『鬼谷子』(きこくし)は中国の戦国時代の縦横家・鬼谷(鬼谷子)によって書かれた、他人を説得する方法・遊説の方法についての書です。
一般に偽書とされ、後世に記された書と言われていますが、かつての日本軍情報参謀なら必ず一度は読んでおくべきとまで言われており、外交・謀略の原典と評された書物ですので取り上げておきたいと思います。
そもそも鬼谷子の専門は国際外交のような謀略であり、縦横家※)という言葉も彼らの策の名前に由来しています。
・合従は諸国が連合し秦に対抗する政策:秦以外の国が秦の東に南北に並んでいること(「縦」=「従」)による。
・連衡は秦と同盟し生き残りを図る政策:秦とそれ以外の国が手を組んだ場合に東西に並んでいること(「横」=「衡」)による。
※)縦横家の考え方については、改めてもう少し整理したいと思います。
道教では鬼谷子を”古の真仙””玄都仙長”と尊称し、民間の伝説では鬼谷子は占い師の開祖ともいわれていたそうです。
鬼谷子はそもそも中国に最初に現われた心理学者ともいわれており、謀略において心理学を用いたり、弁論術を巧緻にした上、それまでの「万象学」に思想学や哲学を結びつけた子平法(縦横家の策)も人間分析学でした。
子平法は「占い」を目的とせず、政治の流れや経済、軍事の動きを如何にして予知出来るかという学問です。
そして「占い」が個人を対象とするのに対して、子平法が集団の占い、国全体の進退を考えた学問ということで「軍略学」となりました。
このような流れで縦横家を生み出したグループを「三命」と呼ぶようになり、その流れを伝承しているのが「算命学」※)です。
算命学の元祖はこの鬼谷子であり、それを活用したのが縦横家の蘇秦と張儀でしたが、その事実は歴史的に明確に記録されていません。
それは、その価値を知った秦の始皇帝によって、「算命学」を門外不出にして一子相伝の学問として保護し、その後も歴代の王朝に密かに受け継がれていったことが起因しています。
そのため、司馬遷の『史記』の中でも蘇秦が使用した「揣摩の術」(自分の心で相手の心を推し測る術)として紹介されるに過ぎませんでした。
細々と伝承されていた算命学ですが、中国での最後の伝承者であり清朝の外交顧問であった呉仁和氏が清朝滅亡時に日本に亡命し、日本人の宗家高尾義政氏に伝承したことから、日本においても算命学というものが認知されるようになっています。
算命学については、以下でも整理してありますので参考にしてください。
東洋史観 軍略的な観点から見た、2015年の日本人が取り組むべきこと!
『鬼谷子』における遊説術ですが、社会の中で対等な権利を持つ相手に対し、
・相手が納得するように主張する
・相手が何を目的とし説得しようとしているかを読み取る
という観点で極めて示唆に富んだ著書であることは確かです。
現存する文献は少ないですが、機会があれば一度ご覧になってみてください。
以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。
【『鬼谷子』】
【捭阖・開閉篇】
外交謀略の秘訣は駆け引きである。情勢変化を見極め、積極・消極の両策を巧みに使い分けねばならない。陰陽・柔剛・弛張・短長・賢不肖・知愚・勇怯・進退・攻防・貴賤
陽は動いて行くことであり、陰は止まって自重することである。陽がきわまれば陰となり陰がきわまれば陽にかえる。陰陽を適切に対応させること、それが開閉である。
『鬼谷子』の根本であり、物事の本質を見極めた上で、的確な言葉と的確な沈黙によって相手を掌握することを説いています。「捭」は口を開き言葉を発することであり、言葉によって相手を誘導したり、刺激したりして、相手の興味、嗜好、長所、個性など本質を探り出すことであり、「闔」は口を閉じ沈黙を守ることで、会話の最中に口を閉ざすと相手は戸惑い、自分の主張を止めて、こちらの意見を聞こうとします。つまり相手を沈黙させる手段です。ここでは天下に生じるすべての万象は捭闔、剛柔、終始など全く異なった二面性(陰陽)を持っていることを明らかにしています。
