおっと浮かび上がっているような感じとでもいうのでしょうか?
秋の夜長に、古典に勤しむのも一考かと。
お勧めします。