占術というものは、西洋的には予言の技ですが、東洋においては予知の技となります。
予言には人個人の想念が入り込む余地がありませんが、東洋予知・予測においては自然と人間の語らいが介入してくることが特徴です。
元々異なった哲理や思想の中で、自然界の摂理をよりわかりやすく理解し、人の道を知るための手段として生まれたのが東洋の占術なんですね。
ですから、東洋の占術は運命の現象のみを予言するためのものではなく、学問として体系立った論理構造があり、そこから学び取れる技のひとつとして生まれた経緯があるので、冒頭にあるように予言ではなく予知の技という訳です。
こうしたことから、東洋では儒教系の予知学、道教系の予知学、仏教系の予知学という風に幾種類もの予知学(占術)が生まれています。
その上面倒なことに、日本では明治以来西洋教育の中で民族形成をしてきたため、東洋の占術も西洋的な予言の技的な捉え方をしたまま今日に至っている状況にあります。
確かに、西洋の予言のように運命の現象が機械的に出てくれば、結果は当たるかはずれるかのどちらかで、後は確率の問題だけで捉えればいいので単純明解ですよね。
しかし、東洋の予知による占術では、それを活用する人の想念を入り込ませる余地をあらかじめ残してあるため、占う側や占ってもらう側の人間性や知識が大いに要求されることになります。
これが却って占術を難しくしているため、本来の東洋の占術であるべきものが、実際には楽な説明や解釈で済む西洋の予言的な捉え方に流れてしまい、結果大衆には”当たるも八卦、当たらぬも八卦”として曖昧で一種うさんくさいものとして受け止められてきたようです。
ですので、この一連の整理の中では、改めてその古典の原典に帰り、体系立った学問としての予知学・占術をまとめていきたいと思っております。
では、東洋における予知・予測の技を分類します。
【儒教系の予知学】
占い術、姓名判断:
原典は、四書五経の律書、楽書。
呼び名による音の占い、字画による画数占いがある。
易占い:
原典は、四書五経の易経。
先に、何回かに分けてご説明をしたものを参考ください。
当たるも八卦、当たらぬも八卦 易経って何?
易経 実際に占う方法です
易経 実際に易を占ってみましょう。
易経 本来の在り方を知ることが大事です。
【道教系の予知学】
干支学
四柱推命
算命学
淘宮学
人相、手相などの相学
などに分類されます。
詳しくは、道教系の予知学を整理した以下の図をご覧ください。
【仏教系の予知学】
九星学
気学
方鑑術・方位学
宿曜経
九星学は、弘法大師を祖とする九星術として以前少し触れましたね。
日本では、仏教信仰から遠くかけ離れ、単に占いの道具としてのみ残っているような状態です。
9つの星の意味に従い、それを静止した状態、いわゆるその人の質や性をそのまま見ようとする方法が”九星学”です。
反面、9つの星の意味に従って動き、動くことで予知よりも救済的に運をよくしようとする方法が”気学”です。
さらに2つの静と動を同時に活用するため干支の力を借り、九星術と六十干支を習合させて活用する方法が”方鑑術・方位学”です。
中国から弘法大師が持ち帰った九星学ですが、持ち帰る過程でその作成方法を伝えないままであったたため、日本では六十干支についても九星学でもその作成方法がわからないままでした。
結果、原理原則を正しく踏まえないまま理由もなくありがたくおし戴いて活用するしかない状況となったため、やがていろいろな解釈が派生していきます。
その苦心の跡はあちこちで見られ、仏教系の予知学の不備を道教系の予知学で埋めたり、道教系の予知学の不備を儒教系の予知学で補ったり、各教義の区別が曖昧なまま他流同士が自由に結びついていった結果、今のように玉成混合な状態になっているのが、日本の占術の状況という訳です。
いずれにしても、東洋の予知学・占術の活用は、その目的によって中身をきちんと理解した上でうまく使い分けていきたいものですね。
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