【反覆・反応篇】
一石を投じてみよ。相手の本心をとらえるには網を張って待ちかまえ、一石を投じて相手を釣り出してとらえる。あらかじめ十分用心してまちかまえ、餌になるような言葉の糸口を投げかけて、相手に発言させて、これをとらえ、それをある物差しによって判断すれば相手の意志や企図を知ることができる。
相手の本心を掴むには、相手を知り、自分を知る。自分を知ることが出来て初めて相手を知ることが出来ることを説いています。
「反」は相手の立場に立って、相手の角度から見、聞き、考えることです。
つまり相手を知ることですが、その根拠になるのは過去から現在までの経過です。
もしはっきりしない点があったら何とか相手から聞き出さなければなりません。
「覆」は繰り返し自分の行動、思考を反省し、験すことです。自分の体験を繰り返すことであるので、その流れは当然認識も理解も出来、必然的結果として現在も未来も的確に予測出来ます。
「あの時こうしておけば、現在どうなっていただろうか」このような反省、検証によって、人生の流れを修正し、思い通りの結果へ導くことも可能です。話をすることは、自分の意志を表現することであり、沈黙している限りその意志を伝えることは出来ません。
また眼の動きや表情の変化で相手の意思を想像することは出来ても、それはあくまでこちらの想像ですので、相手の口からその意思を引き出さなければなりません。
こんな時、陥りやすいのが独りよがりの思い込みであり、正しい判断は望めません。
ここでの「反覆」はそれを戒める具体的な方法です。
【内揵篇】
内揵とは自分の意見を述べること、揵とは謀をたてることである。相手に納得してもらうにはその前に相手の心理を洞察し、受入れ気分を醸成しておく。まず君主の心理状態を確かめ、事の成否を判断して、成功の見通しをつけてから実行にとりかかる。
ここから具体的な各論になり、君主(社長)の絶対的な信頼を勝ち取る具体的方法、巧みな弁舌、基礎となる人間性を説いています。
「内」は巧みな弁舌を用いることによって君主(社長)の懐に入り込み、取り入ることです。
しかし、トップに立つような人達は単なるゴマスリに惑わされるような人間ではないことは言うまでもありません。
「揵」は君主(社長)に対して計謀策(企画案)などを提出して取り入ることです。
「内」の目的は信頼を得ることであり、人間の情は時代によって変化するものではなく、今も昔も変わりありません。
心が通じ合うことが重要であり、腹を割って話せる信頼を得るための基本は
①嘘を言わない
②いい加減な話をしない
③約束を守る
④きちんとした態度で人と接する
⑤勉強して知識を貯える
⑥しっかりした専門知識を持つ
などです。「揵」で進言しようと思ったら、まず君主(社長)がその時点でどんなことを考えているかを考えて、それに添うようにする必要があります。
そしてその案の長所と短所をはっきりと君主(社長)に話し、君主(社長)の心を迎えることが重要です。
昔から、聖人(優れた人材)が成功するのは、物事の実情を理解してその良否を予知し、万物を自分の味方にするからです。
【抵巇(ぎ)虚隙篇】
相手の弱点を狙え。物事は一定の理にもとずいて動いている、この理を知ればその情勢変転のうちに必ず虚隙を発見できる。弱点を萌芽のうちに察知してこれに乗ずることが肝要である、その虚隙に対して適切な手を打ち、そのときの事態に最も適した方法をとることが大切であるが、その方法は状況によって千変万化する。
状況に隙間が生じた時は、万物自然の法則では常に離合が繰り返えされているので隙間が生じるのは当然と考え、塞ぐべき時を判断できるかどうかを説いています。
抵」は塞ぐことであり、「巇」は隙間のことです。澗(谷)は水勢が増大すると山を崩すことになり、壁は隙間が原因となって崩れ、器は罅が原因となって壊れます。
隙間を見つけたら、そこを適切なもので補強すれば、壁も器も壊れることを防げます。
人間関係でも同じことが言え、状況に隙間が生じた時は、それを埋め合わせることで、壊滅を防ぐことが重要です。
【飛箝(かん)篇】
君主に対し、人物評価と登用の途を説く進言・謀施の要領である。飛 とは言わせたり、発言を押さえたりすることである。言葉を誘い出して本心を確かめ、その本来の姿を暴露させてその意図・能力を知る。諸侯に対して対抗・随従、その言に対して賛同・反対を以て自分の思うようにしてしまう。
相手を掌握するには、相手の優れたところを称賛する。
そうすれば必ず好意的になる。部下の場合は重用することが第一であると説いています。
「飛」は相手の名声を作り上げて持ち上げることで、「箝」は相手を拘束して逃がさないことです。
「飛箝」は言葉を運用する技法と人の心を引き付ける技法のことであり、相手を自分の思い通りに利用する方法です。
そのためにはまず相手の才智と器量をはかり、気勢をはかり、名声をクローズアップして誉め、彼のために宣伝し(飛)、相手を感激させ喜ばせておいて、いろいろな技巧を駆使して拘束します(箝)。
【忤(ご)合・反合篇】
去就は幾度か試みた後、これを決せよ。反合とは離反・合体、即ち去就である。古の反合の道をよくして誤らない者は広く天下を見渡し諸侯にあたり、仕えるべき主の候補を選びこれに反合の術を施し、去就を知り、天命を知る。心労、思苦の後、根源を極め、心を尽くして事を行い名を揚げる。反合の道、自らの才智を知り彼我の優劣を知る。
自分が誰に反し、誰につくか。一つの計謀は二君に合うことはない。
自分がどちらの君主(社長)に付くかの判断を下すことについて説いています。
互いに背を向けることを「忤」と言い、互いに向き合うことを「合」と言います。
天下(会社)が乱れた時、並び立つ群雄が、それぞれどちらを向くかの問題があり、一方に「合」すれば、間違いなく片方とは「忤」となり「二君に忠する」ことはあり得ません。
「忤合」の術を使うには、自分が害を受けないように自分の意向は隠して相手を観察し、「事を成功させ、自分に合う」君主(社長)を一人選び、必ず「飛箝」の術を一緒に使うことです。
【揣(すい)篇】
揣ははるかである。国事をはかるには詳らかに権量し、人主に説くには詳らかに揣情せよ権量とは国力の要素について、量や強さを具体的に算定することである。揣情とは人の心理状態を判断することである。心は必ず形となって外に現れる、これを深く測り情を揣る揣情はすべての謀の根本であり、説得術の基本原則である。
天下の権勢、強弱をはかる要素と諸侯の内情の真偽を推量することについて説いています。
これは天下の権勢を推量する部分「量権」と人間の内情を推量する部分「推情」の二つの部分に分類出来ます。
「量権」とは国の財貨の多寡、人民の多少、地形の難易、参謀の知慮の長短、君臣間の人間関係、天象の時機の吉凶などすべてが推量の対象です。
「推情」は人間の本当の感情を伺い知ることであり、相手が極度に興奮した時、喜び好むことを探り知り、相手が極度に慌てた時、憎み恐れる対象を知ることです。
揣篇に下記のように書かれています。
『人間は非常に喜んだ時には必ず欲を極めようとし、欲のある限りその情を隠すことは出来ない。
また非常に恐れている時には極端に憎み、憎んでいる限りその情は隠ない。
情が内で変化すると、形は外に現われる。そのため見るところによって相手の隠れている事柄を知ることが出来る者こそ、深く推量出来る者である』これこそ一般的には知られていない算命学の人間分析法が背景にあり、算命学を究めた者にとっては、相手の言動からその人間性や性格などを推量し、確信できることを示唆していると思われます。
【摩篇】
摩はさするである。相手の身体を刺激して、心に反応を起こさせてその心そのものを知る、相手の内心に類する方法で摩を施せば内心は必ず反応を表現する。摩は揣の手段である。摩の術の機微を知るものは、時期を失しない。成功しても止どまらず速やかに去り、その駆け引きは適切巧妙であり、これを続けてついに天下の教化と統治に成功する。
隠密裡に運ぶ術で、人に知られず成果を上げ、災いが来ないうちに消すことについて説いています。
「摩」は「揣術」の一種であり、「内府」は「揣術」の基礎であるといいます。
「内府」の「内」は情感が内に働くことで「府」はそれが外に現われることです。
内情と外見があたかも割符のように符号することから「内府」と名づけられました。
つまり情を推量することが上手な人は、外見を通して内情を知ることが出来ますので、「内府」は「揣術」の基礎であると言えます。そして「摩」の術が運用出来てその原理を会得すれば、隠密裡に行動出来、他人に察知されることはありません。
「摩」の道はまず内情を知り、その後改めて相手が望み期待しているものを順応させてやり、その上で相手の動向を探求すれば、内心での考え方は必ず表に表現されるので、それを見てとります。
内情がすでに外見に現れ出したら、相手に密着していればきっと相手の行動や所作に出会うことが出来ます。
相手を利用して、知りたいことを誘導しようと考えたら、必ず出てくる相手の反応に注目します。
そして密着して相手がすることを支配すれば、必ず上手くいきます。
これは釣りと同じでその魚に合った餌を付けて待っていれば必ず魚が釣れます。
「摩」を巧みに運用する人は、政を担当すると多くの成果を上げますが、その陰で計略や策謀を練るので常人は全く気付かないで「神」とさえ呼ぶようになります。
【権篇】
権ははかりである。相手の能力・意志・物事の利害・優劣などを合理的に計算してよく確かめる。これによって相手の短所を確かめこれにまさる我が力を指向する、説得も謀計も相手を見て方法を選ばねばならない、どんな人間にも泣きどころはある。ここを狙って施せば必ず成功する。
説得の言葉の技術で、確実に相手を狙いその相手に合った方法で確実に落とす言葉の技巧五種と話術の五忌を説いています。
「権」とは分銅のことで、つまり天秤ではかることです。
そしてこの篇の主旨は、①説得工作の進行過程で使用しなければならない言葉の技巧、②説得する対象、③慎み深くはかり、選択すること、を教えることです。
ここで重要なことは“天秤ではかる”という感覚的な判断が優先されることであります。
《言葉の技巧五種とは》
・佞言(ねいげん)= 相手を立てる発言で、忠義らしく見せること
・諛言(ゆげん) = 博識の飾り立てた言葉で、智者であるかのように見せること
・平言(へいげん)= はっきりした口調で、勇気ある人だと言わせること
・戚言(せきげん)= 策謀を的確に選んで進め、信頼を得ること
・静言(せいげん)= 自分の技量の不足を反省しながら、勝を得ることこれらを環境条件の変化、相手の対応の仕方に応じて適時妥当なものを選択します。
《注意すべき五忌とは》
・病 = 病んでいると、気力が不足して言葉に気持ちが入りません
・怨 = 怨みを持っていると、内心を隠そうとして語気が激しくなり、言葉が乱れます
・憂 = 憂いを抱いていると、その心配事に気を引かれて適切が言葉を選べなくなります
・怒 = 怒っていると、情緒が激昂して言動が支離滅裂になります
・喜 = 喜んでいると、調子に乗り注意が散漫になり、話題の重点が把握できません
《対応の仕方の9分類とは》
①智恵のある人と話す時
見識や博識ぶりを見せ、いろいろな例を引用して説得します
②見識の豊かな人と話す時
①とは逆に物事を処理する時の理屈を上手に使いこなします
③物事を処理する理屈をわきまえている人と話す時
昔あった似た例を出して、処理法の要点を簡明にします
④官位が高い役人と話す時
相手の権威を傷つけず、相手の権勢に相応した態度で話します
⑤金持ちと話す時
言葉遣いや話の内容を相手の優雅さに合わせて、高尚で優雅なものにします
⑥貧乏で困窮している人と話す時
こうすればいくら儲かるとか、いくらお礼するとか金額を細かく言うことです
⑦身分が低い人と話す時
へりくだった言葉を使い、相手の緊張と警戒を解いてやります
⑧勇気がある人と話す時
歯切れよく、リズミカルに話します
⑨愚鈍な人と話す時
解りやすい言葉を使い、相手が迷うことのないようにします
【謀篇】
謀ははかりごと・方法・手段である。人を説得するには相手の状態に対応する手を打つ。「その因るところを得て情を求める」何事も原因があって、これから事が発生し、これによって謀が生じる。相手の性質と心境に適応するような手を打って成功に導く。
謀略を計画するときには一定の法則があることを説いています。「謀」とは「はかりごと」の意味で、「謀略」「策謀」「謀議」などいろいろの熟語に使われ、その意味するところは皆同じです。
「謀(はかりごと)」を立てるには、ある一定の法則があり、それは相手には必ず拠り所としている根拠があるはずであるので、その根拠を見つけ出しそこから実情を探し出します。
そして実情が把握できたら次の上、中、下の三群のいずれに当てはまるかを考えます。
・上 ― 智恵が優れている者、
・中 ― 才能が優れている者、
・下 ― 愚鈍のまま振舞っている者
この三通りを「三儀」と呼び、相手はどの群に含まれるかを確かめて上で、それぞれの群に相応しい具体的な「奇計」を考え出します。
また、①相手の才能をはかり、②相手の能力をはかり、③相手の心情を推量することが拠り所を探し出す上で重要な役割を果たします。
日常社会では次々に生じる変化に応じて、新しい局面が展開し、予期しない事柄が起きます。
このように新しく起きてくる事柄に対して、応じていくには「謀」が必要となります。
「謀」には現実に合った計画が必要で、その上で議論が交わされ実行に移されますが、時々情況の変化に合わせた計画の修正が必要です。
【决篇】
決とは人のために疑い・迷いを決すること、迷っている者に決断させてやることである。決とはそれによって利がなくてはならない。利がなくては受け入れられない故に奇を用いる。情を決し疑いを定むるは万事の機にして、以て乱治を正し成敗を決す、成し難きものなり筮亀なるを用いて以て自ら決す。
巧みに決断を下すには、決断のテクニックにプラス意志が必要であることを説いています。
事柄に疑惑がある時は、その疑惑をよくよく判断し、決断することが必要であり、決断に巧みな人は幸福な結果を得られるが、巧みでない人は誤った決定を下し、禍を招きます。
その原因は情況の変化を自分に都合の良い方に考えたり、外見に惑わされして判断した結果です。
つまり情況判断が間違っていて、過失を生じる状態であることを知り得なかったことに起因します。
昔の聖人が事をなし遂げるのに秀でていたのは、「五種」の手法で決断することを基本においていたからです。
・陽徳 = はっきりと恩徳を施して、人に感激させる手法である
・陰賊 = 暗い中で殺害して、相手の計略を抑止する手法である
・信誠 = 真心で人に接し、相手に自分を信頼させる手法である
・蔽匿 = 隠密裡に事を進め、相手に気取られない手法である
・平素 = 普段の態度で相手に接し、自分を熟知させる手法である
このうち「陽徳」「信誠」は<陽>のはっきりとした外に出した手法であり、「陰賊」「蔽匿」は<陰>の目立たないようにこっそり処理する手法です。
さらに「平素」の常道に従って昔からのしきたりを守るのと、「枢機」の昔の事柄の鍵を掌握することを併用することが大切であるとしています。
【符言篇】
言と事実が割り符のように合う術の奥義。君主たるの奥義は「安徐正静」、君主は物の理を知らなくてはならない、その為には長目・天下の目。飛耳・天下の耳。樹明・天下の心を効かせる、これを洞察という。